第7回
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影密が山砦での失態を報告している間、陽恵は金色に煌く仏像の前に座し、手を合わせ続けていた。
小田原の本丸奥に設けられた仏堂。
そこには陽恵と影密のふたりしかおらず、薄暗い堂の中を数本の蠟燭がゆらゆらと照らし出していた。
やがてすべてを語り終えて平伏した影密の前で、陽恵は静かに経を唱え始めた。
そこは陽恵がために造られた仏堂であり、ここに立ち入れるのは陽恵の他には影密ただひとりだけだった。
陽恵はもともと小田原家の七人目の男児であり、上の兄弟たちは皆、病や次期当主争いの最中に命を落としていった。
本来であれば仏門に入れられて僧の道を歩むはずだった陽恵が、急遽当主として祀り上げられたのが十数年前のことである。
これも仏の指し示す道とその話を了承した陽恵であったが、そこからの彼の快進撃はとどまることを知らなかった。
彼は『仏の目指す平和な世の中を創り上げるために、天下を統一する』という志のもとに近隣諸国へ攻め入り次々に小国を併合、瞬く間に小田原の国は大国へと様変わりしていったのであった。
本来であればその名も元の名である宗恵と改めるはずだったが、「全ては御仏の心のままに」という強い信念のもと、僧名のまま当主となったのは、陽恵の岩よりも硬い意志がそこには感じられてならなかった。
しばらく経を唱え続けていた陽恵だったが、不意に口をつぐみ、静かに影密に身体を向け、口を開いた。
「――影密」
「……はっ」
強張った声で影密は返事する。
陽恵は小さく息を吐いたのち、
「これもまた、御仏の道というものだ」
「……どういうことでございましょうか」
「お前の山砦に灰色猫と終末の犬がやってきたのも、そういう運命だったということよ」
「運命」
「そうだ。蘇芳併合のための戦支度をしておいて正解だったようだな。まさかあちらにも獣憑きが与しているとは思いもよらなかった。恐らくは仏が我々にそれを報せるために、わざわざそのような苦難をお前に与えられたのだろう」
影密は「なるほど」と心になく返事する。
陽恵とは異なり、影密は仏というものに対する信心がない。
陽恵が仏門に入る前より彼との親睦は深かったが、仏の道に心酔するようになってからの陽恵は、彼がそれまで知っていた宗恵とは異なった形での野心家となってしまっていたのである。
「暮華を失ってしまったのは痛手ではあるが、まぁ、その死もまたそういう運命であったのだろうよ。拾ってやったときから、こうなることは決まっていたのだろう。そう考えれば、暮華の死も無駄ではなかったというものだ」
「――左様でございましょうか」
「うん?」
そこで陽恵は眉を潜める。
「何か異論でもあるか?」
「別に死ぬ必要などなかったのでは、と思いまして」
「必要もなにもない。暮華は本来、盗人として斬首刑を言い渡されていた女だ。それをたまたま居合わせた私が助けた。暮華が生きながらえたのは、此度の砦の為だったのよ。それこそが仏の御心だったというわけだ。理解したか?」
「……はい」
影密はこれ以上、陽恵との話を続けるつもりは毛頭なかった。そもそもこの話そのものが不毛なのだ。暮華は死んだ。それ以上でも、それ以下でもない。
「影密」
「はっ」
「あちらに獣憑きがいる以上、急ぎ蘇芳に攻め入る必要がある。此度の戦、お前に総大将として、全ての権限を与えよう」
「――私が、でございますか」
「まさか、宗像の姫君と総大将だった男が獣憑きとなって蘇芳に与しているのだ。これは宗像に対する、お前の因縁に決着をつける時が来たということにほかならぬ」
瞬間、影密は息を呑んだ。
それは、つまり――
「此度の戦で、その因縁を断ち切るが良い」
綺羅を、殺せ。
陽恵は、そう言っているのだ。
かつての許嫁だった綺羅姫を、お前の手で、殺せ、と。
「――できるな、影密。いや、漆黒の鴉。我が弟よ」
影密は深く息を吸い、そして吐き出すように、
「――もちろんでございます、兄者」
「うむ、頼んだぞ」
陽恵は満足そうに、ニッと笑みを浮かべたのだった。




