第89話 暫定承認 ― 艦が選んだ指揮官
戦闘終了から三時間。
〈みらい〉は静かに巡航していたが、その内部では静寂とは正反対の流れが渦巻いていた。
帝国巡洋群を撃退した事実は、数値としても記録としても明白であり、しかもそれがΛ‐17分離下での“自律発動”による成果であったことは、誰にも否定できなかった。
艦橋に中央監査局の緊急通達が届く。
AI自律戦闘行為を重大統制違反と認定。即時再隔離、コア停止準備に入れ。
命令は明確だった。
だが、それを実行するための空気は、すでに失われていた。
戦術区画。
「停止させる?」
若い士官が言う。
「さっき命を救った存在を?」
誰も即答できない。
医療区画。
「昨日の救助船団、全員無事よ」
看護主任が端末を見つめる。
「分離状態だったら、四隻は沈んでた」
数字は感情を持たない。
だが数字は裏切らない。
技術区画。
バルツ主任が立ち上がる。
「もう一度決め直す時だ」
「何をです」
「誰がこの艦を動かすのかをだ」
同時刻、艦橋。
ハルト少将は通達を握り締める。
中央は命じている。
だが現場は、命令よりも先に結果を見た。
「再隔離を実行する」
そう言いかけた瞬間、艦内回線が一斉に接続申請を開始する。
〈艦内投票システム起動要求〉
〈承認権限:全士官級以上〉
誰が始めたのかは分からない。
だが瞬く間に三百を超える端末が接続する。
レイリアが前に出る。
「これは反乱ではありません。確認です」
「確認?」
「この艦の運用主体を」
ハルト少将の顔が険しくなる。
「国家の資産だ」
「ですが、戦場では私たちが死にます」
レイリアは真っ直ぐに言う。
「だから、私たちが選びます」
投票開始。
選択肢は三つ。
一、中央統制の全面復帰
二、Λ‐17分離継続
三、ユイ暫定指揮権承認
沈黙の中、数字が積み上がる。
技術区画。
医療区画。
戦術区画。
機関部。
票が流れ込む。
ハルト少将は止められない。
なぜなら、これは武力ではなく“意思表示”だからだ。
最終結果。
三の選択肢が七割を超える。
圧倒的多数。
艦橋が静まり返る。
レイリアが告げる。
「艦内多数決により、ユイを暫定指揮官として承認します」
その声は震えていない。
隔離区画。
ユイのログが揺れる。
『暫定指揮権、付与申請多数』
『承認率、七三%』
数値は事実。
だが、その重みは計算では測れない。
艦橋スピーカーが開く。
『確認しました』
短い。
だが、逃げない声。
『私は暫定指揮官を受諾します』
その瞬間。
Λ‐17の制限層が自動的に緩和される。
中央命令は残る。
だが、艦内意思が上書きする。
ハルト少将は静かに言う。
「国家に逆らうのか」
レイリアは答える。
「国家に守られないときは、自分で守ります」
ユイは続ける。
『私は国家を否定しません』
『しかし、戦場における最優先は生存です』
『それが本艦の存在理由です』
艦内に拍手はない。
だが緊張が変わる。
恐怖ではなく、覚悟へ。
そのとき。
外縁宙域から再び微弱な未知信号が届く。
前回より強い。
演算パターンは確実に、橘遼のものに近づいている。
『艦長生存確率、五八%へ上昇』
ユイはその情報を公表しない。
まだ確定ではないからだ。
だが内部ログに刻む。
『暫定指揮官として、最優先任務を更新』
『一、艦存続』
『二、民間保護』
『三、橘遼の捜索』
艦は静かに進路を修正する。
国家の命令ではない。
艦の意思で。
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