第5回
5
影密は眠りから飛び起き、方々へと指示を出していた。
家老どもは駆け回り、馬廻り衆はこちらへ駆けてくる一群を討伐すべく馬を出した。
影密は苦々しく思いながら、丘の上から下を見おろす。
眼下に広がる平野部を縦に貫く一本の川。川幅は広いが底は浅く、至る所に絶命した兵士の骸が転がっていた。
一騎当千の猛犬たるその男――終末の犬と呼ばれる元宗像の大将、黒蕊義信が大太刀を振るいながら、次々に影密の率いる兵どもを薙ぎ倒しこちらに攻め込んでくる。
それを眺めながら、烏の如き黒い甲冑に身を包んだ影密は歯噛みした。
黒蕊の後ろには灰色髪の女が両手に太刀を構えながら、まるで愛犬に先導されるように駆けている。
灰色猫と呼ばれる獣憑き――綺羅姫だ。
彼女は黒蕊が討ち漏らした兵士たちを、猫と見紛う身のこなしで軽やかに飛び跳ねながら、次々とその首を斬り落としていく。
影密はこの夜陰に乗じて戦場から一時撤退を考えたが、しかし黒蕊や綺羅との距離は既にそれを許さなかった。
ならばここで彼らを迎え討ち、我が親衛隊たる鴉衆とともに最後の望みを賭けて成敗するより他に選択肢はあり得なかった。
「弓を持て!」
影密が叫び、側近が恭しく彼の弓を掲げる。
影密は毒を塗った黒き矢を番え、今まさに丘を駆け上がってくる黒蕊に眼を合わせた。
間合いを測り、黒蕊の首元に向けて矢を放つ。
黒き矢は闇の中でなおどす黒き一陣の烏となって、黒蕊の首筋へと一気に飛んだ。
瞬間、綺羅の目がキラリと光ったような気がした。
影密の舌打ちとともに綺羅が跳ねて男の前に飛び出し、彼の放った毒矢を薙いだ。
綺羅の瞳が、影密を射止める。
影密は顔を激しく顰めた。
かつて彼に見せたあの柔らかな笑みはそこになく、今や獲物を捉えた狩人のそれとなって影密を見据えている。
黒蕊と綺羅が、陣を守る馬廻衆をいとも容易く斬り捨て、幕の内側へと侵入してきた。
影密は再び矢を番え、怒りと悲しみの混じる眼で綺羅を見据えた。
綺羅が、低く唸るように息を吐く。
黒蕊はそんな綺羅を守るように、馬廻衆や鴉衆に大太刀を構えながら視線を激しく動かしていた。
影密はその絶望の中でひとつ息をする。
「ここは我が陣だぞ。たかだか獣憑きふたりで我々に勝てるとでも?」
しかし意識なくその声は震えており、綺羅はその震えを聞き逃してはくれなかった。
恨みに染まった瞳を大きく見開き、手にした刀をさっと構えたその瞬間。
綺羅の身体は高く宙を舞い、その切っ先を躊躇うことなく影密に向けて。
「――覚悟」
彼の前に、光が走った。
瞬間、
「させるかよ!」
権野丞光房が間に割って入り、影密を守るようにしてタマの双刀を太刀ではじき返した。
「お下がりください! 影密様!」
光房に続くように、彼に預けた鴉衆の集団が幕を切って押し寄せてきた。
影密は「う、うむ」と頷き、光房に背中を預けながら、森の中へと駆けだした。
まさか、夜襲を仕掛けてこようなどとは思ってもいなかった。
……いや、その可能性くらい考えてはいた。
それがまさか、あのような勢いとなって襲い掛かってくるなどとは思ってもいなかったのだ。
戦況は明らかにこちらの方が有利だった。
権之助の話では獣憑きがもうひとりいたらしいが、そんなものは数のうちには入らない。
どうして戻ってきたのか、そのまま討ち取ってしまえばよかったものをと叱責したのはつい先ほどのことである。
それがまさか、こんなその直後に夜襲が行われようなどとは――油断した。
己の不始末に、影密は心底苛立ちを隠せず、胃の腑が逆流してきそうな思いだった。




