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第三十話 「籠の中の鳥」

放課後。


教室には誰もいなかった。


窓から差し込む夕日が、静かな教室を赤く染めている。


五条真昼は席に座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


昼休みの出来事が頭から離れない。


紫雲の婚約。


諦めたような笑顔。


そして。


どこか寂しそうな瞳。


ガラリ。


教室の扉が開いた。


入ってきたのは、


佐倉紫雲だった。


「あら?」


紫雲が少し驚く。


「真昼さん、まだいらしたのですね」


「紫雲も」


「忘れ物です」


そう言って自分の机へ向かう。


だが。


やはりどこか元気がない。


真昼は少し迷った。


何と言えばいいのか分からない。


だが。


聞かなければならない気がした。


「紫雲」


「はい?」


「婚約の件ですが」


紫雲の動きが止まる。


少しだけ苦笑した。


「気にしてくださっていたのですね」


「当然ですわ」


真昼は真っ直ぐ答える。


「貴女は嫌そうでした」


紫雲は窓際へ歩いた。


夕日を見つめながら静かに口を開く。


「嫌ですよ」


その声は小さい。


「ですが仕方ありません」


「家がありますから」


真昼は黙って聞く。


紫雲は続けた。


「父も母も本当は反対なんです」


「ですが家同士の関係があります」


「私だけの我儘で壊してはいけませんから」


そう言って笑う。


だが。


その笑顔は少し悲しかった。


真昼は思う。


まるで鳥籠の中の鳥だと。


自由に空を飛べる羽があるのに。


飛ぶことを許されていない。


不意に紫雲がこちらを見た。


「真昼さんは羨ましいです」


「私が?」


「ええ」


紫雲は頷く。


「自分の意思で生きているように見えますから」


真昼は少し考えた。


そして首を横に振る。


「そんなことはありませんわ」


「え?」


「私にも事情があります」


紫雲が目を瞬く。


真昼は静かに続けた。


「学院へ来たのも、自分の意思ではありませんでした」


「背負っているものもあります」


「自由に見えるだけですわ」


それ以上は話さない。


話せない。


紫雲も深くは聞かなかった。


ただ。


少しだけ意外そうな顔をしている。


「そうだったんですね」


「ええ」


短い返事。


だが。


不思議と気まずくはなかった。


しばらく沈黙が流れる。


やがて紫雲が小さく笑った。


「少し安心しました」


「安心?」


「真昼さんだけが特別な人だと思っていましたから」


真昼は首を傾げる。


「特別ですか?」


「はい」


紫雲は即答した。


「優しくて」


「強くて」


「何でも出来て」


「私にはないものを沢山持っています」


真昼は少し困った。


そんな風に考えたことはなかったからだ。


だから。


正直に答える。


「そんなことはありませんわ」


「私は分からないことだらけです」


「今も」


「貴女が何を考えているのか完全には分かりません」


紫雲が小さく笑う。


「それはお互い様ですよ」


二人は顔を見合わせる。


そして。


少しだけ笑った。


穏やかな時間だった。


やがて。


紫雲が窓の外を見ながら呟く。


「私もいつか」


真昼は黙って聞く。


「自分の意思で生きられる日が来るのでしょうか」


その声は。


誰にも聞かせたことのない本音だった。


真昼は少しだけ考える。


そして。


静かに答えた。


「来ますわ」


紫雲が振り返る。


「どうしてそう言い切れるのですか?」


真昼は迷わない。


「貴女が諦めていないからです」


紫雲の目が見開かれる。


真昼は続ける。


「本当に諦めた人間は」


「そんな顔をしません」


図星だった。


紫雲は息を呑む。


心の奥。


誰にも見せなかった部分を見抜かれた気がした。


本当は。


諦めたくなかった。


本当は。


自由になりたかった。


本当は。


誰かにそう言ってほしかった。


やがて。


紫雲は小さく笑う。


今度は作った笑顔ではない。


心からの笑顔だった。


「ありがとうございます」


夕焼けが教室を照らす。


籠の中の鳥はまだ飛べない。


それでも。


少しだけ空を見上げる勇気を手に入れていた。

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