第4回
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その男の子は無邪気に笑っていた。
全く悪意のない、心からの笑いだった。
女の子もまた笑っていた。
ふたりは、一緒に城内を駆け回っていた。
家臣の者たちに叱られながら、彼らから身を隠しつつ、追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、祖母の飼っていた古猫をふたりで愛でたり……
男の子が城に来るたび、女の子は男の子とのひと時を自由に楽しむことができた。
男の子は、女の子の許嫁だった。
将来は夫婦となり、男の子の国に嫁ぐことになっていた。
女の子はそれに何の不満も感じてはいなかった。
こんなふうに楽しい日々が訪れるに違いないと、そう固く信じて疑わなかったからだった。
それなのに――
そこでふとタマは瞼を開いた。
静かな夜だった。
室内は男たちのいびきに満たされていたが、それでも宿の外や土間の方からは虫の音が聞こえていた。
タマは上半身を起こし、辺りを見回す。
クロも、権之助も、他の男たちと共に眠っていた。
タマは静かにため息を漏らすと、二振りの刀を両脇に差し、物音ひとつ立てずに宿の外へ出た。
涼やかな風が流れ、タマの浅黒くなった肌を撫でていった。
自身の手足を改めて目にして、暗がりの中でもより黒く見える肌に吐息を漏らす。
あの頃の玉のような肌はもはやどこにもなかった。
あるのは、歴戦を駆け抜けてきた傭兵の細いけれど逞しい腕と脚だけだった。
自分はもう、あの頃の女の子ではない。
そして同時に、あの無邪気に笑っていた男の子への怒りに胸が張り裂けそうだった。
男の子のせいというわけではないことくらい解っている。
あれは男の子の父がタマの父を裏切り、小田原に付いたからに他ならない。
だがそのせいで、タマの国は滅ぼされた。
一族徒党含め、家臣の多くが命を落とすこととなった。
中には小田原に寝返った家臣もいて、それがタマの父の命取りとなったのである。
――宗像。
それはタマのいた国の名であり、父と自分の名であった。
その宗像も、今はもう存在しない。
男の子の国に領地を奪われ、今は小田原の支配下にある。
もう、戻ることもできない国であった。
聞けば、男の子は早くに亡くなった父に代わり国を治めて、父と同じく小田原に従っているという。
タマにとって、小田原とその男の子は、復讐すべき敵に他ならなかったのだった。
タマは拳を強く握りしめて、天高くに輝く月を見上げた。
必ず仇を取って見せる。死んでいった国の皆の為に。
そのために、私は祖母の古猫と契約を交わし、獣憑きとなったのだから。
そのときだった。
かさり、とすぐ近くの林の方から音が聞こえた。
風かと思ったが、明らかにその音は作為的なものだった。
このような町外れの木賃宿近くを訪れる者が果たしているものだろうか。
怪しく思い、タマは物陰に潜みながら気配を消し、音の先へ足を進めた。
林の中を、ひとつの黒い影が動いている。
影は近くの細い木の幹にその手を翳し、何事かを記したのちに再び闇の中へとその姿を消してしまった。
タマは一瞬、そのあとを追うべきか悩んだが、相手の正体がわからないうちにはそれも危険かもしれないとその場にとどまった。
代わりに、影が姿を消してしばらく待ち、音が聞こえなくなってから改めて影のいた木の方へと足を向けた。
暗がりのなか、幹に手をあててみれば、何かがうっすらと彫られている。
しかし、この暗がりの中ではその内容まではうかがい知ることができなかった。
指に当たる感触は、文字のような記号のような、謎の痕跡。
そんななにかのしるしを残していった黒い影。
タマは耳を澄ませてあたりの気配をふたたび手繰り寄せる。
けれどどこにも影の気配はすでになく、ただ虫の音と、かすかに男たちのいびきが聞こえるだけだった。
なにも解らない状態で、憶測で物事を決めつけるわけにはいかない。
タマは彫られた記号を頭の中に刻み込み、そっと幹から手を離した。
これが何なのかわからないが、どうも注意した方がよさそうだ。
思いながら、タマは宿へと戻ったのだった。




