夜につかまる
いつも使ってるスタジオ。
その日、俺はいつもより早めにスタジオに着いてしまった。
まだ、前の人が使ってる。
近づいていくと、はっきりと声が聞こえる。
失敗したなぁと思いながら、部屋の前まで足が進む。
誰かが、歌ってる。
足が、止まった。
ギターの音も、ドラムの音も、ピアノの音すらなく、歌だけが聞こえる。
珍しく湧いた好奇心に負けて、開け放たれたドアから中を覗く。
マイクの前に立つ、少年。
整った綺麗な顔。
無造作に切られた少し長めの髪が、動く度に揺れる。
鋭い二つの灰色の瞳が、真っ直ぐ、前を見据えている。
その唇から零れる歌声は、少し高めで、誰もいない空間によく響き、残る。
余韻が、いつまでも漂っている気がする。
俺は、息をするのも忘れてその少年を見ていた。
どれくらい、動けずにいただろうか。
ふっと歌声が止み、少年の目がこちらを見た。
――まるで夜みたいだ
目が、離せなかった。
瞬きもせず、その目を見つめていた。
灰色の双眸が鋭い光を宿す。
俺は――この時にすでに捕まっていたのかも知れない。
「……何?」
少年がぶっきらぼうに声をかける。
はっとして俺は我に返る。
「あ、ごめん……つい聞き惚れちゃって」
すると少年は少しだけ視線をそらして、
「……そう……か」
とだけ言った。
何を言うべきかわからず、俺は黙ってしまった。
少年もただ黙っている。
……どうしよう……
ただ気まずい。
その時、後ろから背の高い少年がすっと入ってきた。
「奏!そろそろ出るぞ!」
「わかった」
あからさまに、少年はホッとして返事をする。
内心、俺もホッとした。
背の高い少年は俺に気づくと、穏やかに笑った。
「悪い、すぐ出るから」
「いや、大丈夫……」
奏と呼ばれた少年は、自分の上着や荷物を手に取り、部屋を出ていこうとしている。
普段、他人には興味を持たない方だ。
それが、その時は違っていた。
もう二度と会わないかもしれない――
そう思ったら、心臓がドキドキしてくる。
体がソワソワと動き出し、それでも理性が悩んでいる。
……自分から他人に関わろうなんて……。
ドアの横を少年が通り過ぎようとする。
不意にこちらを見た淡い灰色の瞳が光を宿したように、濃くなる。
その瞳にくぎ付けになった俺は、瞬きも忘れて見返した。
喉が鳴る。
強く握りしめると、爪が手のひらに食い込んだ。
もう、衝動だった。
「待って……っ」
思わず、腕を掴み引き止める。
「え?」
少年はぽかんとして俺を見た。
急に恥ずかしくなった俺は、手を離す。
「何?」
そう聞かれても、自分でも困る。
引き止めてどうする気だった?
いや、何も考えてない。
――でも、このまま別れるのは嫌だ。
それだけはわかった。
うまく、伝えられる気はしないけど。
今言わなかったら、後悔すると、その時は思った。
「……君の歌、もっと聞いてみたい……」
呆気にとられた表情で少年は俺を見返す。
うまく、伝えられないな。
どう言ったらいいのか悩んでると、背の高い少年が助けを出してくれる。
「奏の歌声、いいだろ?」
俺は素直に頷いた。
「目、綺麗だね」
思わず、出た言葉だった。
そう、まるで……。
「……夜みたいって思った」
背の高い少年は驚いた顔をして、俺を見る。
フッと笑った彼は、奏と呼ばれた少年を見た。
「……いいよ」
顔をそらして、少し照れくさそうに彼は言った。
ちょっとだけ溜め息をついた少年は、それで理解したようだった。
「俺は月城朔、こいつは夜宮奏」
背の高い少年――朔は言った。
「またここ来るからさ、いっしょに演ってみような」
そう言ってメモった連絡先を渡される。
俺はそれをポケットにしまう。
「ありがとう……」
思わず、笑顔が浮かんだ。
朔と奏はそのまま去っていった。
残された俺は、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
彼の歌声が、まだ耳に残ってる。
知らず知らずに、自分の口からもメロディーが零れる。
ああ、俺は捕まってしまった、彼に。
――夜宮奏に。
……俺が、奏と同じバンドで演奏するようになるのは、もう少しだけ、先の話。




