二十三話「幻想の森と巨湖の民」
翌日、ルド達の話を聞いた俺達は、セントール族が居るという巨湖の集落へ向かう事になった。
この三日で、拠点の景色も少し変わった。
ドワーフ達が手を加えた事で、廃村だった場所に少しずつ生活の気配が生まれ始めている。
さて、巨湖へ向かう途中、俺達は小さな森林へ足を踏み入れていた。
禁域の森ほど危険な気配は無い。
その代わり、森の中には幻想的な光景が広がっていた。
木漏れ日の差し込む薄暗い森。
その中を、青や緑、淡い金色の光がゆっくり漂っている。
「……綺麗じゃの」
ソフィアが感心したように呟いた。
よく見ると、それらは蝶だった。
透き通る羽根から淡い燐光を零しながら、ふわふわと宙を舞っている。
「精霊蝶じゃな」
ルドが目を細める。
「滅多に捕まらんぞ」
「……きれい」
アリシアは目を輝かせながら、蝶を見つめていた。
その瞳は、まるで宝石でも見つめるように輝いていた。
淡い光が羊耳へ反射し、金色の髪を柔らかく照らしている。
すると、一匹の精霊蝶がアリシアの近くへふわりと飛んできた。
「……っ」
アリシアの耳がぴくりと動く。
けれど、触ろうとはしない。
逃げないよう、じっと見つめるだけだ。
「欲しいのか?」
「……っ」
アリシアがびくっと肩を揺らした。
だが、すぐに遠慮するように視線を下げる。
「……に、げる……から」
小さな声だった。
欲しい。
けれど、自分では捕まえられない。
だから最初から諦めている__そんな響きの声だった。
「なら捕まえるか」
「……え?」
きょとん、とアリシアが固まる。
俺は精霊蝶の少し前方へ、次元収納の入口を開いた。
黒い穴が空中へ静かに浮かぶ。
「おお、収納系スキルか」
ルドが感心したように頷く。
「便利じゃよな。儂らの国にも魔法箱持ちは稀におる」
「ソフィアも使えるぞ」
「なに?」
ルドが驚いた顔でソフィアを見る。
ソフィアは少し得意げに胸を張った。
「まぁの」
「ソフィア、お主隠しておったのか」
「知られると面倒じゃからの」
「確かにそうじゃな」
どうやら、この世界ではかなり珍しいスキルらしい。
そのまま俺は、精霊蝶を驚かせないよう、ゆっくりと入口を横へ滑らせる。
淡い燐光を零しながら漂っていた精霊蝶は、そのまま吸い寄せられるように黒い穴へ入っていった。
「よし」
収納を閉じる。
「……捕まえた?」
アリシアが目を丸くする。
「ああ」
俺は再び収納を開いた。
すると。
中から精霊蝶が、何事もなかったようにふわりと飛び出した。
淡い燐光が、森の木陰を照らす。
その瞬間、
「「「……は?」」」
全員の動きが止まった。
「なっ……!?」
最初に叫んだのはソフィアだった。
「い、生き物を入れたじゃと!?」
「ん?」
「お、お主っ、今、精霊蝶を収納したよな!?」
「したな」
「普通の魔法箱なら死ぬぞ!?」
ソフィアが本気で叫ぶ。
ルド達も信じられない物を見る顔をしていた。
「待て待て待て……」
「生物保存だと?」
「そんな収納聞いた事ないぞ……!」
ゼムとドムまで目を剥いている。
「え、そうなのか?」
俺は収納から出てきた精霊蝶を見る。
普通に元気そうだが。
「当たり前じゃ!!」
ソフィアが頭を抱えた。
「儂の魔法箱なんぞ、生肉を入れても鮮度は落ちるんじゃぞ!?」
「いや知らんが……」
「お主、本当に何なんじゃ……」
呆れたようにソフィアが呻く。
だが、そんな騒ぎの中、アリシアだけは、ふわふわ漂う精霊蝶へ夢中だった。
「……ぁ……」
蝶はアリシアの周囲をゆっくり飛び回り、やがて肩へ止まる。
「……っ」
アリシアの耳がぴん、と立った。
その顔は、今まで見た事がないくらい嬉しそうだった。
「……ありがとう、ごしゅじん」
