第六話「報告」
組織へ戻った頃には、夜もすっかり更けていた。
ヴェルマリスが報告室へ入ると、すでにジャンをはじめとする数人の隊員が集まっていた。机の上には、持ち帰った記録の写しと、各班がまとめた報告書が並べられている。
「隊長、おかえりなさい!」
「お疲れさまです。随分遅かったですね?」
「うん、ただいまぁ。みんなもお疲れさま」
ヴェルマリスはいつも通り軽く手を上げて応じると、自分の席に腰を下ろした。
「いやあ、疲れた……」
「それは何よりです。ところで隊長、通信を一方的に切った件についてですが」
「……あー、そうだった」
「忘れていたんですか?」
「いやいや、忘れてないって。ちゃんと説明するつもりだったんだよ」
「では、説明してください」
ジャンに促され、ヴェルマリスは頬杖をついた。
「えーと、まずオークションの方は問題なし。予定してた情報は大体取れたし、アラン・オルテガとも話ができた。で、そのあと屋敷に招かれて……」
「屋敷に?」
隊員の一人が聞き返した。
「うん。もう少し話を聞けそうだったから、ちょっと付き合ってたんだよ」
「ちょっと、というのは?」
「帰ろうとしたら引き止められてさ。結局、寝室まで連れていかれたんだよね」
報告室が静まり返った。
「……寝室?」
「そう」
「待ってください、隊長。それは、どういう状況だったんですか?」
ジャンの声から、先ほどまでの事務的な調子が消えていた。
ヴェルマリスは不思議そうに瞬きをする。
「どういうって……あのおっさん、僕のことをすっかり気に入っちゃったみたいでさ。肩に手を回すし、腰に触ろうとするし、髪まで触ってくるし。やたらと宝石の広告に出ないかって勧められたし」
「髪まで……?」
「うん。最初は適当に話を合わせてたんだけど、途中から何を言っても勝手に都合よく解釈するようになっちゃって」
ヴェルマリスは、思い出しただけでうんざりするというように肩をすくめた。
「いやあ、ほんっと単純な人だったよ」
「……隊長」
「ん?」
「それで、寝室で何があったんですか?」
「押し倒されたから、睡眠薬を打ち込んで眠らせただけだけど」
「…………は?」
誰かが間の抜けた声を漏らした。
直後、報告室が一気に騒がしくなった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 押し倒されたって、あのアラン・オルテガにですか!?」
「隊長にそんなことをする人間がいるんですか……?」
「いや、そこに驚くところですか!?」
「だって、隊長ですよ!?」
「隊長だって、そういう目に遭うことはあるでしょう!」
「いや、そうなんですけど……!」
隊員たちは困惑した顔を見合わせていた。
ヴェルマリスは組織内でも顔が広く、上層部の人間として相応の実力もある。普段は自由奔放で、周囲を振り回すことも多いが、いざ任務となれば抜け目がない。
そんな隊長が、相手の都合で一方的に振り回される。
それがどうにも想像しにくかったらしい。
「……それで、隊長。怪我は?」
別の隊員が、先ほどまでの驚きを引っ込めて尋ねた。
「ん? 別に。何ともないよ」
「本当に?」
「本当だって。ちゃんと相手の様子も確認したし、問題ないよ」
「そういうことを聞いているんじゃありません」
ジャンがぴしゃりと言った。
ヴェルマリスは思わず口を閉じる。
「相手が眠ったから無事だった、という話ではないでしょう。そもそも、どうして一人で対応しようとするんですか」
「いや、だって……」
「通信を切る。相手の屋敷に一人で残る。帰ろうとしたところを引き止められても、結局そのまま寝室までついていく。挙げ句の果てには、押し倒されてから睡眠薬で対処する。……隊長は、ご自分がどれだけ無茶をしたか分かっていますか?」
「うっ……」
ひとつひとつ並べられると、さすがに反論しにくい。
