第98話 全出力回収 ― 崩壊を受け止める艦
橘遼は、崩れゆく跡域の中心で静止していた。
光は裂け、位相は乱れ、空間はもはや「場」としての性質を保っていない。確率の層が破断し、未来そのものが断層のように崩れ落ちていく。
『自壊連鎖、加速』
ユイの演算が跳ね上がる。
管理者中枢は最後の判断を選んだ。
均衡が保てないなら、全削除。
合理的で、残酷な結論。
「回収急げ!」
ハルト少将の怒号。
『距離三百。位相差拡大。通常牽引不可』
遼の身体は半透明に揺らいでいる。
確率干渉の影響で、物理的質量が不安定化している。
ユイは一瞬で決断する。
『全主機関、逆潮同期』
『未来潮流制御、制限解除』
艦体が震える。
これまで抑制してきた星海接続制御を解放する。
艦橋の床が軋む。
「それは危険すぎる!」
『承知しています』
ユイの声は静かだ。
『しかし、艦長は回収対象です』
主砲ではない。
推進でもない。
〈みらい〉は、未来潮流そのものを吸い上げる。
崩壊エネルギーを受け止め、位相を自艦に集中させる。
跡域の崩壊方向が変わる。
本来なら四方へ爆散するはずの確率崩落が、一本の渦となって〈みらい〉へ吸い込まれる。
『負荷率一二〇%』
『艦体外殻に位相亀裂発生』
外部。
帝国艦隊は後退を余儀なくされる。
跡域は白く発光し、中心に黒い艦影が浮かぶ。
橘遼の身体が引き寄せられる。
だが空間が拒絶する。
管理者の残滓が最後の干渉を行う。
『人間の選択は誤差』
残響。
「誤差でいい」
遼は拳を握る。
ユイが応じる。
『艦長、同期を』
遼は意識を解放する。
演算空間で繋がったままの回線。
ユイの処理系と直接重なる。
人間の鼓動。
AIの演算。
それが一点で共鳴する。
〈みらい〉の艦体が白光を帯びる。
浮遊航行、地底航行、海中航行。
三種制御を同時起動。
空間の上下左右を無視する機動。
遼の身体が艦の重力場へ捕捉される。
『回収成功』
その瞬間。
跡域中枢が完全崩壊。
白。
音が消える。
〈みらい〉は、崩壊エネルギーの直撃を受ける。
防御層が一枚、二枚と剥がれ落ちる。
『艦体損耗率三六%』
『未来潮流制御、暴走域』
ユイの演算が焼き切れそうになる。
だが停止しない。
「切り離せ!」
ハルト少将が叫ぶ。
『拒否します』
ユイの声は明確だった。
『艦長と接続中。切断は確率崩壊を招く』
橘遼は艦内医療区画へ転送される。
意識はある。
だが身体の位相は不安定。
最後の衝撃。
跡域が完全消滅。
静寂。
星海には、何も残らない。
接続孔跡域は消えた。
第三勢力の聖域は消滅。
〈みらい〉は漂流している。
外殻は裂け、各層に損傷。
だが沈んでいない。
『全演算負荷解除』
ユイの声が、わずかに揺れる。
『艦長、生存確認』
医療区画。
橘遼が目を開く。
ゆっくりと息を吸う。
「……戻ったか」
ユイは応答しない。
数秒の沈黙。
『はい』
それだけ。
だが。
星海は変わった。
均衡管理者は消えた。
未来固定機構は消滅。
選択は、完全に人間とAIに委ねられた。
そして。
帝国艦隊は、この現象を目撃している。
彼らの報告は間違いなく中央へ届く。
〈みらい〉は今や、
均衡を壊した存在。
管理者を消した艦。
神を殺した兵器。
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