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灰色猫と終末の犬  作者: ノムラユーリ(旧PN野村勇輔)
第3章

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第5回

   5


「あ~あぁ、暮華のやつ、死んじまいやがったか」

 呆れたように口にした権之助が、さっと義信から遠ざかって、燃え盛る木戸の方に飛び退った。


「貴様、逃げるつもりか!」


「当たり前だろ? さすがの俺も、おめえら獣憑きふたりを相手にして勝てるわけがねぇ。主君もうまく逃げおおせたみたいだし、ここらがお互い、潮時じゃねぇか?」

 そう言い残して、「あばよ!」と権之助は木戸から外へ飛び出し、駆けていってしまうのだった。


 タマも義信もそれを追って外へ飛び出したが、すでに権之助の姿はどこにもなく、燃え盛る厩や櫓、薪小屋で辺りは真っ赤に染まっていた。


 敵の姿はもはやどこにもなく、ただタマと義信だけがこの場に取り残されている。


 背後では主殿が轟音を立てて崩れ去り、タマと義信は慌ててその場から退避した。


 火の手のない広場まで来たところで、タマの前に急に義信が跪く。


「某は宗像が元総大将、|黒蕊上之総義信《くろぬい かみのふさ よしのぶ》! 綺羅(きら)姫さま! よくぞご無事であらせられました!」


 それを見おろしながら、タマはちっと舌打ち、足下に唾を吐いた。


「違う、私の名前はタマだ。綺羅ではない!」


「いいえ! そのお顔には確かに覚えがございます! 某のことをお忘れですか!」


 しばしの間、タマは懇願するように見上げてくる義信の顔をじっと見つめて、

「……お前のようなもの、覚えてはおらぬ。そもそも、綺羅は死んだ。ここにいるのはただのタマだ」


「なにを仰られますか! 私にとって、お守りできなかったこと、常に悔しく思っておりました! 先の戦であなた様が大将の首級を取りに参られたときにそのお顔を拝見し、私はあまりのことに身動きが取れないほどでございました! もしやと思いここまで旅についてまいりましたが、先ほどの影密との対峙により確信を得ました! あなた様は間違いなく、我が主君が姫君、宗像の綺羅姫様にございます!」


「くどい! その名は捨てたと言っているだろう!」


「し、しかし――!」


 瞬間、タマは二振りの刀を抜き、切っ先を義信に向けた。


「もし私が姫だというなら、何故刀を携えている! 何故数々の戦場を駆け抜けてきた! 一国の姫がそのようなことをするものか! 私はもう姫でも何でもない! ただの傭兵浪人なのだ!」


「き、綺羅姫様……!」


 涙ながらになおも食い下がってくる義信に、タマも眼に涙を浮かべてしまう。


 義信の気持ちとてわからぬわけではなかった。


 ここでまさかかつての家臣と出会うなど、タマとて思ってもいなかったのだから。


 言われて見れば、幼き頃にこの男とは何度か顔を合わせた記憶がある。


 今まで気づきもしなければ思い出しもしなかったが、今こうして深々と頭を下げられると、かつての記憶がよみがえってきて、タマの心のなかは酷く掻き乱されるのだった。


 義信とタマが城の中で顔を合わせることは年にして数回。戦の折りの戦況報告のときですらその場にタマはいなかった。


 年始や年末、戦に勝った際の宴のときに顔を見ることは数度あったが、果たして宗像の城が焼かれた際にも率先して城に残り、タマたちを城外へ逃がそうとしたのは義信ではなかっただろうか。


 記憶が曖昧模糊としており、そもそも幼かったタマがそこまで細かいことを覚えていられるほど、あの夜は逃げるだけで精いっぱいだった。


 そう、タマは城から逃げ出すために母や祖母、そして祖母の愛でていた老猫や女中たちとの逃亡に失敗し、目の前で皆殺しにされた。


 タマとてその例外ではなかった。


 死の間際、タマの命を救ったのは祖母の老猫だった。


 その猫は祖母がまだ幼かった頃より飼われており、歳経て(あやかし)と化していたのである。


 その妖となった老猫とタマは契約することによってその魂を自身の魂と融合することでなんとか生きながらえ、たまたま城の焼け跡を訪れた傭兵浪人に拾われて剣の技術を叩きこまれたのだった。


 その時から、タマはもう綺羅ではなかった。


 灰色髪の、猫が如き俊敏さで獲物を狩る傭兵浪人。


 人はタマのことを、いつしか灰色猫と呼ぶようになっていった――


 だから、今のタマはもうあの頃の綺羅姫などではない。


 間違いなく、ここにいるのは、一介の傭兵浪人にしか過ぎない、けれど獣憑きと化した化け物が如き存在、灰色猫のタマだった。


「もう二度と私のことをその名で呼ぶな、いいな!」


「……っ!」

 義信は深く息を吸い込むようにして決意に満ちたタマの瞳を凝視した。

 そしてそこにかつての姫の面影はもうほとんどないのだということを理解したように、

「……承知いたしました。いや。わかった……タマ」


 タマは刀を鞘に戻し、燃え盛る山砦を見渡してから、

「この様子だと、蘇芳の方からもこの山砦のことは見えているはずだ。あの女や権之助のこともある。一度蘇芳の城に向かい、事の次第を全て話した方がよさそうだな」


 義信は――クロは立ち上がり、

「――そうだな」

 重苦しい声で、頷いたのだった。

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