第54話 要請 ― その一言が、世界を揺らす
連合議会が「共同防衛構想・第一段階」を可決してから、十日が経過していた。
ヴァルディスの街並みには、目に見える変化が現れていた。
門には新たな検問所が設けられ、巡回兵の装備は重くなり、倉庫には穀物と火薬が積み上げられていく。
人々は、それを「安心」と呼びたがった。
だが実際には、それは「戦争の準備」だった。
連合執行部臨時会議。
円卓の中央には、一通の封書が置かれていた。
白い羊皮紙に、青銀色の印章。
そこに刻まれているのは、〈みらい〉の艦紋だった。
この場に集まった者たちは、全員、それを見つめていた。
まるで、禁断の武器のように。
「……出すべきか」
誰かが、呟く。
言葉にした瞬間、空気が震えた。
療養を終え、復帰したばかりのエリシアが、ゆっくりと口を開いた。
肩には、まだ包帯が巻かれている。
「私たちは、ここまで来てしまった」
彼女は、疲労と覚悟が混ざった声で言った。
「帝国は、私たちを敵と見なしている。経済も政治も、限界に近い。武装化は始まり、後戻りはできない」
視線が、円卓を巡る。
「ならば、残された選択肢は一つです」
彼女は、封書に手を置いた。
「〈みらい〉に、正式に支援を要請する」
沈黙。
それは、同意ではなかった。
恐れだった。
ディルハルトが、低く唸る。
「つまり……彼らを、戦争に引きずり込むってことか」
「違うわ」
エリシアは首を振る。
「私たちが、すでに戦場にいるだけ」
リュシア侯が、静かに続ける。
「〈みらい〉は、象徴です。彼らがこちらに立てば、帝国も簡単には手を出せない。抑止力になります」
「だが同時に」マルセルが言う。「彼らが来れば、衝突は不可避になる」
正論だった。
「それでも、頼るしかない」
エリシアは言った。
「私たちだけでは、勝てない」
その言葉は、誇りを削り取る刃だった。
だが、彼女は飲み込んだ。
討議は、夜明けまで続いた。
理想、現実、責任、恐怖。
すべてがテーブルに並べられ、切り刻まれた。
そして、最終決定が下される。
「〈みらい〉への正式軍事支援要請を発行する」
賛成、三十二。
反対、七。
棄権、五。
圧倒的多数だった。
要請文は、慎重に書かれた。
救援ではない。
同盟でもない。
あくまで「協力依頼」。
だが、行間には、切実な叫びが詰まっていた。
「地方自治連合は、帝国による不当な圧力および実力行使の危険に晒されている。貴艦〈みらい〉に対し、抑止的展開および防衛支援を要請する」
それは、事実上のSOSだった。
三日後。
星海縁辺宙域。
〈みらい〉。
青白い光の海を背景に、艦は静止していた。
通信室に、優先信号が届く。
『連合代表より、最優先暗号通信』
ユイが告げる。
スクリーンに、エリシアの映像が映し出された。
顔は痩せ、目には疲労が滲んでいる。
だが、視線は揺れていなかった。
「橘艦長」
彼女は、はっきりと言った。
「私たちは、あなたたちに助けを求めます」
遼は、すぐに答えなかった。
画面の向こうにあるのは、一つの都市ではない。
数百万の命だった。
「……俺は」
言葉が、喉で止まる。
レイリアが、横を見る。
ユイは、無言で待っている。
「俺たちは、中立を選んできた」
遼は、ようやく言った。
「誰かの未来を、独占しないために」
エリシアは、静かに頷く。
「わかっています」
「でも、今は」
彼女は、一瞬だけ言葉を切る。
「未来を奪われている人たちが、ここにいます」
沈黙が、通信回線を満たす。
遼の胸に、過去の記憶がよぎる。
守ると誓った夜。
救えなかった命。
迷い続けた選択。
『艦長』
ユイが、低く告げる。
『本件は、これまでの方針と矛盾します。しかし』
一拍置く。
『拒否した場合、連合壊滅確率は七十八パーセントです』
数字は、残酷だった。
遼は、目を閉じた。
そして、開く。
「……回答は、三日後に出す」
それが、限界だった。
「必ず、考え抜く」
エリシアは、小さく微笑んだ。
「それで、十分です」
通信が切れる。
艦橋には、重い沈黙が残った。
誰もが理解していた。
次の答えが、戦争か、崩壊かを決めることを。
連合は、〈みらい〉に手を伸ばした。
それは、希望だった。
同時に、最後の賭けでもあった。
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