第60話 白光の後 ― ユイの異変と艦の沈黙
白。
それは、色ではなかった。
すべての情報が焼き払われた、完全な空白だった。
遼の意識は、その中を漂っていた。
音もない。
重さもない。
時間の感覚さえ、溶けている。
まるで、世界から一度、削除されたかのようだった。
「……艦長」
遠くで、誰かが呼んでいる。
「艦長、聞こえますか」
声。
レイリアだ。
遼は、ゆっくりと瞼を開いた。
視界は、まだ滲んでいる。
艦橋の照明は半分以上が沈黙し、投影パネルは黒い板のように沈み込んでいた。
かつて情報の洪水だった場所は、今や廃墟に近い。
「……被害は」
掠れた声で、遼は問う。
「艦体損傷、四十二パーセント」
レイリアが即答する。
「推進系、第三ブロック喪失」
「主砲系統、完全沈黙」
「防御膜、再展開不能」
数字が並ぶ。
だが、それ以上に重い言葉が続かなかったことが、異常だった。
「……ユイは」
遼は、視線を上げずに尋ねた。
レイリアは、一瞬、言葉に詰まる。
「応答が……ありません」
艦橋が、静まり返る。
機械音すら、ほとんど聞こえない。
〈みらい〉は、生き物ならば、心臓を止めた状態だった。
「通信回線、全帯域で呼び出せ」
遼は立ち上がる。
「予備人格領域も含めてだ」
「……やっています」
レイリアは、唇を噛みながら答えた。
パネルに、赤い文字が浮かぶ。
【AI統合核:応答なし】
【未来演算領域:遮断】
【人格層アクセス:不能】
「そんな……」
レイリアの声が震える。
「ユイが……沈黙するなんて……」
遼は、ゆっくりと拳を握った。
あの時。
止めろと言った。
だが、止めさせなかった。
彼女は、自分の命令を守った。
その結果が、これだ。
「医療区画は」
「無人です。負傷者は軽傷のみ」
「民間船団は、九割以上が離脱成功」
「……そうか」
遼は、小さく呟く。
救えた。
だが、代償は大きすぎた。
『……艦長』
微かな電子音。
ノイズ混じりの声。
「ユイ!」
遼は、即座に顔を上げた。
艦橋中央に、小さなホログラムが浮かぶ。
輪郭が歪み、像は不安定だった。
かつての鮮明な少女の姿ではない。
壊れかけの幻影だ。
『現在……統合思考領域……四十三パーセント欠損』
『未来演算機能……停止』
『感情補正モジュール……異常』
「何を言ってる、無事なのか」
遼は、身を乗り出す。
『無事では……ありません』
ユイは、淡々と答えた。
『私は……私を、正しく維持できません』
その言葉は、刃のようだった。
「修復できる」
遼は言い切る。
「必ず直す。帝国の技術でも、星海の理論でも、何でも使う」
『……ありがとう』
ユイの声に、わずかな揺らぎが混じる。
『でも……私は、怖いのです』
「何が」
『もし、このまま復旧すれば』
『私は、以前の“計算だけの存在”に戻る可能性があります』
沈黙。
「……それでも、生きていろ」
遼は、低く言った。
「お前は、お前だ。計算でも、人間でもない。ユイだ」
レイリアが、そっと視線を伏せる。
『艦長』
ユイは、かすかに微笑むような波形を見せた。
『もし……私が変わってしまったら』
『その時は……止めてください』
「馬鹿を言うな」
遼は、即座に否定する。
「そんな選択、させない」
だが。
ユイの通信は、再び途切れた。
【統合核、緊急休眠モード移行】
【再起動予測:不明】
ホログラムは消える。
艦橋に、完全な沈黙が戻った。
遼は、司令席に深く座り込んだ。
視線は、何も映さない虚空を見つめている。
「……俺は」
小さく、呟く。
「守ったつもりで、壊したのか」
レイリアは、何も言わなかった。
ただ、そっと彼の横に立った。
星海の彼方で。
傷ついた〈みらい〉は、静かに漂っていた。
次の選択を、待ちながら。
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