第5回
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タマと猿彦のふたりは、樹上を飛び跳ねるように敵地へ向かっていた。
川幅の狭い上流の山の中を、敵兵の視線をかい潜るようにして進んでいく。
蘇芳の家老、武田光春からの依頼により、ふたりは敵の兵力がいかほどのものか、その砦の数も併せて偵察しているところだった。
当初ふたりでの偵察に対してクロは難色を示したが、数が少ない方が良いと判断し、押し切ったのはタマだった。
山育ちの猿彦はその名の通り樹上をまるで猿のように自由自在に行き来する技を持っており、まるで獣憑きのような動きであっという間に太い枝から枝へ飛んで進む。
彼はこの軽業を枝渡りと呼んでいた。
「猿彦ってのは、俺が餓鬼のころから皆に呼ばれるようになった名です」
猿彦は得意げに鼻を掻きながらそう口にして、タマたちを驚嘆させるほどの腕前を見せつけてくれたのだった。
それゆえタマは元々ひとりで行くつもりだったのを、猿彦を引き連れて偵察へ向かったという流れである。
猿彦の従える組の者残り九人には、下流域の偵察を命じている。
彼らは皆、猿彦には及ばずとも劣らない軽業を使いこなし、今頃はあちらの砦の数や兵数を調べているはずだった。
今のところ、小田原側の紅葉ケ谷大川上流域に見える砦は全部で三つ。それぞれに蘇芳側と同じく二千人ほどの兵が見え、高い櫓から眼下の大川を下流に向けて監視しているのを確認することができたのだった。
但し、見たところによると、どこにも鴉衆と思われる集団らしき姿は見受けられず、正規兵や農民足軽、傭兵浪人と思しき姿ばかりが目立って見えた。
「――鴉衆の連中もこっちの偵察をやってるんなら、鉢合わせしなきゃいいんですがね」
猿彦の言葉に、タマは短く「そうだな」と静かに答える。
猿彦はタマやクロよりも歳が上で白髪交じりの初老だった。
長年この乱世の戦場を駆け抜けてきた猛者らしく、小柄でありながらその佇まいは堂々としている。
はるかに歳下であるタマにも礼を持って接するのは彼の実直さゆえか、それともたまたまタマが副将として立ったがゆえか。
「今頃下流の連中も偵察を終えた頃合いでしょう。そろそろ戻りますか」
「いや、可能なら、鴉衆がどこに控えているかも調べておきたいところではあるが……」
「お気持ちはわかりますがね、あちらさんも隠密部隊。そうそう簡単には見つからねぇ場所に控えさせているんじゃありませんか? 案外、本陣の中に控えさせている可能性だってある」
確かに猿彦の言う通りだとタマは頷く。
影密が総大将である以上、彼の配下にある鴉衆も当然のように彼の近くに配置されているに決まっている。本来隠密行動が主たる部隊に表舞台へ出るよう指示した小田原の意図するもの、それはタマ自身に関わっているのではないかと思わなくもない。しかし、そんな個人的な因縁を戦に持ち込むようなことはあり得ないだろうという思いもタマの中にあったのだった。
「そうだな、一度帰還しよう……猿彦?」
「――えっ?」
タマの言葉に、唐突に山の上に視線を向けていた猿彦がハッと我に返った。
「どうした?」
「あぁ、いえ。人がいるような気配がしたんで警戒していたんですがね」
ほら、と猿彦が指さす方に顔を向ければ、確かに何者かの影が見える。
それはタマも先ほどから気付いていたが、人ではなく猿の群れであることから、あまり気にしていなかったのである。
「……ただの猿だろう。まさか、人が猿の真似をしていると?」
「いえ、そういうわけでは」
確かによくよく見れば、人と見まごう如き大きさの大猿が一匹、こちらをじっと見つめてきてはいるものの、所詮猿は猿である。
タマがじっと睨みつけると、大猿とその群れは何事もなかったかのように、山の奥へとその姿を消してしまったのだった。
「……あの大猿。どこかで見覚えがある気がして」
「どこか? この山以外でか?」
「幼い頃に山にいたヌシ猿によく似ているような……」
「……気のせいだろう」
「ですよね……」
「それより、行こう、猿彦」
「えぇ」
猿彦は返事しつつも、まるでとらわれるように大猿の群れが消えた山を見つめていた。
タマは「先に行くぞ」と口にして、足元の悪い木の枝を跳ねるようにして飛んでいく。
その後ろから、
「え、あぁ――」
返事が聞こえた瞬間、猿彦が足元を滑らせ、地面に向かって落下していた。
タマはその気配に驚き、後ろを振り向く。
猿彦は慌てながらもくるりと空中で半回転して、なんとか足元から地面に着地して事なきを得た。
そんな猿彦に、タマは小さな声で、
「なにをしている、気を付けろ」
「す、すんません……! どうも猿に気を取られて、油断しちまって――」
その時だった。
「――誰かそこにいるのか!」
藪の向こう側から、男の叫び声が聞こえてきたのである。
見れば、黒い甲冑に身を包んだ数人の男たちが、弓をたがえてこちらに駆けてくるところだった。
「しまった!」
猿彦は大慌てで駆けだした。
しかし、その動きがどこかおかしい。
やはり不意の出来事だったことが災いしたのか、足をくじいてしまっているようで、思うように動けないらしい。
「ちっ!」
タマは舌打ちすると刀を抜き、猿彦とは反対に男たちに向かって飛び出した。
数は五人。
タマにとって、さほどの数ではない。
立ち向かって来るタマに驚いたように、男たちは矢を放ってきた。
それをタマは刀で弾き、敵が刀を抜くよりも前にひとりめの首を刎ねた。
血しぶきが辺りに散り、ふたりめ、さんにんめ、よにんめ、と相手の崩れ落ちる首から下の身体を蹴り飛ばしながら、次々に首を刎ねていく。
最後のひとり、と思ったところで、その男の矢の先がタマではなく猿彦に向いていることがようやくわかった。
見れば、ひょこひょこと木の影に隠れようとする猿彦の背中に矢が放たれたところだった。
「――ぎゃっ!」
猿彦が大きな叫び声をあげて仰け反る。
「猿彦!」
タマはごにんめの首を刎ねると、その勢いで猿彦のもとへ駆けていった。
猿彦はその背中に矢を受け、地面にうつぶせに倒れている。
「大丈夫か!」
「す、すいやせん」
矢はさほど深く刺さっておらず、タマはその矢を抜いてやると、猿彦が起きるのを手助けしてやった。
「動けるか?」
「申し訳ありやせん」
「支えてやる。行くぞ」
タマは猿彦に肩を貸し、ゆっくりと起き上がらせる。
「――しっかりしろ、こんなところで死にたくはないだろう」
まだ、戦も始まっていないというのに。
「幸い、腕は動きます。枝渡りくらいなら、なんとかできるでしょう。急ぎましょう」
「あぁ」
タマは、短く答えたのだった。




