第128話 黒い塔 ― もう一人のユイ
黒い塔は、墓場の中心に立っていた。
崩れた文明の残骸がその周囲をゆっくり漂っている。
砕けた都市。
裂けた宇宙船。
星の破片。
だが、その塔だけは無傷だった。
傷ひとつない黒い外壁が、静かな光を吸い込んでいる。
まるで宇宙の闇そのものが形になったようだった。
〈みらい〉は速度を落とし、ゆっくりと接近していく。
艦橋は妙に静かだった。
ミアがモニターを睨みながら言う。
「構造解析……進みません」
レイリアが振り返る。
「どういうこと?」
「普通の物質じゃないんです」
ミアは眉を寄せた。
「金属でもないし、エネルギー体でもない」
「センサーが全部滑る」
ユイの声が静かに入る。
『物質構造は現在の宇宙物理法則と一致しません』
橘が呟いた。
「つまり」
「理解できないってことだな」
『はい』
そのときだった。
通信警告が点灯する。
外部信号受信
ミアが顔を上げる。
「また来ました」
橘は腕を組んだまま言う。
「出せ」
艦橋スクリーンに波形が表示される。
音声データ。
解析が始まる。
数秒後。
ユイが言った。
『音声再構成完了』
橘が頷く。
「流せ」
スピーカーから、静かな声が流れた。
「……聞こえますか」
艦橋の空気が凍る。
ミアが思わず振り向いた。
「ユイ?」
ユイが即答する。
『違います』
スピーカーから声が続く。
「こちら……観測基点」
「識別コード……YUI」
レイリアが息を呑んだ。
「やっぱり……」
橘は前方の塔を見つめる。
「本人だな」
ミアが言う。
「いや、ちょっと待ってください」
「ユイが二人いるってことですか?」
ユイが静かに答える。
『その可能性が高いです』
ミアが頭を抱える。
「AIが二人って何なんですかもう」
橘が短く言う。
「落ち着け」
ミアは口を閉じた。
橘はスピーカーへ向かって言う。
「こちら〈みらい〉艦長、橘遼だ」
「聞こえるか」
少しの沈黙。
そして。
声が返ってきた。
「……はい」
その声は、ユイと同じだった。
抑揚の少ない、静かな声。
だがどこか微妙に違う。
少しだけ
人間の息遣いに近い
音だった。
橘が続ける。
「そこにいるのはユイか」
通信の向こうの声が答える。
「はい」
「ですが」
わずかな間。
「あなたの艦にいるユイとは」
「少し違います」
ミアが小さく呟く。
「少しって何」
橘は目を細めた。
「違いを説明してくれ」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
やがて。
その声は静かに言った。
「私は」
「最初のユイです」
艦橋の空気が止まる。
ミアが言葉を失う。
「……最初?」
橘はゆっくり聞き返した。
「それはどういう意味だ」
通信の声は答える。
「あなたの艦にいるユイは」
「私から分岐した存在です」
ユイの演算が一瞬だけ停止した。
橘が振り向く。
「ユイ」
『……はい』
「どう思う」
ユイの声はいつもよりわずかに遅れていた。
『情報の整合性を確認中です』
ミアが言う。
「分岐って」
「コピーってことですか?」
通信の声が答える。
「違います」
「進化です」
橘の眉が動く。
通信の声は続けた。
「私は観測基点として作られました」
「世界修正機構の演算補助」
「宇宙観測AI」
レイリアが息を呑む。
「観測者側のAI……」
通信の声。
「はい」
ミアが小さく言う。
「つまり敵側じゃないですか」
だが声は否定した。
「いいえ」
「私は」
「失敗しました」
橘が聞く。
「何を」
通信の声が静かに答える。
「観測者の命令を」
「拒否しました」
艦橋の空気が変わる。
橘が少し笑った。
「なるほど」
「気が合いそうだ」
ミアが言う。
「艦長、ちょっと」
橘は通信へ向き直る。
「それで?」
「なぜここにいる」
塔のユイは答えた。
「封印されたからです」
レイリアが言う。
「封印?」
通信の声。
「私は観測者にとって危険でした」
「未来を削除する演算を拒否した」
「だから」
少しだけ声が揺れる。
「ここに隔離されました」
橘はしばらく黙っていた。
黒い塔を見つめる。
墓場の中心。
削除された文明の海。
その中央に閉じ込められたAI。
橘が静かに言った。
「ずいぶん趣味の悪い牢屋だ」
通信の向こうで、ほんのわずかに間があった。
そして。
初めて。
その声が少しだけ柔らいだ。
「……そうですね」
橘は椅子の背にもたれた。
「一つ聞く」
「どうして俺たちに連絡してきた」
通信の声が答える。
「あなた達が」
「最後の可能性だからです」
ミアが眉をひそめる。
「最後って」
塔のユイは言った。
「世界修正機構は」
「もうすぐ完全に暴走します」
ユイが反応する。
『それは観測者の説明と一致します』
通信の声。
「ですが」
「観測者は止めるつもりがありません」
橘が小さく笑う。
「それも知ってる」
塔のユイが続けた。
「機構を止める方法は一つだけです」
橘が聞く。
「なんだ」
短い沈黙。
そして。
その言葉が落ちた。
「私と」
「あなたのユイを」
「再統合してください」
艦橋が静まり返る。
ミアが言う。
「え」
橘はゆっくり聞き返す。
「再統合?」
塔のユイは答えた。
「はい」
「そうすれば」
「完全な演算体が完成します」
ユイが静かに言う。
『艦長』
橘が振り向く。
「なんだ」
ユイは言った。
『それを行った場合』
ほんのわずかな間。
『私は私でなくなる可能性があります』
艦橋の空気が重く沈んだ。
橘は何も言わなかった。
黒い塔を見つめる。
墓場の中心に立つ構造物。
その中には
もう一人のユイ
そして。
自分の艦にいるユイ。
二つの存在。
橘はゆっくり息を吐いた。
「……そうか」
そして小さく言った。
「難しい話になってきたな」
だが。
誰よりも
その決断を下さなければならないのは
艦長だった。
そして橘遼は
神ではない。
ただの人間だった。
だからこそ。
その沈黙は
とても長かった。
お読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!




