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第九話 星一つの褒め言葉

 月曜日の午後。


 ひよりが空いたテーブルを片づけていると、カウンター席に座っていた美咲から声をかけられた。


「ひより、ちょっと来て」


「何?」


「喫茶こもれび、口コミサイトに載ってるで」


「口コミ?」


 ひよりは、美咲が差し出したスマートフォンをのぞき込んだ。


 画面には、見慣れた緑色の看板が映っている。


『喫茶こもれび』


 店名の下には、所在地や営業時間、店を訪れた人たちの感想が並んでいた。


「こんなところに載ってたんや」


「お店の人が登録したんちゃうの?」


「千鶴さん、喫茶こもれびの口コミサイトって知ってます?」


 ひよりが尋ねると、千鶴は首をかしげた。


「何それ?」


「お店に来た人が、インターネットで感想を書くところです」


「誰か、うちのこと書いてくれてるの?」


「はい。結構褒められてますよ」


「何て?」


「コーヒーがおいしいとか、落ち着く店やとか」


「嬉しいねえ」


 千鶴は楽しそうに笑った。


 義雄はカウンターの中で豆を整理しながら、興味がなさそうに言う。


「実際に来た客が満足してるなら、それでええやろ」


「でも、口コミを見て新しいお客さんが来るかもしれませんよ」


「来た客にコーヒー出すだけや」


「義雄さんは、もう少し宣伝を考えた方がいいと思います」


「ひより、仕事」


「はいはい」


 ひよりがテーブルの片づけへ戻ろうとすると、美咲がもう一度呼び止めた。


「一個、変な口コミあるで」


「変な口コミ?」


「これ」


 美咲が画面を見せる。


 口コミには、長い文章が書かれていた。


『コーヒーは香りがよく、何度飲んでも飽きない。卵サンドもおいしく、店主夫婦の人柄も最高。寝屋川市駅へ来たら、必ず寄りたい店です』


「めっちゃ褒めてくれてるやん」


「評価を見てみ」


 文章の上に表示された星の数を確認する。


 五段階中、星一つ。


「え?」


「最低評価やな」


「何で? 文章ではこんなに褒めてるのに」


「押し間違えたんちゃう?」


「それならええけど……」


 投稿者の名前は『珈琲好き』となっている。


 本名も顔写真も表示されていないため、誰が書いたのかは分からない。


「嫌がらせかな?」


「嫌がらせする人が、こんなに丁寧に褒める?」


「文章を読まん人には、悪い店やと思われるやん」


「そこまで回りくどいことするかな」


 ひよりは画面を見つめた。


 文章と評価が、完全に食い違っている。


「義雄さん」


「今度は何や」


「この口コミ、評価が星一つなんです」


「そうか」


「そうかって……最低評価ですよ」


「文章では褒めてるんやろ?」


「でも、星の数だけ見た人には、悪い店やと思われます」


「文章まで読んだらええ」


「みんなが読むとは限りません」


「知らん」


「もう少し気にしてくださいよ」


 義雄は取り合わず、コーヒーを淹れ始めた。


 千鶴は美咲のスマートフォンをのぞき込み、文章を読んでいる。


「店主夫婦の人柄も最高やって」


「千鶴さん、喜ぶところはそこやないです」


「でも、書いてくれた人は気に入ってくれてるんやろ?」


「そうみたいですけど……」


 悪意があるようには思えない。


 だからこそ、なぜ星一つをつけたのかが分からなかった。


 一週間後、美咲から、口コミの文章が更新されていると教えられた。


 ひよりが確認すると、前回の文章の下に新しい感想が加えられていた。


『雨の日に飲んだブレンドコーヒーで、冷えた身体が温まった。いつ来ても変わらない味で、安心できる』


 今回も、店を褒めている。


 しかし、評価は星一つのままだった。


「やっぱり、押し間違えたわけじゃないんかな」


 ひよりがつぶやく。


「単に直し方が分からんとか?」


 美咲が答える。


「文章は更新できてるのに?」


「それもそうか」


 さらに翌週...


