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ある日の昼休みのことであった。十二階にある食堂へ向かうために、三階フロアにて一人でエレベーターを待っているときのことだった。

その日も彼のことを考えていた。まるで、彼が幻影として私の日常にピッタリと張り付いたようだ。

最近ではキーボードを打つときも上司に茶を淹れるときも呼吸をするように彼のことを考える。心の中でも病的なほど彼を追いかけていた。

背後に人が来た気配がした。だが、わたしにはそんなことはどうでもよかった。

ピンポーンと底抜けするような軽快な音を鳴らしエレベーターが到着した。ゆっくりと扉が開き、素早く乗り込むとエレベーターの扉付近を陣取った。

「何階ですか?」

と後から入ってきた人に聞く。

「十二階をお願いします」

その人は男だった。背の高い、涼しげな印象の男だった。

私は迷いもなく十二階と閉のボタンを押すと、ゆっくりと扉が閉じられた。

腹の底から唸るような古めかしい音が聞こえる。箱がロープに吊られている音だが、これほどまでに恐ろしい気持ちになるのは今までにない。加えてゆっくり上っていくので地を這うような恐ろしさが私を徐々に侵した。

四階に到達するところで「あの」と声がした。背の高いあの男のものだった。

「失礼ですが、事務の方ですよね?」

そんな突飛なことを聞かれたので、「はぁ」とどっちつかずの返事をしてしまった。

「やっぱり。三階フロアからご一緒だったので、そうかなって思っていたんです」

警戒を解こうとしてか男ははにかんだ。

五階に到達する。エレベーターは止まる気配がない。

「それが何か?」

「広報の松沢がそちらに粗品をおすそ分けしたそうで」

ふと、あの毒々しいオレンジピールチョコレートが思い浮かんだ。結局私は食べなかったが、他の皆は浅はかに喜んでいた。

「あの、松沢さんの関係の方でしょうか?」

 男はこんなことも知らなかったのかというような驚いた顔を一瞬間見せた。それは、女のくせに料理が出来ないのか、という定年前の上司が見せる様な表情だった。

 「あぁ、これは失礼。僕は営業部の村上と申します」

 この前、香織と話していたもう一人の人物だ。名前だけを聞いて、確かに女子社員からはキャーキャーと騒がれそうな雰囲気がした。

「僕は松沢とは同じ高校でして、昔から絡みがあったんですよ。昔っからアイツの周りには女の子がいましたね」

「はぁ」

聞いてもいないのにベラベラと喋る村上にいい気はしなかった。喋るたびに毒素を吐くこの男のせいでエレベーター内の空気が随分と淀んだ気がする。

「そうだ。よろしければ、今度お食事でもどうですか? お友達もご一緒に。僕も連れてきますので」

私は唖然となった。

その一言が私には肉慾のようなものに感じてしまえた。男の笑みが醜く歪む。それに巻き込まれるように周囲の風景も歪んできた。マーブル柄の風景に卒倒しそうなくらいだった。

ピンポーンと暢気な音が響く。ゆっくりと扉が開くと、村上は「あぁ、もう着いてしまった」と言ったあと、返事は後日聞くという趣旨のことを言い残し、何事もなかったように食堂へ消えていった。私は急いで閉と一階のボタンを押した。扉が閉じ、箱が下がり、階を通過する。一呼吸置くようにして一回一回動作するのでとても遅い。私の苛立ちが砂時計のように募っていく。

一階に着き、私は先ほどの空気を拭うように無我夢中で走った。一刻も早く会社から出たかった。


いつの間にかあの喫茶店の前にいた。


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