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第五十九話 「婚約のこと」

昼休み。


中庭。


真昼はいつものベンチに座っていた。


手には本。


静かな時間だった。


「見つけました」


聞き慣れた声。


顔を上げる。


紫雲だった。


「こんにちは」


「こんにちは」


紫雲は真昼の隣へ座る。


最近はこうして昼を一緒に過ごすことも増えていた。


「読書ですか?」


「はい」


「面白いですか?」


「それなりに」


真昼らしい答えだった。


紫雲は少し笑う。


「月夜さんは昔から本が好きなんですか?」


「そうでもありません」


真昼は本を閉じた。


そして少し考える。


「母が読んでいたので」


紫雲は驚いた。


真昼が自分から母親の話をするのは珍しい。


「どんな方だったんですか?」


静かに尋ねる。


真昼は空を見上げた。


「優しい人でした」


短い言葉。


だが。


それだけで十分だった。


真昼にとってどれほど大切な存在だったのか。


紫雲には何となく伝わった。


「会いたかったですか?」


真昼は少し黙る。


そして。


「今でも」


そう答えた。


紫雲は何も言わなかった。


ただ。


その言葉を静かに受け止める。


風が吹く。


木々が揺れる。


しばらく沈黙が続いた。


その時。


「紫雲様!」


使用人らしき女性が走ってきた。


「どうしました?」


紫雲が立ち上がる。


女性は周囲を確認してから小声で言った。


「旦那様から連絡です」


紫雲の表情が少し固くなる。


「そうですか」


「本日中にお話があると」


真昼は黙って聞いていた。


紫雲は微笑む。


「少し行ってきますね」


「分かりました」


紫雲は頭を下げる。


そして去っていった。


真昼は再び本を開く。


だが。


何となく紫雲の様子が気になった。


放課後。


教室。


紫雲は席に座ったままだった。


珍しく元気がない。


真昼は少し考える。


そして席を立った。


「紫雲」


「え?」


紫雲が顔を上げる。


「何かありましたか」


真っ直ぐな問い。


紫雲は少し困ったように笑った。


「大丈夫ですよ」


そう答える。


だが。


真昼は納得していなかった。


「本当に?」


珍しく聞き返した。


紫雲は驚く。


真昼がここまで踏み込むことは少ない。


「……少しだけ」


小さく呟く。


「父の話です」


真昼は黙って聞く。


「婚約のことを言われまして」


その言葉に。


真昼の動きが止まった。


婚約。


その単語だけが頭に残る。


「そうですか」


それだけだった。


それ以上何を言えばいいのか分からない。


紫雲も無理に話を続けなかった。


しばらくして。


小さく笑う。


「すみません」


「謝る必要はありません」


真昼は静かに答えた。


「そういう話もあります」


それは事実だった。


家同士。


立場。


責任。


真昼自身も無縁ではない。


だから否定できない。


だが。


何故だろう。


胸の奥が少しだけ重かった。


その感情の正体を。


真昼はまだ知らなかった。

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