 口コミは再び更新された。


『今日は卵サンドの辛子を少なめにしてくれた。何も言わなくても好みを覚えてくれている。ありがとうございます』


 評価は、やはり星一つ。


「卵サンドの辛子を少なめ……」


 ひよりは文章を読み返した。


 喫茶こもれびの卵サンドには、からしマヨネーズが使われている。


 辛子を少なめにする常連客は、それほど多くない。


「美咲、この口コミが更新されたの、いつ?」


「昨日の夕方」


「昨日は水曜日やね」


「それがどうしたん?」


「雨の日に来て、ブレンドコーヒーを飲む。卵サンドの辛子は少なめ。水曜日にも来てた」


 ひよりは、最近の客を思い返した。


 条件に当てはまる人物が、一人いる。


 次の水曜日、午後四時を少し過ぎた頃、店の扉が開いた。


「いらっしゃい、岩田さん」


 千鶴が声をかける。


 入ってきたのは、六十八歳の常連客・岩田だった。


 灰色の上着に黒いズボン。胸のポケットには、少し古いスマートフォンが入っている。


 岩田は毎週水曜日の夕方に来店し、ブレンドコーヒーと卵サンドを注文する。


「いつものお願い」


「ブレンドと、辛子少なめの卵サンドですね」


 ひよりが確認する。


「そうそう。よう覚えてるな」


「毎週来てもらってますから」


 ひよりは注文を伝え、出来上がったコーヒーと卵サンドを岩田の前へ運んだ。


「お待たせしました」


「ありがとう」


 岩田はブレンドコーヒーへ口をつけ、満足そうにうなずいた。


 卵サンドも、ゆっくりと味わっている。


 食事を終えると、胸のポケットからスマートフォンを取り出した。


 慣れない手つきで画面を操作する。


 文字を入力しているようだが、何度も消してはやり直している。


 ひよりは水を足すため、岩田のそばへ向かった。


「お水、入れますね」


「ありがとう」


 スマートフォンの画面が一瞬だけ見える。


 そこには、喫茶こもれびの口コミページが表示されていた。


「岩田さん」


「何や?」


「もしかして、『珈琲好き』さんですか?」


 岩田の指が止まった。


「何で分かったん?」


 あっさりと認められ、ひよりの方が驚いた。


「やっぱり、岩田さんだったんですね」


「ああ。たまには、店の役に立とうと思ってな」


「口コミを書いてくれたことは、ありがたいんですけど……」


「何か間違ってたか?」


「どうして星一つなんですか?」


 岩田は不思議そうにひよりを見る。


「この店が一番やからや」


「一番?」


「一番ええ店には、星一つやろ」


「違います!」


 ひよりの声が店内へ響いた。


 新聞を読んでいた客まで顔を上げる。


「何が違うんや?」


「口コミサイトは、星が多いほど高評価なんです。星一つは最低評価です」


「そうなん?」


「そうです。五つが最高です」


「星五つもつけたら、どれが一番か分からんやろ」


「そういう一番やないんです」


 岩田は納得できない様子で、スマートフォンを見る。


「でも、テレビで一つ星の名店とか言うてるやん」


「それは別の評価です!それにその星も多い方が良いんです!」


「ややこしいなあ」


「岩田さんの口コミを見た人には、喫茶こもれびが悪い店やと思われますよ」


「文章では褒めてるやろ」


「みんなが最後まで読むとは限らないんです」


 岩田は困ったように頭をかいた。


「俺は応援しようと思っただけやで」


「それは分かってます」


「一番やから星一つ。分かりやすいやろ?」


「岩田さんにしか分かりません」


 カウンターの中で聞いていた千鶴が、声を上げて笑った。


「気持ちは嬉しいけど、直してもらった方がええみたいやね」


「どうやって直すん?」


「画面を見せてください」


 ひよりは岩田の隣へ立ち、口コミの編集画面を開いた。


「ここに星が五つ並んでますよね?」


「ああ」


「一番右まで押してください」


「全部黄色くなったで」


「それで星五つです」


「星、多すぎへんか?」


「これが最高評価なんです」


「ありがたみがないなあ」


「そういう仕組みですから、諦めてください」


 岩田は文章を確認し、更新のボタンを押した。


 表示されていた星一つが、星五つへ変わる。


「これでええんか?」


「はい。ありがとうございます」


「最初からこう教えてくれたらよかったのに」


「誰が書いたか分からなかったんです」


「聞いたら教えたで」


「『珈琲好き』だけで分かるわけないやないですか」


「常連なら分かるやろ」


「常連みんなコーヒー好きですよ」


 岩田は納得したような、していないような顔で、スマートフォンを胸のポケットへ戻した。


 数日後、喫茶こもれびに、見慣れない若い夫婦が入ってきた。


「いらっしゃいませ」


「二人なんですけど、空いてますか?」


「はい。こちらへどうぞ」


 ひよりが窓際の席へ案内する。


 夫婦はメニューを開きながら話していた。


「口コミを見て来たんです」


「星五つで、すごく褒められてたから」


 その言葉を聞き、偶然カウンター席にいた岩田が振り返った。


「その星、俺がつけたんや」


 夫婦が驚いて岩田を見る。


「岩田さん、急に話しかけたらびっくりしますよ」


 ひよりが止める。


「でも、俺の口コミを見て来たんやろ?」


「多分そうですけど」


 夫婦は顔を見合わせたあと、笑った。


「『珈琲好き』さんですか?」


「そうや。俺が珈琲好きや」


 岩田は満足そうに胸を張った。


「最初は星一つやったんやけどな」


「それは言わんでええんです!」


「何でや。そこから五つまで増やしたんやで」


「成長したみたいに言わんといてください。最初から押す場所を間違えてただけです」


「文章は最初から完璧やったやろ」


「誤字、結構ありましたよ」


「細かいことはええねん」


 ひよりと岩田のやり取りに、店内から笑い声が上がる。


 義雄はいつもと変わらない表情で、若い夫婦のためにコーヒー豆を挽いていた。


「義雄さん、新しいお客さんが来てくれましたよ」


「見たら分かる」


「口コミのおかげかもしれません」


「来てくれたなら、うまいコーヒーを出すだけや」


「ほんま、変わりませんね」


「変わる必要あるか?」


 義雄は淹れ終えた二杯のコーヒーを、カウンターへ置いた。


「ひより、持っていけ」


「はい」


 ひよりはコーヒーをトレーへ載せ、夫婦の待つテーブルへ運んだ。


 星一つから始まった褒め言葉は、どうにか正しい形へ直され、新しい客を喫茶こもれびへ連れてきた。


 もっとも岩田は、その後もしばらく、


「一番ええ店やのに、星が五つというのは納得できへん」


 と、来店するたびに繰り返していた。


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