第6回
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「お~し! 行くぞ、クロ!」
夕刻、権之助がクロの肩に腕を回しながら口にした。
クロは瞬きをしながら、
「ど、どこへ行く気だ」
「昨日約束したじゃねぇか。いい店に連れてってやるって」
「だ、誰もそんなこと頼んでいはいないぞ!」
「頼まれなくても解ってるって。お前さんだって我慢してんだろ? たまには発散しないと身体がもたねぇぜ?」
「お、俺は良いと言っているだろう!」
「まぁまぁ、そう固いこと言いなさんな! 俺だってお前さんを連れてくって店のもんに伝えちゃってる手前、連れてかないわけにはいかんのよ! お願いだからさ、俺の顔を立てると思ってさ、な? な?」
しつこく誘われるクロは、何故かタマの顔をチラチラと覗いてくる。
タマはどうしてそんなに私のことを気にするのだろうかと思いながら、
「――行ってくればいいじゃないか」
「お、お前までそんなことを言うのか!」
「別に大したことじゃないだろう。たまには羽目を外してもいいんじゃないのか?」
「お、タマも良いこと言うじゃない! ほらほら! 行くぞ、クロ!」
そう言って黒の腕を引っ張る権之助に、クロも断り切れないのか、
「わ、わかったから、引っ張るな! 今回だけだぞ! 今回だけだからな!」
まるで自分に言い聞かせるかの如く、宿から出ていったのだった。
やれやれと肩を撫でおろすタマ。
恐らく、あのふたりは今夜は帰ってこないだろう。
別に私のことなど気にする必要もあるまいに、と思っていると、タマは他の男たちの視線を感じる。
それは同じ宿の男たちの何とも言えない視線で、
「……どうした。私に相手してもらいたいのか?」
口元に笑みを湛えながら言ってやれば、男たちは皆揃いも揃ってぶんぶんと首を横に振り、それを真っ向から否定するのだった。
――ふん、つまらん奴らだ。
そんなことを考えながらも、タマには気がかりが一つあった。
それは権之助があの木に書き記した事柄を読みに、昨夜の何者かが再び訪れるに違いないという確信だった。
タマは宿を出ると軽い身のこなしでひと息に宿の屋根に飛び移った。
まだ陽は橙色に辺りを染め上げ、遠く山の稜線に藤色が広がりつつある時刻だった。
タマは屋根の上に仰向けに寝転がり、次第に色を変化させていく空を見上げた。
いつどこにいても、この空だけは変わることがない。
どこまでも広がるこの空は、宗像を滅ぼしたあの男の――吾妻の国や小田原にまで続いているのである。
思えば思うほど憎しみがこみ上げてきて、今すぐにでも奴らの首を斬り落としてやりたくてたまらなかった。
必ずこの想いを果たして見せる。
タマは改めて心にそう強く誓ったのであった。
そして陽は次第に海の向こうへ姿を沈ませ、夜の帳が辺りを覆い尽くした。
今日の夜空は暗雲立ち込め、時折のぞかせる月の光がなければ真に迫るほどの闇を辺りに広がらせていた。
いったい、どれくらい長い時間を屋根の上で仰向けになっていたことだろうか。
うっすらと見える月の影が天の頂に迫ろうとしたその時、
――カサカサカサ
昨夜のあの作為的な草の根が聞こえてきたのである。
物音を立てずに屋根の上から件の木の方に視線をやれば、思っていた通り、昨日と同じ人物と思しき人影がうっすらと見てとれた。
夜目が効くタマはじっとその人影を見つめ、その姿を脳裏に焼き付ける。
黒い衣服に身を包んだその姿は、胸のふくらみから女であろうことが窺い知れた。
――やはり間者か。
女は権之助の残した木のしるしに手をあてると、不意に姿を夜陰に現す。
完全に気配を消しているタマには気付く様子もなく、そのまま城下町の方へと走り出した。
その動きは俊敏にして人と思えぬほど足音が小さい。
……獣憑き。
タマはそれを動きと臭いで感じ取った。
いったい、あの女はどこへ向かうつもりなのか。
タマは刀を脇に差すと足音もなく屋根から飛び降りた。
辺りを見回し、他に誰もいないことを確認してから、女のあとを静かに追う。
決して気付かれないように、その背中を見逃さないように、一定の距離を保ったまま。
やがて女は軽々と城下町の廓の屋根の上に飛び乗ると、飛び跳ねるようにして駆けていく。
タマも同じく屋根に飛び乗ると、そんな女のあとを追い続けた。
追いかけながら、タマは眉間に皴を寄せる。
この方向は――まさか、城か?
あの女、いったい何が目的なんだ。
それに、権之助の正体もいったい――
瞬間、権之助に連れていかれたクロのことが気にかかったが、クロのことだ、そう易々とやられたりはしないだろう。
仮にも”終末の犬”などと呼ばれる獣憑きなのだから。
今はそれよりも、あの女の目的を探らなければ。
タマはじっと女の背中を見据え、足音もなく屋根の上を駆けるのだった。




