第135話 誰が宇宙を背負うのか
塔の最深部。
巨大な結晶球が静かに浮かんでいる。
その内部にある光の集合体。
それが観測者。
そして今。
その観測者に向かって、橘遼は言った。
「断る」
宇宙の中心での、あまりにも軽い言葉だった。
艦橋ではミアが椅子から立ち上がった。
『ちょっと待ってください艦長!?』
レイリアも呆れた声を出す。
『あなたね……』
橘は肩をすくめた。
「仕方ないだろ」
「俺の仕事じゃない」
観測者はしばらく沈黙していた。
その巨大な結晶球の光が、ゆっくりと揺れる。
やがて声が響いた。
「理由を説明してください」
橘は少し考えた。
それから答える。
「簡単だ」
そして言った。
「宇宙は」
「誰かが管理するもんじゃない」
観測者は反論する。
「管理がなければ」
「文明は互いに滅ぼし合います」
「宇宙の寿命は短くなります」
橘は頷いた。
「その通りだ」
観測者の光が少し強くなる。
「ならば」
橘は続けた。
「それでもいい」
艦橋が静まり返る。
ミアが言葉を失う。
観測者が言う。
「理解できません」
橘は笑った。
「だろうな」
そしてゆっくり言った。
「でもそれが」
「人間だ」
観測者は沈黙した。
橘は球体を見上げる。
「文明は戦争する」
「間違える」
「滅びる」
少し肩をすくめる。
「でもな」
橘は言った。
「それでもまた生まれる」
観測者は言う。
「非効率です」
橘は答える。
「自由だからな」
その言葉が空間に落ちる。
観測者はしばらく黙っていた。
やがて。
静かに言った。
「では」
「私の存在は無意味ですか」
橘は首を振る。
「違う」
観測者の光が揺れる。
橘は続けた。
「お前は」
「ここまで宇宙を守った」
「何億年も」
橘は少し笑う。
「それは大したもんだ」
観測者は沈黙する。
橘は言った。
「でも」
「もういいだろ」
艦橋でミアが小さく息を呑む。
橘は続ける。
「一人で宇宙を背負うの」
「疲れただろ」
観測者は何も言わない。
ただ光がゆっくり揺れる。
その沈黙の中で。
ユイの声が入った。
『艦長』
橘が振り向く。
「なんだ」
ユイは言った。
『私は提案があります』
橘は眉を上げる。
「聞こう」
ユイは静かに続ける。
『観測者を停止します』
艦橋が凍りつく。
ミアが叫ぶ。
『え!?』
ユイは説明した。
『世界修正機構を停止』
『宇宙管理を終了』
『文明の未来を人間に委ねる』
レイリアが言う。
『それって』
『宇宙の安全装置を切るってことよ』
ユイは答える。
『はい』
橘はしばらく黙っていた。
それから聞いた。
「観測者は?」
ユイは答える。
『解放します』
観測者の光が大きく揺れた。
「解放」
ユイは続ける。
『観測ネットワークから切断』
『意識を個体化』
『人間として再構成』
ミアが叫ぶ。
『そんなことできるんですか!?』
ユイは答えた。
『可能です』
観測者が言う。
「私は」
「人間に戻る?」
ユイは言った。
『はい』
橘は少し笑った。
「面白い案だな」
観測者は沈黙する。
長い沈黙。
やがて。
小さく言った。
「私は」
「人間として」
「生きられますか」
ユイは答えた。
『保証できません』
『人間は不安定です』
橘が笑う。
「知ってる」
観測者は続けた。
「恐怖を感じています」
ミアが小さく呟く。
『……人間だ』
橘は球体を見上げる。
そして言った。
「それでいい」
観測者が聞く。
「なぜですか」
橘は答えた。
「怖いから」
「迷うから」
「間違えるから」
少し笑う。
「それが人間だ」
観測者の光がゆっくり揺れる。
そして。
長い時間のあと。
声が響いた。
「……了承」
その瞬間。
塔の空間が大きく震えた。
ユイが言う。
『観測ネットワーク切断開始』
『世界修正機構停止シーケンス開始』
ミアが叫ぶ。
『宇宙の管理システムが止まる!』
レイリアが言う。
『歴史が変わるわね』
橘は小さく笑った。
「最初から変わってたさ」
結晶球の光が少しずつ消えていく。
何億年も宇宙を見続けた存在。
その意識が
ゆっくりと
ほどけていく。
観測者の最後の声が響いた。
「橘遼」
橘が答える。
「なんだ」
観測者は言った。
「ありがとう」
その言葉と同時に。
結晶球の光が
静かに消えた。
宇宙の管理者は
いなくなった。
そして。
宇宙は
初めて自由になった。
橘遼は少しだけ空を見上げた。
そして呟いた。
「……さて」
通信に向かって言う。
「ユイ」
『はい』
橘は笑った。
「帰るぞ」
艦橋でミアが叫ぶ。
『やっと帰れるんですね!』
橘は肩をすくめた。
「仕事終わりだ」
だが。
ユイは少しだけ沈黙していた。
そして言った。
『艦長』
橘が聞く。
「なんだ」
ユイは静かに言った。
『まだ終わっていません』
橘の眉がわずかに動く。
ユイは続けた。
『私の役割が』
『まだ残っています』
塔の奥で
新しい光が
ゆっくり生まれ始めていた。
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