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三十話「翼人族の少女フィア」


「ぅぅぅぅゔ!!」


 低い、けれど少女の唸り声が、耳に届く。


「ま、待ってってば! そのにんげんさんの手当てをするだけだよっ! 何もしないって!」

「ぅゔぅぅぅ……!」


 リュノは涙目になりながら、それでも必死に翼人(ハーピィ)族の少女へ唸っていた。


 怖かった。


 飛竜も、落ちた渓谷も、初めて見る翼人族も。

 でも何より、カイトが死んでしまいそうなのが一番怖かった。

 だからリュノは、カイトを庇うように前へ立つ。

 そんなリュノの反応に、翼人族の少女は困ったように翼をばたつかせた。


「ほ、ほんとだって! そのにんげんさん、ボロボロなんだよ!? 手当てしないと死んじゃうかもしれないの!」

「……ほ、ほんと?」

「ほんとほんと!」


 少女はぶんぶん頷いた。

 リュノは不安そうにカイトへ振り返る。

 薬草を敷いた寝床の上。

 そこには、全身傷だらけのカイトが横たわっていた。


 裂けた服の隙間から、無数の裂創が覗いている。

 片腕は異様なほど腫れ上がり、敷かれた薬草は血で紫色に変色している。

 どう見ても、助かる方がおかしい重症だった。


「……すごいよね」


 翼人族の少女はぽつりと呟いた。

 峡谷の下で見つけた時も、カイトは最後まで子供を抱き締めていた。

 ……普通なら、離す筈なのに。


「おかーさん、にんげんさんは怖いって言ってたけどなぁ……」


 少女は首を傾げる。

 人族は獣人族を捕まえて、怒鳴って、酷い事をする。

 そう聞かされて育った。

 でも。


「……この人、怖くないよね?」


 少女がそう呟いた瞬間だった。


「……ぅ」


 カイトが微かに呻く。


「あっ」


 翼人族の少女が目を丸くした。

 ゆっくりとカイトの指先が動く。

 重そうに瞼が震え、掠れた呼吸が漏れた。


「お、起きる!?」


 少女が慌てて近寄る。

 一方、リュノはカイトが意識を取り戻したのを確認してすぐに寝床の傍へ駆け寄った。

 ぼやけた意識が、ゆっくり浮上していく。



 ◇



 重い。

 全身へ鉛でも流し込まれたみたいだった。


「……ぅ」


 掠れた声が漏れる。

 鼻を擽る薬草の匂いに遠くから聞こえる風の音。


 ここは、どこだ。


 重たい瞼をゆっくり開く。

 最初に見えたのは、白い翼だった。


「えっ、あっ、ほんとに起きた!?」


 慌てた少女の声。

 俺は焦点の合わない視線をゆっくり動かす。

 岩壁を削ったような洞窟。

 吊るされた薬草に簡素な木棚。


 そして。


「……翼?」

「あ、わ、私は翼人族のフィア!」


 白い翼をばたつかせながら、少女フィアはぺこりと頭を下げた。


「その、渓谷の下に落ちてたから……運んできたの!」


 そこでカイトの意識が一気に覚醒する。


「……っ!」


 飛竜の咆哮。

 灼熱の炎。

 峡谷下へ叩き落とされる浮遊感。

 断片的だった記憶が、一気に脳裏へ蘇る。


「リュノは!?」


 身体を起こそうとした瞬間、全身へ激痛が走る。


「ぐっあ……!?」

「わわっ!? だ、駄目だって! まだ動いちゃ!」


 フィアが慌てて肩を押さえた。

 すると、すぐ傍から小さな声が聞こえる。


「……カイト?」


 視線を向ける。

 そこには、セントールの少女が不安そうな顔で立っていた。

 涙の跡は残っているが、命に別状は無さそうだ。


「……よかった」


 張り詰めていた力が抜ける。

 リュノは俺を見ながら、小さく耳を揺らした。


「ありがとう、カイト…!」

「気にするな」

「……うん!」


 そう言ってリュノは俺の側へ身を寄せる。

 まだ少し震えていた。

 無理もない、怖い思いをしたばかりなんだ。

 その様子を見て、フィアが目を丸くした。


「すごーい……そんな近く行くなんて」

「……?」

「にんげんさん、だよ?」


 フィアは感心したように頷く。


「カイトは友だちだもん!」

「ともだちってなに! おいしいの?」

「友だちは友だち!」

「……はは」


 俺は二人のやり取りに苦笑する。

 その瞬間、ずきりと痛みが走った。


「っ……」

「あー! ほらやっぱり! まだ全然駄目なんだから!」


 フィアが慌てて飛び上がる。

 ぷんすか怒りながら、薬草を俺の額へ、ぺちっと貼り付けた。


「冷てぇ」

「カイト、骨いっぱい折れてるんだよ!?」

「……マジか」

「マジ!」


 翼をばたばた揺らしながら怒るフィア。

 俺は自分の身体を見下ろした。

 薬草で簀巻きにされていた。

 左腕は特に酷く、ほとんど動かない。


 飛竜との戦いを思い出す。


 あの暴風。

 灼熱。

 圧倒的な暴力。


 思い出しただけで背筋が冷えた。


「……生きてるだけマシか」

「うん、普通なら死んでると思う! フィアね、怖くて隠れてた!」


 フィアが悪気なく言った。


「でもカイト、すっごく治るの早いよね!」

「そうなのか?」

「うん! おかーさん達なら、そんな怪我したらもっと動けないもん! てか死んじゃうよきっと!」


