腕のない人形2
その日の昼休み、私は喫茶店に行くために、エレベーターを待っていた。私のバッグの中には松沢という新入社員が女子社員全員のために贈ったオレンジピールが一袋入っていた。昼食に出ようと席を立ったときに彼が事務員のフロアに入ってきたのだ。彼はそこにいる一人一人に配ってから、いない人の分も置いて行った。
隣に誰か来た。横目で見ると、背の高い男だった。顔もチラッと見る。整った顔立ちをした、しかしそれだけでこれといって特徴のない男だった。よく言えば無駄のない男。だが、清潔すぎてなんだか味気ない。
エレベーターが到着する。潔癖男が「どうぞ」と先を譲ってくれた。私は礼を言って乗り込んだ。
「何階です?」
「一階お願いします」
エレベーターが閉まって外の空間と遮断される。
二人分の二酸化炭素が小さな箱の中に充満し、室内の空気は重々しかった。フツーの女の子はこういう男の人と二人きりになれただけで舞い上がっちゃうんだろうけど、私には重い。早く一階着いてくれないかなぁ。
そう私が思ったとき、彼も沈黙に耐えきれなかったのか、潔癖クンが話しかけてきた。
「あの、普段は外でお昼を食べるのですか?」
「喫茶店です。会社の近くなんですが」
いきなり話しかけられてきたので、私は毛先のカールした髪を指で弄ってしまった。髪を触るのは緊張した時の私の癖なのだ。
「へぇ、そうなんですか。よければご一緒しても大丈夫ですか?」
断る理由もなかったので「いいですよ」と返事をした。
外は炎天下。二人で話しながら行くのだから、鞄の中のオレンジピールはドロドロに溶けてしまうのだろうなと思った。
相手の男性は村上というらしい。とても格好いい新入社員と噂の人物だったので、私も名前だけは聞いていた。
店に着き、扉を開けようとすると、村上君はすかさず扉を開けて、先に私を中に誘導した。「随分慣れているんですね」と軽口を叩くと、彼は「そうでもないです。それが男ってものですよ」と笑った。
奥の席に着き、私はメニューを広げる。村上君が「おすすめは?」と聞いてきたので、私は少し悩んでから「ナポリタン」と答えた。
「定番ですね」
「そうですね。あとは食後にパフェとかいいんじゃないかな?」
「へぇ。俺、甘いの好きですよ。それにしようかな」
「じゃあ私もそうしよう」
ウェイトレスに注文をしてから、村上君とはいろんな話をした。学生時代のサークルや趣味、好きな食べ物、好きな音楽の話など、ほとんど当たり障りのないことだが、一番困ったのはやはり恋人についての質問だ。無難に今は居ないといったが、不自然じゃなかっただろうか。
やがて、ウェイトレスがナポリタンとパフェを運んできた。「おいしそうだ」と村上君は言う。
「いただきます」
村上君がナポリタンを口につけてから私も倣って口につけた。「うん、懐かしい味だ。美味しい」と人の好さそうな笑顔を見せた。
食後のパフェでは、彼は真っ先にオレンジを手に取ってから、じゅるっと音を立てて食べ始めた。少し控えめに、だが、なんとなくわざとやっているように思えた。滴る濃密な果汁が彼の指をしっとりと濡らしていた。
店を出てから二人で並んで歩いていると、彼は「美味しかったです」と心底嬉しそうに言った。
「それはよかった」と私が相槌を打つと、今度は少しそわそわし始めて、「あの、また連れて行ってくれませんか? 今度は二人でゆっくり」と誘ってきた。
彼はとても礼儀正しい人だった。少なくとも、第一印象は誠実で爽やか。しかしそんな彼の人柄とは裏腹に、その視線には私に対する肥大し過ぎた興味と期待が混じっていた。そしてそれらの感情がズボンの下で濃密になっていくのがわかった。
返事をする前に鞄の中で着信音がした。ショートメールだった。「今夜、暇?」と味気ない文書があったので、私も対抗して「うん」とだけ送った。
「あの」と村上君の声がする。玩具を欲しがる子どもみたいだとも思った。
「ごめんなさい。まだ、わからなくて」
この顔がベッドの上でどんな表情をするのか、想像するのが怖かったのだ。
彼の端正な顔が屈辱に歪む。今まで、誰にも断られたことない美青年の悲しげな表情だった。
「そうですか、ではまた予定が合う時にお食事でもしましょうか」
私の「わからない」を「予定がわからない」と勘違いしたようで、そう言った。
そういうことではない、とは今更言えなかった。




