第8回
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「――ちっ」
タマは賑わう廓街に紛れ込んだ間者を見失い、舌打ちした。
客引きや女を求めてやってきた男共の間を抜け、なんとか足跡を追おうと試みたが、どこにも足跡は愚か、人の多さから匂いすら途切れてしまっている。
このまま諦めて宿に引き返しても良いが、それよりもあの女獣憑きが確実に小田原の手のものであることを突き止めたい思いの方が強かった。
なにか手掛かりになるものを残してはいないか……
タマはあたりを見回し、それからじっと女の紛れ込んだ先を見つめた。
果たしてこの先にあの女がいるとは思えない。
「な、なんだ、こいつ! 髪白いから婆ぁかと思った……」
「こいつ、どこの店の女だ?」
「汚らしい格好だなぁ――おい、この女、刀差してやがるぞ!」
「ああん? どうせニセモンだろ? どっかの見世物小屋のもんじゃねぇか?」
周囲では色々な男たちの声が聞こえ、あの女の気配や音を完全に消し去ってしまっている。
タマは二度目の舌打ちと共に、改めて女の行方を探そうとしたところで。
「野郎! どこ行きやがった! 権之助ええぇぇええ!」
聞き覚えのある野太い声とその名前に、タマは足を止めた。
すぐ近くの廓のなかで、どたばたと大きな音が聞こえてくる。
恐らく、誰かが――十中八九クロだろう――が大暴れしているようだ。
――権之助
あの女と、明らかにつながりのある怪しい男。
タマは駆けだし、どたばたとまだ激しい音のする廓の中に飛び込んだ。
中ではクロが刀を片手に部屋のなかを駆け回っており、今まさに権之助が裏手の窓から外へ逃げ出していくところだった。
「クロ!」
「た、タマぁ!? なんでここに!?」
「そんなことより、なにがあった?」
「あんにゃろ、女に俺を殺させようとしてきやがった!」
――やはり、そういう魂胆だったか。
ここでクロを殺すことで、蘇芳側の獣憑きたる脅威を取り除いておこうということだったのに違いない。
やつもどこぞやの――恐らくはあの女と同じ小田原に違いない――間者だったのだ。
「追うぞ、クロ! 絶対に逃すな!」
「お? おう! もちろんだ!」
タマが権之助のあとを追って駆け出すと、そんなタマの後ろをどすどすとクロが追いかけてくる。
廓のなかは阿鼻叫喚の様子だったが、そんなことに構っていられる事態ではない。
邪魔するものがあればこの場で斬り捨てる!
そのつもりで駆けていけば、廓の輩も皆が皆自ら道を譲ってくれたのだった。
窓を抜け、その先の林に見える権之助の背中をタマとクロは追いかけた。
思った以上に足が早い。
いや、早いというよりも、木々の間を縫うように駆けていくのが上手いというべきか。
その動きは明らかに人のそれとは違う。
やはり、アイツも獣憑きだったのか――
タマは気付かなかった自分の不甲斐なさに反吐が出そうだった。
飄々とした態度から油断していたのかも知れない。
間者ふたりが揃いも揃って獣憑きとは思いもよらなかった。
いったい、奴らにはどんな獣が憑いているのか。
林の中は暗く曇天の為に真の暗闇がどこまでも広がっているように見える。
さすがのタマもこの闇の中で姿を見失ってしまっては追いようがない。
それなのに、権之助との距離は次第に開いていき、ついにその姿は完全に見えなくなってしまったのだった。
「――くそっ! どこへ行った!」
独り言ちるタマに、クロはふふんと鼻で笑った。
「なにを笑っている」
「安心しろ、俺にはわかる」
「何故だ」
「忘れたのか? 俺は犬の獣憑きだぞ」
――そうか、匂いか。
タマはクロの言葉に納得する。
タマの鼻も人のそれより敏感だが、判別能力に長けているだけで追跡能力などはさほどではない。
もしクロの鼻が本物ならば、姿の見えなくなった権之助のあとを追えるかもしれない。
「いけるか?」
「任せろ、アイツの臭いはこっちだ」
クロは言って、タマの前を歩き始めた。
林の中の暗闇はもはや辺りを深淵の中に陥れたかのようだった。
獣的感覚を頼りにふたりは木々やその根を避け、草葉を掻き分けるようにして前へ前へと進んでいった。
小高い丘を越え、谷を越え、やがて急な上り坂を上りきったところで、
「そろそろ国境だぞ。大丈夫なのか?」
タマの言葉に、
「見ろ」
クロが暗闇の中、山の上を指差した。
「……あぁ、見える」
タマもそれに眉を潜める。
そこには真っ黒に染め上げられた山砦が、蘇芳の街並みを見下ろすかの如く、木々の間に隠れるようにして建てられていたのだった。




