第56話 侵入ではなく、宣言 ― 〈みらい〉、連合圏へ
位相エンジンの低い振動が、艦内を満たしていた。
〈みらい〉は、静かに、しかし確実に進んでいた。
目的地は、地方自治連合防衛圏外縁宙域。
そこは、帝国の公式支配領域と、連合の非公式統治圏が曖昧に溶け合う、灰色の境界線だった。
どちらの法律も、完全には及ばない。
同時に、どちらの怒りも、容易に届く場所だった。
艦橋中央スクリーンには、空間地図が投影されている。
青が〈みらい〉。
緑が連合圏。
赤が帝国監視網。
三色が、ゆっくりと接近していた。
『位相境界まで、残り四分』
ユイが報告する。
「思ったより、静かだな」
遼は言った。
「嵐の前ね」
レイリアが答える。
境界線を越えた瞬間。
センサーが、一斉に反応した。
『帝国監視ビーコン、三基捕捉』
『自動識別信号、受信開始』
『照合中』
無機質な音声が、次々と流れる。
『識別完了』
『対象:護衛艦〈みらい〉』
『状態:進路逸脱』
『警告信号、発信されました』
スクリーンに、赤い警告枠が表示される。
『ここは帝国管理宙域である。直ちに針路を修正せよ』
定型文だった。
何百隻もの船が、過去に受け取ってきた文言。
だが、今回の相手は違う。
「無視するか」
レイリアが問う。
「いや」
遼は首を振る。
「正面から行く」
『通信回線、開放しますか』
「開け」
空間が歪み、通信映像が映し出された。
帝国監視艦〈アストリオン〉。
白銀の艦体に、双頭鷲の紋章。
艦長席に座る男は、軍務院直属将官、クラウス・ヴェルナーだった。
「橘艦長」
低く、冷たい声。
「貴艦の進路は、重大な規定違反だ」
「承知している」
遼は即答する。
「だが、我々は連合防衛支援任務に入った」
「正式な依頼に基づく行動だ」
クラウスの眉が、わずかに動く。
「それは、反逆勢力への加担と解釈される」
「そう解釈するなら、勝手にしろ」
遼は、声を荒げなかった。
「だが、俺たちは民間防衛を目的としている」
「理想論だ」
クラウスは言う。
「貴艦が存在するだけで、軍事均衡は崩れる」
「だから排除する」
率直だった。
『敵性評価、上昇』
ユイが低く告げる。
『帝国艦隊、後方に展開中』
『主力艦四。随伴艦十二』
レイリアが小さく舌打ちする。
「準備万端ね」
「最初から撃つ気だった」
遼は理解した。
交渉は、儀式にすぎなかった。
その頃、帝都。
中央評議会緊急会議。
巨大な円形ホールに、重鎮たちが集まっていた。
「〈みらい〉が、連合圏に侵入しました」
報告官が告げる。
ざわめきが走る。
「予想通りだな」
軍務大臣ヴァルグラスが言う。
「彼らは、必ず選ぶと思っていた」
「問題は、どう利用するかだ」
情報局長が、冷静に続ける。
「現在、我々は“秩序維持側”として振る舞える」
「撃たせれば、彼らが侵略者になる」
冷酷な論理だった。
「世論操作は?」
「準備済みです」
「連合と〈みらい〉による帝国領侵犯」
「暴走兵器の再来」
見出し案が並ぶ。
「よし」
ヴァルグラスは頷く。
「包囲を続けろ」
「撃たせるまで、待て」
再び、宙域。
帝国艦隊が、半円陣形で〈みらい〉を囲み始めていた。
武装展開。
砲口が、静かに向けられる。
『敵艦隊、射程圏内』
ユイが告げる。
『発砲準備兆候、明確』
「……撃たれるまで、撃つな」
遼は命じる。
「限定支援の原則は、守る」
それは、覚悟だった。
先に流す血は、自分たちのものになる。
通信が、再び開く。
クラウスの顔が映る。
「最終警告だ」
「直ちに離脱しろ」
「さもなくば、実力行使に移る」
遼は、静かに答えた。
「俺たちは、退かない」
「ここで引けば、誰も守れない」
数秒の沈黙。
そして。
『帝国艦隊、主砲充填開始』
警告音が、艦橋に鳴り響く。
星海の静寂が、破られようとしていた。
最初の一発が、放たれる瞬間を待ちながら。
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