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腕のない人形1

「オレンジ」のつづきです。


飲んでも飲んでも潤わない秘蜜のジュースを飲み続ける美崎。

不毛な無関係を続ける女の物語です。


すべての「無」を愛する人へ。

  富岡いおりの夢を見た。夢の中で、私たちはキスをした。確か、彼が運転席に座っていて、私が助手席に座っていた。私が「約束よ」って言って、小指と小指を絡ませて、指切りをしたら、ふいに彼が顔を近づけてきて軽く触れる様なキスをした。豊潤な唇が私の華奢な唇を包んでくれる。それは今までの厭らしくしつこく絡み合うキスよりドキッとしたし、何より相手は富岡いおりだったから余計だ。あれは確かに夢だった。なのに、こんなに感触が残っている。富岡いおりの夢は彼の実態がなくても十分なのだ。

  今にも溢れだしそうな幸福感を胸に起きた私の隣には、背を向けて寝ている元恋人の姿があった。寒々しいほど白い彼の背中を見つめていると一気に興ざめしてしまった。夢の中の充足感が、その素肌に吸い取られてしまったようで、手元の枕を投げつけてやりたい気もした。

  元恋人は起きない。私は、彼を起こすこともなく、さっさとシャワーを浴びると、乱雑に散らばった下着とブラウス、スカートを身に着けて、化粧をきっちりしてから部屋を出た。

  彼の部屋を出ると、まだ今日が始まったばかりの精鋭とした空気が私を包んだ。しなった野菜が冷水に浸かったような気分になる。

  私が何故、元恋人と今でも関係を継続させているのか、他の人が聞けば、恐らく私を軽蔑するだろう。聞き苦しい言葉で罵られるかもしれない。

 確かに私は学生時代から恋人には困ったことがない。最初のうちは相手も私も真剣だったが、一年もすると、互いに興味や関心を持たなくなってしまった。それが何回も、色んな相手と繰り返されて、いつの間にか恋人を持つことが面倒臭いと思うようになっていた。

 終わる関係は無意味な関係だと思うようになり、私は偽りの相手を作り、恋愛の真似ごとをするようになった。

 こういう相手は楽だ。何にも縛られずにセックスができる。演技をしたり、いちいち相手の浮気を疑ったり、別れを案じなくてもいいからだ。

 一度家に帰り、着替えてから家を出た。会社に着いたのは朝礼二十分前のことだ。

 会社に着いてフロアへ向かうためにエレベーターを待っている人がいた。私の一つ年上の先輩だった。先輩は私や他の女子社員が恋愛話や最新コスメやスイーツの話をしていても乗ってこないので、何考えているかわからない。唯一、香織先輩という人と話しているのを見たことがあるが、どういう話をしていたのかいまだに謎だ。香織先輩の方はやけに盛り上がっていたように見えたが。

「先輩、おはようございます!」

 私は眠気を感じさせないようなハッキリとした声で挨拶したのに、先輩が振り向いたのは三秒ほどしてからだった。

「あぁ、美崎ちゃんか。おはよう」

 表情にこそ出ていなかったが、そこには落胆したような風情があった。まだ朝だというのに、体全体が光を 遮断しているようだった。その頬には若干赤みが差していた。

「今日、チークでもしてます?」

 自分の頬を指さしながら聞くと、先輩はきょとんとした表情になった。

「いえ、どうして?」

「だって先輩、顔赤いですよ」

「チークなんて私塗らないけど」

「じゃあ、熱でもありますか?」

「ん、どうだろうね。そんなに体調悪いわけではないけど」

 そう言ったまま先輩は黙ってしまった。一体この人は何を考えているのだろう。エントランスの冷房がかかり過ぎているせいか、一瞬にして寒気が私の全身を駆け巡った。

 到着したエレベーターに乗り込み、ドアが閉まると、私はすぐさま壁面の鏡でメイクのチェックをした。今日は化粧ノリがいい。それに、目の充血もしていない。昨日は残業後に元恋人に会ったので、充血が心配だったのだ。かつて、友人や恋人、同僚などいろんな人からお人形のような眼だと褒められたことがある。人が言うにはガラス玉のように濁りがないらしい。

 「先輩って仕事終わったらすぐ帰りますよね。何か急ぎの用事でもあるんですか?」

 この先輩に恋人がいるように思えないし、それ以外の存在がいるようにも思えなかったが聞いてみた。

 「特にないかな。早く帰りたいから早く仕事を片付けているだけ」

 案の定、そんな答えが返ってきたため「そうなんですね」と予め用意しておいた台詞を言った。

 オールナイトとは無縁の先輩は規則正しい時間に寝ているのだろう。決まった時間に冷たい布団の中に入る。そんな味気ない夜はもう何年もしていない。

 私はとっくに静かな夜の過ごし方を忘れてしまっていた。

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