小さく笑うアリシアを見て、俺は苦笑する。
「そんなに気に入ったのか」
するとルドが、感心したように頷いた。
「精霊蝶は、心の穏やかな相手へ寄る習性があるんじゃ」
「へぇ」
「嬢ちゃん、好かれとるの」
アリシアは照れたように俯きながら、それでも嬉しそうに精霊蝶を見つめている。
俺はアリシアが喜ぶならと、『次元収納』を操り、周辺に居る数匹を捕獲する。
そして、地面に絵を描き、ソフィア達、ドワーフに尋ねた。
「なあ、こんな感じの虫籠って作れるか?」
「ふむ、これなら小一時間あれば可能じゃ。素材もここに生えとる枝や蔦で作れるぞい」
「どこでも生きられるのか?」
「うむ、分類的には小精霊じゃからな。魔素があれば生存可能じゃ」
「餌は?」
「それは、ほれ。そこに咲いとる『精霊花』じゃ、その花の蜜を吸って体内の魔素を補充しとる」
「じゃあ、この『精霊花』も取っておくか」
俺は樹木から枝を拝借し、その樹木に巻き付いている蔦に加えて『精霊花』も採取する。
「……?」
アリシアは良く理解してないのか、首を傾げていた。
「村で育てる方が楽しいんじゃないか?」
「……!」
「おっと」
アリシアは俺の提案が嬉しかったのか、足元に抱きついてきた。
初めて抱きついてくれた。
結構感慨深い。
「そろそろ行くぞい。巨湖までは結構かかるでな」
「分かった」
ルドから言われ、俺達は再び森の奥へ進み始めた。
精霊蝶が飛ぶ幻想的な森を抜けると、徐々に空気が変わっていく。
湿り気を帯びた風。
遠くから聞こえてくる水音。
少し土に滑り気がある。
「近くは湿地帯じゃからな。足元を取られん様にの」
確かに視線の先には水溜まりの出来ている場所がいくつもある。
だが、次第に足元の滑り気がなくなり、馴染み深い土の地面へと変わっていく。
「もう少しで巨湖じゃ」
やがて、木々の切れ間から眩い光が差し込んだ。
森を抜けた瞬間__視界が一気に開ける。
「……おぉ」
思わず声が漏れた。
そこに広がっていたのは、まるで海のような巨大な湖だった。
青空を映した湖面が陽光を反射し、白く煌めいている。
湖畔には背の低い果樹が群生しており、赤い果実が鈴なりに実っていた。
「……あれは梨苺じゃな」
ルドが湖畔を眺めながら呟く。
「巨湖ロタン周辺にしか生えん果実でな。水気が多く、甘味も強い。セントールの主食みたいなもんじゃ」
「へぇ……」
よく見ると、果樹の周囲には幾つもの人影があった。
人間の上半身。
そして馬の下半身。
セントール族だ。
真紅や灰褐色の体毛を持つセントール達が、枝から梨苺を摘み取っていた。
片手で枝を押さえ、もう片方で赤い実をもぎ取る。
そのまま口へ放り込み、果汁を味わうように耳を揺らしている。
中には子供へ実を渡している者も居た。
「……平和そうじゃの」
ソフィアがぽつりと呟く。
だが、その空気が変わったのは次の瞬間だった。
「……っ」
一人のセントールがこちらへ気付く。
その視線が俺へ向いた瞬間、周囲の空気が張り詰めた。
「人族……?」
低い声が漏れる。
梨苺を摘んでいたセントール達が、一斉にこちらを振り向いた。
赤い果実を持ったまま固まる者。
子供を背へ庇う者。
警戒するようにじり、と距離を取る者。
明らかな敵意ではない。
だが、その目には強い警戒が浮かんでいた。
「……ルド?」
その時だった。
一頭の大柄なセントールが、ゆっくりこちらへ歩み出る。
他のセントールより頭一つ大きい巨体。
灰褐色の体毛。
無数の古傷が走る肉体。
その姿だけで、周囲のセントール達が自然と道を開けていた。
「久しいの、ケン」
ルドが片手を上げる。
すると、セントールの男__ケンは僅かに目を見開いた。
「……まだ生きていたか」
