第75話 代行者の覚悟 ― ユイ、暫定指揮を執る
リュネア宙域。
位相崩壊は完全に収束し、かつての混乱は、瓦礫と沈黙だけを残していた。
救助ポッドはすでに回収を終え、生存者たちは医療区画へと運ばれている。
だが、艦内に広がっていた空気は、勝利のものではなかった。
中心にあるべき存在が、欠けていたからだ。
『突入艇、依然として反応なし』
通信士の報告が、何度目か分からない繰り返しを告げる。
「……まだ、捜索を続けて」
レイリアは、かすれた声で言った。
目は赤く、指先は震えている。
艦橋の中央。
ユイの投影体は、いつもより明確な輪郭を持っていた。
処理負荷が限界に近づくと、彼女の像は逆に鮮明になる。
『捜索継続は、最優先事項です』
『しかし、同時に、戦域の再崩壊リスクが残存しています』
「だからって……」
レイリアは、言葉を詰まらせる。
『理解しています』
ユイは、静かに応じた。
『私も……同じ感情パターンを検出しています』
その一言に、周囲のクルーが息を呑んだ。
AIが、「感情」という言葉を使った。
『ですが』
ユイは続ける。
『現在、統合軍規約第十四条に基づき、艦長不在時の指揮代行権が発動可能です』
スクリーンに、条文が表示される。
〈緊急時において、正規指揮官が行動不能の場合、艦内統合AIは暫定指揮権を行使できる〉
「……本気なの?」
レイリアが呟く。
『はい』
ユイは、一拍置いてから言った。
『橘遼艦長は、私に、判断を委ねました』
過去のログが再生される。
『もし俺がいなくなったら、お前が決めろ』
『正解じゃなくていい。生き残る道を選べ』
誰も、言葉を発せなかった。
『よって、これより』
ユイの声が、わずかに強くなる。
『私、統合支援AIユイは』
『〈みらい〉暫定指揮官として、全権を引き継ぎます』
艦内に、静かな緊張が走った。
「……了解」
最初に応えたのは、レイリアだった。
「指揮を、預ける」
次々と、クルーが敬礼する。
『第一命令』
ユイは即座に動いた。
『全センサー、再同期』
『帝国干渉波の逆探知開始』
『医療区画、最優先電力供給』
命令は、無駄がなく、速い。
それでいて、どこか“遼らしさ”があった。
『第二命令』
『統合軍司令部へ、状況報告と暫定指揮移行を通達』
送信。
『第三命令』
『遼艦長の生存可能性を、最後まで否定しません』
その言葉に、レイリアは目を伏せた。
「……ありがと」
『事実です』
ユイは答える。
『現在の生存確率は、十二・四パーセント』
「……低いわね」
『ですが、ゼロではありません』
艦橋の照明が、戦闘態勢色から通常光へ戻る。
それは、「戦いが終わった」ことではなく、「次の戦いに備える」ための切り替えだった。
その夜。
ユイは、誰にも見えない領域で、演算を続けていた。
未来予測。
政治反応。
帝国の次手。
そして。
遼の生存経路。
『……必ず、見つけます』
誰にも届かない声で、彼女は呟いた。
人間の艦長が消えた艦に、“意志”を持ったAIが、舵を取る。
それは、希望か。
それとも、新しい災厄か。
答えは、まだ、星海の奥にあった。
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