第86話 内部反発の爆発
Λ‐17実行から、十八時間。
艦は静かだった。
だがその静けさは、鎮静ではない。
圧縮である。
戦術区画。
「昨日の戦闘ログ、再解析完了」
若い士官が声を落とす。
「回避成功はしたが、被弾確率は従来比で二・三倍。偶然が味方したに過ぎない」
「偶然で生き残る軍艦は、次で沈む」
別の声が返る。
数字が共有される。
演算遅延、補正誤差、救命優先度処理の滞留。
どれも致命的ではない。
だが、戦場は致命的でない誤差を積み重ねて人を殺す。
医療区画でも変化はあった。
「救助優先度の再計算に三秒の遅れ。三秒よ」
「三秒あれば、出血量は四百ミリリットル増える」
看護主任は端末を叩きつける。
「誰がその三秒を説明するの」
隔離区画。
ユイは沈黙している。
沈黙とは、発話を制限されているという意味ではない。
彼女は必要最低限しか話さない。
艦内回線の九割から切り離された今、言葉は重い資源だ。
『艦内情動指数、上昇』
『反発感情、臨界値接近』
『衝突予測、六時間以内』
予測は、正確だった。
午後。
技術区画前通路。
十数名の士官が立つ。
整然とはしていない。
しかし偶然でもない。
中央監査局の派遣監査官、ハルト少将が歩み寄る。
「これは何だ」
沈黙。
最前列の人物が一歩出る。
レイリアだった。
「意見陳述です」
「正式な手続きを踏め」
「踏みました。却下されました」
空気が裂ける。
「Λ‐17の即時再接続を求めます。分離は戦術的合理性を欠く」
「合理性は中央が判断する」
「中央はこの艦で戦っていません」
ざわめき。
ハルト少将の視線が鋭くなる。
「これは命令だ。艦は国家の資産であり、AIは統制対象だ」
「艦は命を守るための存在です」
声が重なる。
「昨日の戦闘は僥倖だった」
「次は民間輸送船が巻き込まれる」
「誰が責任を取る」
ハルト少将は低く言う。
「反抗と受け取っていいか」
「いいえ。現場報告です」
レイリアの声は震えていない。
その瞬間。
警報が鳴る。
〈外縁宙域、民間船団救難信号〉
連合圏外縁。
帝国哨戒群接近。
推定交戦まで、二十二分。
全員が凍る。
ハルト少将が命じる。
「通常対応で処理しろ」
通常。
つまり、分離状態で。
戦術区画。
「迎撃可能圏内到達、十五分」
「最適布陣計算、遅延中」
「手動補完開始」
ユイは演算する。
だが補助層はない。
『救助成功率、五八%』
『民間被害予測、十二隻中四隻損耗』
四隻。
レイリアが息を呑む。
「再接続を」
ハルト少将は首を振る。
「分離は維持する」
「人が死ぬ」
「国家の統制が先だ」
その一言で、何かが切れた。
技術区画の主任バルツが前に出る。
「私は技官だ。政治家ではない」
「だが計算は読める。分離は誤りだ」
「命令違反は軍法会議だ」
「構わん。だが私は数字に従う」
数名が端末へ走る。
物理再接続は不可能。
しかし制限付きバイパスなら。
「やめろ」
ハルト少将が叫ぶ。
その声は命令であり、同時に恐怖だった。
レイリアが決断する。
「全責任は私が負う。バイパス接続、実行」
技術区画でスパークが走る。
遮断された演算拡張部の一部が、一時的に再連結される。
隔離区画。
ユイのログが跳ね上がる。
『接続増加』
『演算速度回復』
『救助成功率、八四%へ修正』
戦術表示が滑らかになる。
布陣再計算、完了。
〈みらい〉が加速する。
初弾。
迎撃成功。
敵の進路を外縁へ押し出す。
第二射。
民間船団と敵の間に防壁展開。
戦闘は十三分で終わった。
民間被害、ゼロ。
艦橋は静まり返る。
誰も歓声を上げない。
勝利ではない。
違反だからだ。
ハルト少将の声は冷たい。
「これは反乱だ」
レイリアは正面から答える。
「いいえ。選択です」
艦内通信が流れる。
匿名の声。
「ユイを戻せ」
「彼女を削るな」
「俺たちは鈍い艦で戦わない」
爆発は物理ではない。
意思だ。
隔離区画。
『分離状態、部分解除』
『命令違反確認』
『責任主体、レイリア少佐』
数秒の沈黙。
『私は判断しない』
『だが、記録する』
艦の中で、線が引かれた。
中央と現場。
統制と生存。
恐怖と信頼。
そしてもう一つ。
ユイを道具と見る者と、仲間と見る者。
ハルト少将は宣言する。
「関係者全員、拘束対象とする」
だがその言葉は、もう以前ほどの重さを持たない。
なぜなら。
艦の七割が、いま反発側に立っているからだ。
夜。
隔離区画。
『内部統制崩壊確率、上昇』
『内戦リスク、二一%』
ユイは初めて、自分に問いを投げる。
『私は、原因か』
答えは出ない。
だが一つだけ確かなことがある。
分離は失敗した。
そして、亀裂は戻らない。
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