「お主こそ、老けたのぉ」
二人は口元だけで笑う。
どうやら旧知の仲らしい。
だが、ケンの視線はすぐ俺へ向いた。
「……人族を連れて来たのか」
低い声だった。
周囲のセントール達の空気が再び張り詰める。
「そう警戒するでない。こやつは少々変わっとるが、悪い男では無い」
「人族が、か?」
ケンの声には露骨な疑念が滲んでいた。
その時。
「……ぁ」
小さな声が響く。
見ると、若いセントールの少女が、アリシアをじっと見つめていた。
短い薄紅色の髪に真紅の馬体。
まだ幼さの残る顔立ち。
少女はアリシアの羊耳を見つめながら、不思議そうに首を傾げている。
その手には、食べかけの梨苺が握られていた。
「……ひつじ?」
アリシアはびくっと肩を震わせ、俺の後ろへ半分隠れた。
「……ご、ごしゅじん……」
アリシアが喋ると、セントールの少女はぱっと耳を立てる。
「しゃべった!」
「……っ」
さらに身を縮めるアリシアの頭を、俺は軽く撫でた。
「大丈夫だ。怖がらなくていい」
「……ん」
耳をぺたりと伏せながらも、アリシアは少しだけ落ち着いたようだった。
その様子を見ていたセントール達の空気が、僅かに変わる。
「……確かに、人族にしては変わった雰囲気の男だ」
大柄なセントールが低く呟いた。
「オレはケンタウロス種のケン。この群れの長をしている」
灰褐色の巨体を揺らしながら、ケンは真っ直ぐ俺を見る。
「お主、名は?」
「俺はカイトだ」
「そうか……してカイト。この場所へ来た目的はなんだ?」
警戒は解かれていない。
だが、先ほどより声は幾分柔らかかった。
「俺は、この先の森を抜けた場所にある水辺の廃村に住んでてな」
俺は視線を廃村の方へ向ける。
「ここに居るソフィア達ドワーフと、羊人族のアリシアで村を復興してる最中なんだ」
「ふむ……禁域側へ住むとは、酔狂な人族だな」
ケンが細く目を眇める。
「……いや、お主。かなり強いな?」
「まぁ、死なない程度には鍛えてる」
するとソフィアが呆れたようにため息を吐いた。
「素手で突牙猪を倒した奴が何か言っとるの…」
ソフィアが即座に突っ込み、アリシアは隣でこくこく頷いた。
だが、遅れて意味を理解したのか、アリシアは目を丸くして俺を見上げる。
俺は咳払いする。
「……ま、まあ、それは置いておいてだ」
話を戻す。
「建物の方は、ソフィア達のお陰で目処が立った。だが衣類関係は不足しててな」
「……ふむ。我らセントールへ衣類を分けて欲しいと?」
「いや、違う」
俺は首を横へ振る。
「ここから北へ進んだ平原盆地に、『眠羊』って魔物が居るんだ」
その瞬間、ケンの目が鋭くなった。
「……うむ。我らも知っている」
低い声。
「貴様、まさか数の減った眠羊を狩るつもりか?」
周囲のセントール達の空気も変わる。
だが、俺は首を横へ振った。
「それも違う」
「?」
「俺達の村には水辺があるからな。捕まえて放牧しようと思ってる」
「……放牧?」
ケンが目を見開く。
「毛を貰えれば衣類になるし、数が増えれば安定して素材も取れる」
しばし、沈黙が落ちた。
セントール達が互いに顔を見合わせる。
「……そんな事を考える人族も居るのか」
ケンが驚いたように呟いた。
「そこでだ。アリシアは世話自体は出来るんだが、群れの管理は苦手でな」
するとケンは、納得したように鼻を鳴らす。
「……成程。我らへ、眠羊が逃げ出さぬよう協力を求めに来た訳か」
「まぁ、そんな感じだ」
ケンは腕を組み、暫く考え込む。
「……ふむ。少し考えさせて貰えるか?」
「ああ、構わない」
するとケンは、小さく口元を緩めた。
「ひとまず今日は我らの村へ来い」
「ん?」
「カイト。貴様に少し興味が湧いたのでな」