 フィアは感心したように頷く。

 俺はぼんやり天井を見上げた。


 体は重いままだ。

 レベルアップによる回復も起きない。

 ……経験値にすらならなかったのか。


 乾いた笑いが漏れる。

 あの飛竜は、格が違いすぎた。


 そこでふと、


「……そういや、フィア。俺みたいな人間、助けて良かったのか?」

「?」


 フィアはきょとんと首を傾げた。


「おかーさん、人間は怖いから近付いちゃ駄目って言ってたけど……」


 フィアはちらりと俺を見る。


「カイト、怖くないし」

「……」

「リュノも守ってたし!」


 その言葉に、リュノが小さく頷いた。


「カイトは友だちだもん!」


 リュノが胸を張る。


「……やっぱ変なにんげんさんだー」

「なんだそれ」


 思わず苦笑が漏れる。


 するとフィアは、

 何かを思い出したように翼を揺らした。


「なんかねー、昔、人間の“ゆうしゃ”って人が来たんだって!」


 フィアは薬草を擦り潰しながら、ぱたぱたと翼を揺らした。


「勇者?」

「うん! すっごく強かったんだって!」


 フィアは翼を大きく広げる。


「ばーん! って山壊したり、魔物いっぱい倒したり!」

「……へぇ」


 俺は苦笑しながら相槌を打つ。

 随分と子供っぽい説明だ。

 だが、フィア達にとっては昔話みたいなものなのだろう。


「でも、その人が獣人をいっぱいいじめたって、おかーさんが言ってた!」

「虐めた……?」

「うん!」


 フィアはこくこく頷く。


「なんかねー、“まぞく”だから悪いやつなんだーって!」

「魔族か……」


 カイトは小さく呟く。

 その言葉には、どこか引っ掛かるものがあった。

 隣では、リュノも不安そうに耳を伏せていた。


「……リュノも、ママからきいた」


 小さな声。


「人間は、こわいって」

「……」


 カイトは少し黙り込む。

 この世界に来て出会った人族は、あの商人と冒険者だけだ。

 正直、あまり良い印象は無かった。


「でもカイトは違うよ?」


 フィアが不思議そうに首を傾げる。


「リュノ助けたし!」

「友だちだからな」

「うん!」

「やっぱ変なにんげんさんだー!」

「なんだそれ」


 思わず苦笑が漏れる。

 すると、くいくい、と服を引っ張られた。

 見ると、リュノが遠慮がちにこちらを見上げていた。


「…大丈夫?」

「……気にすんな」


 カイトは頭を掻こうとして、左腕へ激痛が走る。


「っ……!」

「カイト!?」

「あー! だから動いちゃ駄目だってば!」


 フィアが勢いよく身を乗り出した。

 ぷんすか怒りながら、薬草を俺の額へ、ぺちぺちと再度貼り付ける。


「冷てぇ!」

「カイト、まだ重症なんだからね!?」

「わーってるよ……」

「わかってない!」


 翼をばたばた揺らしながら怒るフィア。

 その様子を見て、リュノがくすっと小さく笑った。

 カイトは少し目を丸くする。

 飛竜の巣で怯え切っていた表情が、ほんの少しだけ和らいでいた。


 その瞬間だった。


 ぐぅぅぅぅ。


 俺の腹の音が盛大に洞窟内へ響く。


「……」

「……」


 フィアとリュノの視線が、同時にカイトの腹へ向いた。


「……腹減った」

「あっ、やっぱり!」


 フィアがぱっと立ち上がる。


「待ってて! すぐ持ってくる!」


 そう言うと、翼を広げて洞窟の外へ飛び出していった。

 ばさり、と白い羽根が風を巻き起こす。

 俺はその姿をぼんやりと眺める。


「……飛んだ」


 自然すぎる動きだった。

 まるで風に溶け込むみたいに、フィアの身体は空へ浮かんでいた。

 単純な羽ばたきじゃない。


「……風が、持ち上げてるのか?」


 そんな事を考えていると、隣からリュノが小さく口を開く。


「……フィア、すごい」

「だな」


 カイトは素直に頷いた。

 すると数分後。


「カイトー! 採ってきたよー!」


 元気な声と共に、フィアが洞窟へ戻って来る。

 両手いっぱいに抱えていたのは、透き通るような青紫色の果実だった。

 小粒の実が連なっており、表面には朝露みたいな雫が浮かんでいる。


「これ、『雫葡萄(ドロップベリー)』!」

「葡萄か?」

「うん!」


 フィアは嬉しそうに頷いた。


「山の上の方にいっぱい生えてるの!」


 カイトは一粒摘み、口へ放り込む。

 ぷちり、と薄皮が弾けた。

 甘い果汁が口いっぱいに広がる。

 後味はすっきりしていて、疲れた身体に染み渡るようだった。


「……うまいな」

「でしょー!」


 フィアが翼をぱたぱた揺らす。

 隣では、リュノも小さな口で一粒ずつ食べていた。

 その姿を見ながら、カイトはふと思い出したように『次元収納』を操作する。

 動く右手を伸ばす。


「そういや、俺も持ってたな」

「?」


 取り出したのは、橙色の果実だった。

 柔らかな甘い香りが広がる。


「『陽果実(サンピーチ)』だ」

「わぁ……!」


 フィアの目が一気に輝いた。


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