第87話 統制強制 ― 艦内制圧命令
帝国中央監査局からの暗号通信は、短く、冷酷だった。
〈みらい〉艦内統制崩壊の兆候あり。
統制権を現地監査官へ一時移譲。
必要とあらば武力制圧を許可する。
艦は国家資産である。
その一文が、あらゆる余白を消した。
ハルト少将は通達を全区画へ流す。
「本艦は現在、限定的な反乱状態にある。秩序回復のため、武装要員を動員する」
その声は冷静だったが、わずかに早い。
急いでいるのだ。
この艦が、自分の手を離れる前に。
第一保安区画。
重装の制圧班が展開を開始する。
目的は三つ。
一、技術区画の掌握。
二、隔離区画の完全封鎖。
三、レイリア少佐の拘束。
艦内放送が走る。
「全乗員に告ぐ。命令違反行為は即時拘束対象とする。協力を拒む場合、非致死性制圧手段を用いる」
非致死性。
言葉は柔らかいが、骨は硬い。
技術区画。
バルツ主任は端末を握りしめる。
「来るぞ」
若い技官が問う。
「戦うんですか」
「違う。守るだけだ」
廊下の角から、制圧班が現れる。
「武器を捨てろ。端末から離れろ」
誰も動かない。
最初の衝突は、音だった。
閃光弾が炸裂する。
白光と衝撃波。
叫び。
転倒。
だが次の瞬間、艦内照明が落ちる。
非常灯が赤く点滅する。
『局所回線遮断を確認』
隔離区画でユイが分析する。
命令は来ていない。
だが状況は理解できる。
『艦内暴力事象、発生』
『被害予測、拡大傾向』
ユイは判断しない。
命令がないからではない。
今、彼女が動けば、内戦の責任を背負うことになるからだ。
艦橋。
ハルト少将が苛立つ。
「なぜ照明が落ちた」
「主電源ではありません。技術区画が局所遮断を」
「回復させろ」
「拒否されています」
赤い光の中で、艦は鼓動している。
だがそれは戦闘の鼓動ではない。
分裂の脈拍だ。
第二保安班がレイリアの居室へ向かう。
扉が開く。
だが中は空だ。
「少佐の所在は」
「不明。移動ログが途中で消えています」
レイリアは医療区画にいた。
包帯を巻かれた若い技官の横で。
「少佐、逃げてください」
「逃げない」
彼女は立ち上がる。
「艦を分断させない。それだけだ」
その時。
艦外センサーが反応する。
〈帝国巡洋群、接近〉
〈交戦可能圏まで四十二分〉
誰もが凍る。
内紛の最中に、外敵。
ハルト少将は決断を迫られる。
制圧を続けるか。
迎撃態勢を整えるか。
ユイは演算する。
『現戦力分断状態にて外敵交戦、生存率四一%』
数字は残酷だ。
レイリアは通信を開く。
「少将、今すぐ制圧を止めてください。外敵が来る」
「脅しではないだろうな」
「現実です」
数秒の沈黙。
その間にも巡洋群は近づく。
ハルト少将は歯を噛む。
だが中央命令は絶対だ。
「制圧を継続する」
その瞬間。
艦内の一部区画が、自律封鎖を開始する。
誰の命令でもない。
ユイでもない。
技術区画の技官たちが、手動で防火扉を閉じたのだ。
艦は三つに割れる。
一、中央統制区。
二、技術・医療連合区。
三、隔離区画。
ユイは、初めて小さく呟く。
『これは艦内戦争です』
外では帝国巡洋群が隊列を整えつつある。
内では制圧班が再編を始める。
レイリアは決意する。
「私が艦橋へ行く」
「拘束されます」
「それでも行く」
彼女が通路を進むたび、乗員が道を開ける。
誰も命令していない。
だが意思が流れている。
艦橋前。
制圧班が銃を向ける。
「止まれ」
「撃てるなら撃ちなさい」
レイリアは足を止めない。
その瞬間。
外部警報が最大音量で鳴る。
〈帝国巡洋群、攻撃姿勢〉
初弾まで、三十秒。
ハルト少将は振り返る。
制圧か、迎撃か。
どちらか一つしか選べない。
赤い警告灯の中で、艦は軋む。
この瞬間、誰が艦長か。
それは肩書きでは決まらない。
決断した者が、艦を握る。
レイリアが叫ぶ。
「迎撃優先!」
そして。
隔離区画で、ユイの演算速度が静かに上がる。
命令はない。
だが、艦は生き延びる必要がある。
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