春の匂いは、名残惜しげに
「サクラ。君が思うほど、この世界は美しくはないよ」
目の前で広がる景色に、小さく言葉を転がした。
謁見の間で語られたのは、愛でも、慈悲でもなかった。
「サーディル家の長女――サクラ・サーディル」
父王の声は、どこまでも平坦だった。
「黒髪という特異性を鑑み、これまで王家は“管理下”に置いてきた」
管理。
その言葉に、胸の奥がひくりと引き攣る。
「シオン殿下との婚約も、その一環であった。」
重臣の一人が、書類をめくりながら続ける。
「黒髪は希少であり、同時に不安定要素でもある。
王家の血を引く者の婚約者とすることで、彼女は“楔”となる」
楔。
脅威にならぬよう、動かぬよう、打ち込まれた存在。
「民にとっても安心材料となる。黒髪の娘は王家に庇護されている、と」
――違う。
庇護などではない。
これは、檻だ。
自由に飛べたはずの鳥の羽を折るように。
あの日の俺の祈りのように。
「だが――」
別の声が入る。
「ロストカラーシンドロームの報告を受け、状況は変わった」
空気が、さらに冷えた。
「色を失う病。
現時点での報告では、目覚めたようだが。声にも音にも反応しないという。
つまり、彼女は“機能しない”」
機能。
人間に使う言葉ではない。
「もはや脅威ではない、という判断だ」
父王が、結論を告げる。
「ゆえに、婚約は不要。白紙とする」
「――そして」
一拍。
「表向きは“静養”。
実際には、王都から遠ざける」
どこかへ。
誰の目にも触れぬ場所へ。
「安全だ。
監視が可能で、外部との接触は制限される」
それは、一生、戻れない場所を意味していた。
「彼女はもう、“黒髪の脅威”ではない」
父王は、そう締めくくった。
「だからこそ、
王家がこれ以上関わる理由もない」
――ああ。
だから、あんなにも簡単に切り捨てられる。
病に倒れ、
心を閉ざし、
何も感じなくなったから。
……ふざけるな。
拳が、知らぬ間に強く握られていた。
サクラが、どれほどのものを抱えてきたか。
どれほど、笑って、耐えて、“脅威にならぬよう”生きてきたか。
そのすべてを無視して。
「都合が良くなったから、いらない、か」
ぽつりと零れた声に、重臣の一人が眉をひそめた。
「殿下、これは国家の判断です」
「……分かっています」
ゆっくりと顔を上げる。
「シオン。お主には新しく…」
「陛下。私に、一年の時間をいただけないでしょうか。」
言葉を遮るように、視線を父王に向ける。
「…何故。」
「彼女とはよい関係を築いて参りました。それを、すぐに棄てることなど。どうか、心の整理に時間をいただけないでしょうか。」
するすると言葉が滑り出す。
「…それは、ならぬ。」
冷えた音が広がる。それも、想定はしていたが。
「…陛下。黒髪の彼女が目覚めない今、この国の平和は私が担うこととなるでしょう。」
サクラがいない以上、次の脅威は俺自身なのだから。
もしここで魔術を暴発させてしまえば、止められるものはいない。
「ただ、一年。私が望むものはそれだけです。以降、私はこの身を国へと捧げましょう。…新しい婚約も全て。」
ただ、ゆっくりと一歩前に出て、父王を真っ直ぐ見る。
「…一年だ。」
「ありがとうございます。陛下。」
小さなざわめきが広がる。
そのざわめきを背に謁見の間から退室する。
彼女は、脅威ではない。
楔でも、道具でもない。
「サクラは、愛する人だ」
***
冷えきった部屋に、彼女はいた。
静かに、精巧な人形のように。
ただ、そこにいた。
「サクラ」
帰ってこない声に、小さく息を吐く。
それから、取り留めのない話を溢す。
サクラのいなくなった学園。
少しずつ陽が長くなったこと。
庭に咲き始めた花々。
「…なぁ、そこはサクラにとって優しい世界か?」
ふと、手を取る。
少しひんやりとした指先。
第二王子の俺としてなら、触れることすら戸惑っていただろう。
「…一年。それだけの時間しか残せなかった。」
たった一年。
たった、365日。
『婚約は、白紙とする。』
「サクラ、俺は…サクラを失いたくない。…サクラ以外は、嫌なんだ。」
王家が切り捨てるなら、俺が取り戻す。
それが、王子としての死刑宣告になるとしても。
…俺が、いなくなっても。
「…サクラは、赦さないかもな。」
サクラの頬を、そっと撫でる。
きっと、俺は情けない顔をしてるんだろうな。
けれども、この国が彼女を“閉じ込める”というなら。
――俺は、彼女のいる場所そのものを、世界にする。
「それでも、俺はもう、間違えない。」
***
「シオン、あれはどういうつもりだ」
執務室に戻れば、グレン達が待ち構えていた。
「グレンか。あれ、とは?」
「惚けるな。サクラのことだ。」
「ねぇ、シオン。サクラと婚約破棄って本当に?シオンがサクラを見捨てるわけないだろう?それに、サクラは…」
「国が決めたことだ。」
ジェイドが口にする前に遮る。
そんなこと、言われなくともわかっている。
「シオン、お前っ!サクラを切り捨てて、国をとるつもりかっ。サクラは、お前の…っ。」
きつく掴まれた襟首。
声を荒げるグレンに詰められる。
「…グレン。」
その手を振り払うように声を強めれば
「俺は、認めない。」
それだけ言い放ち、グレンは執務室から出ていった。
「グレン!…シオン、君はそれでいいの?」
「…」
「そう」
俺の沈黙に、何か諦めたように呟き、ジェイドも執務室を出ていった。
部屋に残ったのは、俺とユージン。
「…なぁ、シオン。シオンはそれで、笑えるのか?」
ユージンが静かに問いかけてくる。
その声とは裏腹に、俺を見据える視線は鋭いもので。俺の心まで読まれるようだった。
「…」
「そう。わかった。お前が選ぶなら、それが答えなんだろうな」
静かに落とされた声に小さく笑った。
そうだな…。
春の柔らかい匂いを少し名残惜しく思うよ。




