二十八話「白銀の獅子」
俺はソフィア達と別れた後、大渓谷へ向けて全力で駆け続けていた。
平野を蹴り抜け、岩場を飛び越え、斜面を駆け上がる。
景色が凄まじい勢いで後方へ流れていく。
レベルは既に四十五まで上昇していた。
『超越体』の影響なのか、息はまだ乱れていない。
今の俺なら、半日程度は全力で走り続けられる気さえした。
それでも、
「クソ、まだ遠いのかよ……!!」
視界の先に見える大渓谷は、未だ小さい……飛竜の姿も、もう見えなくなっていた。
焦りが胸を突く。
遅れれば、リュノは助からないかもしれない。
だから止まれない。
地面を蹴る度、風が爆ぜ、踏み込んだ岩場が砕け散る。
俺はただひたすら、大渓谷へ向けて走り続けた。
その時だった。
「……にゃっ!」
肩へ張り付いていたスノーが、不意に前方へ飛び出す。
「スノー?」
直後、白銀の光が周囲へ溢れ出した。
「__っ!?」
思わず足を止める。
眩い光が渦を巻き、周囲の草木を激しく揺らす。
空気そのものが震え、肌へ突き刺さるような魔力が吹き荒れた。
同時に、スノーの小さな身体がゆっくりと輪郭を変えていく。
伸びる四肢、膨れ上がる魔力、陽光を反射する純白の毛並み。
やがて光が弾けた。
「……お、おい……スノー、おまえ」
そこに居たのは、もう子猫ではなかった。
全長数メートルはある巨大な白銀の獅子。
陽光を浴びた純白の体毛が眩しく輝き、背中には巨大な光翼が広がっている。
翼は実体というより、魔力そのものが結晶化したような姿をしていて、透き通る羽根から零れる白銀の粒子が昼間だというのに幻想的な燐光を撒き散らしていた。
「グルル……」
低く喉を鳴らしたスノーが、俺の前へ身を低くする。
「……乗れって事か?」
「ガゥッ!」
返事をするように、スノーが力強く吠えた。
「っ、分かった!」
俺はその背へ飛び乗る__直後、地面が爆ぜた。
「__うおっ!?」
凄まじい衝撃と共にスノーが駆け出す。
景色が消し飛び、視界がまるで追いつかない。
平野を駆け抜け、岩壁を蹴り、断崖すら跳躍で飛び越えていく。
跳ぶ度に背中の光翼が激しく輝き、白銀の粒子が尾を引くように昼空へ散っていた。
「速ぇ……!!」
飛んでいる訳ではない。
だが、常識外れの跳躍力と速度で、大地そのものを駆け抜けていた。
まるで白銀の流星だった。
スノーの巨体が地を蹴る度、衝撃で地面が抉れ、周囲の草木が吹き飛び、暴風のような風圧が頬を叩く。
呼吸すら乱されそうになる。
「っ……!」
速すぎて、景色が線のように流れていく。
平原を一瞬で駆け抜け、岩山へ到達した瞬間、スノーは迷いなく断崖を蹴った。
轟音と共に白銀の巨体が空中へ躍り上がる。
「うおおっ!?」
一瞬、身体が宙へ浮く。
だが、落下する前に次の岩壁へ着地し、そのまま再加速した。
崖を越え、山を踏み越え、谷すら跳躍で突破していく。
まるで、この世界の地形そのものを無視しているかのようだった。
背中の光翼が輝く度、白銀の粒子が昼空へ舞い散る様子は、神秘的な雰囲気を感じさせる。
「スノー、お前こんな力……!」
「ガゥッ!!」
咆哮と同時に更に加速する。
景色が歪む。
やがて、遥か遠くだった大渓谷がようやく現実的な距離へ近付き始めていた。
「見えてきた……!」
地平線を裂くような超巨大な渓谷。
切り立った岩肌、無数に連なる断崖、渓谷内部へ流れ落ちる幾筋もの滝。
白い水煙が立ち昇り、空には鳥型の魔物らしき影まで旋回している。
「あそこに飛竜の巣が……!」
拳を握った、その時だった。
「……グル……」
「……スノー?」
速度が僅かに落ちる。
いや、違う。
スノーの背中の光翼、その一部が砂のように崩れ始めていた。
「っ!?」
砕けた光が白銀の粒子となって昼空へ溶けるように消えていく。
しかも一枚や二枚じゃない。
徐々に、だが確実に、翼そのものが崩壊し始めていた。
「お、おい、大丈夫なのか!?」
「グゥ……ッ!」
スノーは苦しげに唸り、呼吸も荒い。
それでも止まらない。
限界を超えながら、大渓谷へ向かって駆け続けていた。
「無理するなスノー!!」
心配になり叫ぶが、スノーは止まらない。
むしろ最後の力を振り絞るように再び地面を蹴り、轟音と共に断崖を飛び越える。
次の瞬間、背中の光翼が大きく砕け散った。
「っ!!」
砕けた光翼が白銀の粒子となって昼空へ舞い、スノーの身体が大きく傾ぐ。
「スノー!!」
着地が乱れ、巨体が岩場を滑る。
砕けた岩片が周囲へ激しく飛び散った。
それでもスノーは前脚を叩き込み、強引に身体を支えながら前へ進む。
そして渓谷の中腹、切り立った断崖の側に存在する巨大な洞窟__飛竜の巣へ向かって最後の跳躍を放った。
「ガァァァァァァァァッ!!」
白銀の巨体が宙を翔ける。
崩れていく翼、舞い散る光。
それでもスノーは止まらない。
巨大な巣の外縁へ叩き付けられるように着地した瞬間、白銀の光が一気に弾け飛んだ。
「__っ!?」
舞い散る粒子、縮小していく巨体。
俺は咄嗟に、小さくなったスノーを抱き留めた。
「にゃ……」
弱々しい鳴き声を発し、腕の中でぐったりしているスノーを見て、胸が締め付けられる。
「……頑張ったな」
そう呟き、俺はスノーをそっと胸元へ抱えた。
呼吸はしているので、気絶してるだけみたいだ。
瞬間、スノーが俺の身体へと吸い込まれる。
『使い魔のスノーが休眠状態に入りました。回復の為、マスターである貴方の内へと退避します』
俺は少し驚いたが、確かに身体の中からスノーを感じる。
逆に俺の中で休んでくれていた方が、スノーの心配をせずに済むので助かった。
「後は俺の仕事だ」
胸に手を当てスノーにそう呟くと、静かに立ち上がった。
周囲を見渡した瞬間、思わず眉を顰める。
「……ひでえな」
飛竜の巣__そこは想像以上に悲惨な空間だった。
巨大な骨、砕けた鎧、潰れた盾、折れた槍、荷物ごと引き裂かれた馬車。
飛竜に喰われたのだろう大型魔物の死骸まで、そこら中へ無造作に転がっている。
腐臭混じりの生暖かい風が吹き抜け、洞窟内部からは獣臭と血の臭いが漂っていた。
そして、奥から低い唸り声が響く。
「……」
俺は無言で剣の柄を握る。
その時、巣の端から「……っ、ひっ……」と微かな泣き声が聞こえ、視線を向けると、崩れた岩陰に小柄な影が震えながら蹲っていた。
「……良かった無事だった」
どうやら間に合ったようだ。
リュノは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、怯え切った瞳でいたが、俺の姿を見て、瞳に希望が宿る。
リュノを連れ去った飛竜はすぐ側に居て、涎を垂らしながら唸り声を響かせている。
「大丈夫だリュノ、すぐに助ける」
俺はそう伝え、脚に全ての力を巡らせ、洞窟の奥へと突貫していった。