ヴェルマリスは視線をそらした。
「でも、情報は取れたし……」
「情報が取れれば、何をしてもいいわけではありません」
「はい……」
ジャンは深々と息を吐いた。
怒鳴りつけたいわけではない。ただ、こうして無事に戻ってきたからよかったものの、一歩間違えばどうなっていたか分からない。
それを、この隊長はどこまで理解しているのだろう。
「……まったく。あなたという人は」
呆れたようにこぼした声には、隠しきれない安堵も混じっていた。
その隣で、隊員の一人が腕を組む。
「しかし、オルテガといえば、貴族との付き合いも多い有力商人ですよね。あの人が、そんな真似をするとは……」
「いや、あの人ならやりかねないんじゃないか?」
「そうなのか?」
「社交界でも、ずいぶん女性関係の噂があるだろ。相手の気持ちより、自分が気に入ったかどうかを優先するタイプだって聞いたことがある」
「……なるほど。隊長があそこまで疲れた顔をしている理由が分かりました」
「いや、疲れたのはそれだけじゃないんだけどね」
ヴェルマリスは苦笑した。
「それに、別に悪いことばかりじゃなかったよ」
その言葉に、全員の視線が集まった。
「……どういう意味ですか?」
ジャンが警戒するように尋ねる。
「だって、あの人、僕のことをすっかり気に入ってくれたみたいだから」
ヴェルマリスは机に頬杖をつき、悪戯っぽく笑った。
「貴族とのつながりもあるし、今回の競売に出入りしてた人間についても、何か知ってるかもしれない。裏組織や他国との取引に関わってるなら、今後も情報を引き出せる可能性があるでしょ?」
「……まさか、また接触するつもりですか?」
「機会があればね」
あっさりとした返事だった。
「もちろん、今回みたいに面倒なことになるのはごめんだけど。あの人、こっちが少し愛想よくするだけで、勝手に勘違いしてくれるんだよ。扱いやすいし、上手く使えば便利な相手だと思う」
まるで、使い勝手のいい道具でも見つけたかのような口ぶりだった。
隊員たちは、揃って微妙な顔をした。
「……隊長、あの状況を経験しておいて、まだ利用価値があると考えるんですか?」
「え? だって、実際に利用価値はあるし」
「いや、そういうところですよ……」
「隊長って、時々本当に怖いですよね」
「何が?」
「いえ……何でもありません」
ヴェルマリスは首を傾げた。
本人にとっては、何も不思議なことではないらしい。
任務で得た人脈や情報は、使える限り使う。それが危険を伴うなら、危険を避ける方法を考える。相手への好き嫌いと、任務上の価値は別の話だ。
アランに対しても、それだけのことだった。
「でも、次に接触するなら、事前に相談してください」
ジャンが念を押す。
「護衛の配置も、通信手段も、こちらで考えます。今回のように、何が起きているのか分からない状態にされるのは困りますから」
「分かったって。次はちゃんと連絡するよ」
「本当ですか?」
「本当、本当」
「……その返事を、私は何度聞いたでしょうね」
「えー、信用ないなあ」
「信用を失うようなことをしているのは、どなたですか」
「はい、オレです」
即答すると、隊員の一人が吹き出した。
ジャンは額を押さえ、再びため息をついた。
「……まったく。無事に戻ってきたからよかったものの」
そう言ってから、ジャンはヴェルマリスの顔を改めて見た。
「本当に、何も問題はありませんね?」
先ほどよりも、ずっと静かな声だった。
ヴェルマリスは一瞬だけ目を丸くしたあと、ふっと表情を和らげた。
「うん。大丈夫。心配かけてごめんね、ジャン」
「……分かっているなら、次からは気をつけてください」
「はーい」
「返事は一度で結構です」
「はーい」
「隊長」
「ごめんって!」
いつもの調子に戻ったヴェルマリスを見て、隊員たちの緊張も少しずつ解けていった。
