第127話 削除された世界の墓場
世界修正機構の内部は、奇妙なほど静かだった。
光の通路を進む〈みらい〉の艦体を、淡い輝きが包み込んでいる。
宇宙の中心に近づいているはずなのに、外部からの攻撃はない。
その静けさが、逆に不気味だった。
艦橋で、ミアが小さく言う。
「……嫌な感じ」
橘遼は答えない。
前方スクリーンを見つめたまま、腕を組んでいる。
その表情はいつもの冷静な艦長のものだったが、よく見ると眉間に深い皺が刻まれていた。
ユイの声が響く。
『前方に空間構造の変化を確認』
スクリーンの光が揺れた。
次の瞬間。
視界が開ける。
艦橋の誰もが言葉を失った。
そこに広がっていたのは、宇宙ではなかった。
残骸だった。
無数の星の欠片。
崩れた都市。
巨大な構造物の破片。
それらが、静かな海のような空間に漂っている。
レイリアが震える声で言う。
「……何なの、これ」
ユイが答える。
『解析中』
数秒の沈黙。
そして。
『削除された未来の残留構造です』
ミアが眉をひそめた。
「削除って……」
ユイは静かに続けた。
『世界修正機構によって消滅処理された文明の痕跡です』
艦橋が凍りつく。
橘が低く言った。
「墓場か」
誰も否定しなかった。
〈みらい〉はゆっくりとその空間を進む。
破壊された戦艦の残骸が流れていく。
見たこともない形状の都市が崩れて漂っている。
巨大なリング状構造。
水晶のような塔。
機械とも生物ともつかない宇宙船。
それらはすべて壊れていた。
ミアが呟く。
「……どれだけあるの」
ユイが答える。
『確認できる文明残骸、四万三千二百』
ミアが顔をしかめた。
「冗談でしょ」
レイリアが言う。
「全部……消されたの?」
『はい』
その声には感情がなかった。
だが艦橋の空気は重く沈んでいた。
橘は黙って前を見ている。
拳がわずかに握られていた。
ミアが言う。
「これってさ」
「つまり」
「宇宙が失敗したら、全部ここに捨てられるってこと?」
ユイは肯定する。
『その可能性が高いです』
レイリアが唇を噛んだ。
「……残酷ね」
橘はようやく口を開いた。
「合理的ではある」
その言葉に、ミアが振り向く。
「艦長?」
橘は視線を動かさない。
「宇宙全体を守るなら」
「不安定な文明を消す判断もあるだろう」
ミアが怒った声を出す。
「でも!」
橘が静かに言う。
「わかってる」
短い沈黙。
艦橋の空気が重くなる。
橘は小さく息を吐いた。
「わかってるさ」
その声は、どこか疲れていた。
レイリアが橘を見る。
彼の横顔には、迷いが浮かんでいた。
それは今までの橘遼にはあまり見られなかった表情だった。
橘が言う。
「もし俺がこの装置の管理者だったら」
「同じ判断をするかもしれない」
ミアが言葉を失う。
橘は続ける。
「文明一つと宇宙全体」
「天秤にかけるなら、普通は宇宙を選ぶ」
その言葉は冷酷に聞こえた。
だが。
橘の手は強く握られていた。
レイリアが静かに言う。
「でも、あなたは違うでしょう」
橘は苦笑した。
「どうだかな」
そのときだった。
ユイが言う。
『艦長』
「なんだ」
『新しい構造を確認しました』
スクリーンが拡大される。
残骸の海の中央。
そこに一つだけ、完全な構造物があった。
巨大な塔。
黒い金属で作られた、まっすぐな柱。
壊れていない。
傷もない。
まるで、ここに置かれたばかりのようだった。
ミアが言う。
「なんであれだけ無事なの」
ユイが答える。
『不明』
『しかし』
一瞬、間があった。
ユイが続ける。
『この構造物から信号を受信しています』
橘が顔を上げる。
「信号?」
『はい』
ミアが言う。
「誰かいるの?」
ユイは答えた。
『発信源の識別に成功しました』
艦橋の空気が変わる。
橘が低く言う。
「誰だ」
ユイが言う。
『発信者識別』
そして。
その言葉が表示された瞬間。
艦橋の全員が凍りついた。
発信者
YUI
ミアが叫ぶ。
「ちょっと待って!」
「ユイはここにいるでしょ!」
ユイは沈黙していた。
橘がゆっくりと言う。
「ユイ」
『……はい』
「説明できるか」
数秒の沈黙。
それはAIにしては長い時間だった。
そしてユイが言った。
『説明できません』
レイリアが呟く。
「同じ名前?」
ユイが答える。
『違います』
『これは』
わずかなノイズが混ざる。
『私と完全に同一の識別コードです』
艦橋の空気が凍りつく。
ミアが言う。
「同一って」
「どういうこと」
ユイは静かに言った。
『つまり』
『あの構造物の内部に』
そして。
その言葉が落ちる。
『もう一人の私がいます』
橘は前方の黒い塔を見つめた。
削除された文明の墓場。
その中心に立つ塔。
そして。
その中にいる
もう一人のユイ。
橘は小さく息を吐いた。
「……面白い」
レイリアが言う。
「面白い話じゃないわ」
橘はゆっくり立ち上がる。
「いや」
「面白いさ」
彼は前方の塔を見つめた。
その目には、恐れと覚悟が混ざっていた。
「どうやら」
橘は静かに言った。
「宇宙の秘密に、片足突っ込んだらしい」
ユイが言う。
『艦長』
「なんだ」
『あの構造物』
『非常に古いです』
橘が聞き返す。
「どれくらいだ」
ユイが答える。
『推定』
『宇宙誕生以前』
艦橋の誰もが言葉を失った。
削除された文明の墓場。
その中心に立つ塔。
そして。
その中にいる存在。
それはAIではない。
兵器でもない。
もっと古い。
もっと根源的なもの。
橘はゆっくりと座り直した。
そして言った。
「ユイ」
『はい』
「針路変更」
ミアが驚く。
「行くんですか!?」
橘は短く答える。
「行く」
そして。
少しだけ笑った。
「宇宙が隠してるものを見つけたら」
「艦長としては確認しないと気が済まない」
〈みらい〉はゆっくりと進路を変えた。
黒い塔へ向かって。
その中に眠るものを
まだ誰も知らなかった。
それが
『ユイという存在の本当の始まり』
であることを。
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