第3回
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綺羅が生きていた。
そのことは影密にとって衝撃的な事実だった。
あの時、あの国で、あの場所で。
我が父の差し向けた兵による強襲で業火の中で死んでいったと聞かされた綺羅が、まさか灰色猫となって、いままた我が前に姿を現そうとは影密は思ってもいなかった。
かつての仮初の許嫁。
父の策略により、綺羅の父親を油断させるための嘘の同盟だった。
すべては小田原のためだった。
当然、影密も当時はそんなこと知る由もなかった。
あの美可愛らしかった綺羅姫。
いつも絶え間ない笑顔を向けてくれていた、あの綺羅の変わり果てた姿に、けれどそれがはっきりと綺羅だと判るほど整ったあの顔立ちに、影密は胸が張り裂けそうなほどの衝撃を受けていた。
あの綺羅が、いまや傭兵浪人に身をやつし、数々の戦場で多くの者の命を奪ってきた。
それが影密には信じ難いことだった。
しかも、義兄弟の盃を交わした兄であり主君・陽恵ははっきりと「かつての因縁に蹴りをつけろ」と命じてきた。
その言葉が影密の胸に突き刺さり、どうしていいかわからなかった。
そんな影密を前に、権之助――権野丞光房は主人である影密に対してにんまりと不敵な笑みを浮かべながら、
「いかがしましたかな、影密様」
白々しく、こちらの顔を覗き込むようにしてくる。
吾妻の国の居城。その頂の間にて、影密は隠密部隊の大将である光房をはじめとした吾妻の国の家老たちを前にして、しばしの沈黙を続けていた。
「灰色猫のことが、そんなに気になりますかな?」
「黙れ、光房!」
家老の一人、最も年長で長年影密に尽くしてくれている筆頭家老・今田義孝が光房を一喝した。
「あぁ、へいへい、っと」
頭の後ろに両手を組んで白けた様子の光房に、義孝は今にも掴みかかりそうな勢いで膝を立てながら、
「貴様、殿の御前でそのような軽々しい態度――」
「よい、放っておけ」
影密の言葉に、義孝は睨みつけるような視線を光房に投げつけ、渋々腰を下ろしたのだった。
「大丈夫だ、義孝。我とて覚悟はできている」
「……心中、お察しいたします」
深く首を垂れ、静かに答える義孝。
「しかし、まさか宗像の綺羅姫様とあの剛腕無比の大将、黒蕊上之総義信が生き延びていたとは。しかも、どちらもあの有名な灰色猫と終末の犬と呼ばれる獣憑き。これは手強い相手となりましょう」
「……そうだな」
「なんだよ、なに弱気になってんだ」
軽い口調で光房が口をはさむ。
「俺たち鴉衆は敵なしだ。何を心配することがある」
「貴様! 義孝殿に何という口の利き方を!」
「そこになおれ! その根性、儂が今この場で叩き直してくれる!」
他の家老たちが口々に叫び諫めるのを、影密はいま一度抑えつつ、
「たとえ誰が相手であろうと、私は迷いは捨てたのだ。全ては兄者・陽恵の目指す天下布武を為しとげるため、目の前の敵を一掃するだけよ」
「さすがでございます、影密様」
深々と頭を下げる義孝たちに、
「此度の戦、我々吾妻が総大将を務めることと相成った。義信」
「――はっ」
義孝の後ろに控えていた彼の息子が、短く答えてさらに深く首を垂れる。
「お前には一万兵を預ける。大将として橘以下三国の輩を真正面から叩き潰せ。その間に、光房」
「はい、はい。わかってますよ。いつものように、迂回して相手本隊の両側から攻め込めばいいんですよね? 弓兵の数もいつも通りでよろしいですかな?」
「構わぬ。お前の必要とする数だけ連れていけ。但し、その際に恐らく灰色猫や犬たちが妨害してくることになるだろう。十分に気を付けよ」
「そりゃもちろん。奴らの動きはこの目ではっきり見てきましたからねぇ。裏の掻き方も十分承知しておりますともよ」
「他のものは小田原からの二万兵と共に蘇芳満中の動きを食い止めよ。よいな」
一斉に家老たちから声が上がる。
影密はそれに対して深く頷き、そして最後にこう口にした。
「決行は三日後の早朝。まずは氷川の大川に堀を築き、陣を張る。急ぎ築砦の準備をせよ」