ただし、アラン・オルテガの名前が出るたびに、何人かの隊員があからさまに嫌そうな顔をしたのは、また別の話である。
「……では、そろそろ本題に入りましょう」
ジャンは気持ちを切り替えるように、机の上の報告書を手に取った。
「まずは会場で得た情報からお願いします」
「うん、分かった」
ヴェルマリスは椅子に座り直し、表情を引き締めた。
戦闘奴隷に対する需要が高かったこと。土壌や水、植物に干渉する能力者に対して、特定の客たちが異常なほど熱心だったこと。そして、ザイル王国の関係者と思われる人物たちが、次の取引までに能力者を確保しようとしていたこと。
「それから、『楊』という名前が何度か出てきた」
その言葉に、ジャンが顔を上げた。
「楊、ですか?」
「うん。会場で知らない男に、楊のところの片腕だと間違えられたんだ。そのあと、監視班からも、ザイル王国の関係者が楊に確認を取ると言っていたって報告があった」
「その人物については、まだ何も分かっていないのですね」
「そう。名前だけ」
ジャンは手元の資料に目を落とし、短く考え込んだ。
「分かりました。楊については、引き続き身元と関係者を調べましょう。現時点で、ザイル王国との直接的なつながりがあると判断するのは早計です」
「俺もそう思う」
ヴェルマリスは頷いた。
「では、帳簿の調査結果をお願いします」
次に報告したのは、資料の解析を担当していた隊員だった。
「ザイル王国とアラビアの間では、食料を中心とした取引が継続的に行われています。それとは別に、人員の移送を示す記録も確認できました」
「人員というのは、奴隷ですか?」
「その可能性が高いです。複数の記録で、通常の物資とは異なる取引先や移送経路が使われています」
隊員は、机の上に一枚の写しを置いた。
「さらに、今回のオークションで確認された能力者の買い付けと、ザイル王国側の記録を照合しました。土壌や水、植物に干渉する能力を持つ人物について、以前から問い合わせが行われていたようです」
「アラビアの農業に利用するため、ということか?」
別の隊員が尋ねた。
「それが一つの可能性です。アラビアは慢性的な食料不足を抱えています。もし、能力者を使って農地の生産力を改善できるなら、食料問題の解決につながるかもしれません」
「けれど、わざわざ奴隷として集める必要があるのかな」
ヴェルマリスが疑問を口にした。
「本当に支援が目的なら、アラビアと協力して能力者を派遣する方法もあるはずだ」
「そのとおりです」
ジャンが静かに続けた。
「ザイル王国が能力者を管理し、農業の生産や食料の供給まで握るつもりなら、話は変わってきます。アラビアを助けることと、アラビアを自国に依存させることは、必ずしも同じではありません」
報告室に沈黙が落ちた。
ザイル王国が食料を供給し、能力者を管理する。そして、アラビアが自国だけでは十分な食料を確保できない状態を維持できれば、交易を通じて政治的な影響力を強められる。
まだ仮説にすぎない。
しかし、帳簿に残された記録は、その可能性を否定できないほど重なっていた。
「つまり、能力者を集めているのは、戦争のためだけじゃないかもしれないってことか」
ヴェルマリスの言葉に、ジャンは頷いた。
「ええ。軍事力の強化と、食料供給を通じた支配。その二つが並行して進められている可能性があります」
「……面倒なことを考えるなあ」
ヴェルマリスは椅子の背にもたれた。
「けど、これが本当なら、アラビアの人たちが困ることになる」
「だからこそ、確かな証拠が必要です。推測だけで動くわけにはいきません」
「分かってるよ、ジャン」
返事をしながら、ヴェルマリスは机の上の資料に目を落とした。
アラビア。
その文字を見るたびに、遠い記憶が胸の奥をかすめる。
幼い頃に暮らしていた場所。兄たちと過ごした日々。そして、離れ離れになったあの日。
今はまだ、任務と自分の過去を結びつけるものはない。
ヴェルマリスは小さく息を吐き、顔を上げた。
「ほかに何か分かった?」
すると、資料を整理していた隊員が一枚の紙を取り出した。
「あります。今回の帳簿とは別の記録ですが、古い取引の一覧に、気になるものがありました」
「古い取引?」
「はい。およそ十年前のものです。アラビア出身の少年二人が、買い手へ引き渡された記録が残っています」
ヴェルマリスの手が止まった。
「……二人?」
「正確な日付は確認中ですが、時期は一致する可能性があります。ただ、名前の記載が不完全で、現時点では本人たちを特定できません」
ジャンは資料を受け取り、目を通した。
「この記録については、別途調査しましょう。今回のオークションとの直接的な関係も、まだ分かっていません」
「その買い手の名前は?」
「記録上では、リーシャン帝国の取引先を示す表記しか残っていません。個人名までは、まだ確認できていません」
ヴェルマリスはしばらく黙っていた。
十年前。
アラビア。
二人の少年。
リーシャン帝国。
それだけでは、兄たちにつながる証拠にはならない。
それでも、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
「……その記録、もう少し詳しく調べてほしい」
声は、思ったよりも落ち着いていた。
ジャンはヴェルマリスの顔を見てから、静かに頷いた。
「分かりました。ほかの取引記録と照合します。ただし、確証が得られるまでは、個人的な推測と任務上の事実を分けて考えましょう」
「了解」
報告会は、その後も続いた。
ザイル王国の計画を示す記録。人の移送経路。能力者の買い付け。そして、十年前にリーシャン帝国へ渡ったアラビア出身の少年。
まだ、どれも決定的な答えではない。
しかし、別々に見えていた情報は、少しずつ互いに結びつき始めていた。
報告会が終わったのは、日付が変わる少し前だった。
集められた資料は机の上に広げられたまま、担当者ごとに分類されていく。ザイル王国とアラビアの交易記録、奴隷の輸送経路、そして十年前にアラビアからリーシャンへ渡った少年の記録。
どれも単独では、決定的な証拠とは言い難い。
それでも、無関係だと切り捨てるには、あまりにも多くの点が重なっていた。
「例の少年の記録、もう少し詳しく調べてみるよ」
ヴェルマリスは資料を一枚手に取り、記載された日付を見つめた。
「アラビアからリーシャン……。本当に、兄ちゃんたちのことだったらいいんだけど」
呟きは、誰に聞かせるつもりもないほど小さかった。
隣にいたジャンは、何も言わずに資料をまとめる。
「まだ決まったわけじゃありません。期待するのは構いませんが、先走らないように」
「分かってるって」
ヴェルマリスは顔を上げ、いつものように柔らかく笑った。
「でも、手掛かりが見つかったんだ。何もしないで待ってるより、ずっといいだろ?」
「……それはそうですね」
ジャンは小さく息を吐いた。
少年のこういうところを、彼はよく知っている。
一度希望を見つければ、どれほど小さな可能性でも手放そうとしない。危ういほど真っ直ぐで、それでいて、誰かのためなら自分のことを後回しにしてしまう。
「とにかく、今日は休んでください。続きは明日です」
「はーい」
ヴェルマリスは素直に返事をすると、資料をジャンに預け、部屋を出ていった。
廊下の窓からは、夜の庭が見える。
風に揺れる木々を眺めながら、彼は胸元の服をそっと握った。
その下には、幼い頃から肌身離さず持っている首飾りがある。
兄たちが残してくれた、たった一つの手掛かり。
まだ何も分かっていない。
それでも。
「……待っててね、兄ちゃん」
誰にも届かない声でそう告げると、ヴェルマリスは再び歩き出した。
彼の知らないところでもまた、長い間止まっていた過去が、少しずつ動き始めていた。




