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scorpion - 星々の世界 -  作者: すみ


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第五話「オークションの夜」

 オークションが一区切りついた頃、ジャンから全員に連絡が入った。


『各班、状況を報告してください。予定どおり、これ以上の深追いは避けます』


 ヴェルマリスは会場を見渡した。


 壇上では次の出品の準備が進められている。客たちはまだ席を立つ気配がない。


 ここに残れば、もっと情報を得られるかもしれない。


 しかし、情報を得ることと、任務を成功させることは同じではなかった。


『了解。こちらは会場での情報を持ち帰る』


『よろしい。合流地点で待っています』


 通信を終えたヴェルマリスは、アランのもとへ歩み寄った。


「そろそろお帰りになりますか?」


「おや、もうそんな時間かい?」


 アランは少し残念そうに壇上を見た。


「今日は思ったほど収穫がなかったね。まあ、君が付き合ってくれたから退屈はしなかったけれど」


「それはよかったです」


 ヴェルマリスは自然な笑顔で答えた。


     *


 会場を出て、馬車へと向かう途中だった。


「そういえば、ヴェリ」


 隣を歩いていたアランが、ふと思い出したように声をかけた。


「今夜はこのまま帰ってしまうのかい?」


「ええ。これから報告もありますので」


「それは残念だねえ。せっかく気が合ったんだ。もう少し一緒に過ごしていかないか?」


 アランは足を止め、ヴェルマリスの顔を覗き込んだ。


「屋敷には上等な酒も茶もある。今夜くらい仕事のことは忘れて、ゆっくりしていけばいいじゃないか」


 「お誘いは嬉しいのですが……」


 ヴェルマリスは少し考えるように目を伏せた。


 ――ああ、これは面倒な流れになったな。


 断れば機嫌を損ねるかもしれない。かといって、このまま付き合えば帰りが遅くなる。


 それでも、アランが自分に気を許しているのは利用できる。ここで無理に断るより、相手の期待に応えるふりをしたほうが都合がいいかもしれない。


「……少しだけでしたら、ご一緒しても構いませんよ」


 顔を上げ、控えめに微笑んでみせる。


「おお! そうかそうか! いやあ、君ならそう言ってくれると思っていたよ!」


 アランはたちまち機嫌をよくし、ヴェルマリスの背中に手を添えた。


 ――いや、そんなに喜ぶことか?


 内心では呆れながらも、ヴェルマリスは素直に馬車へ乗り込んだ。


 屋敷へ向かう道中、アランは終始上機嫌だった。オークションで見かけた貴族の話から、自分の店で扱っている宝飾品の話まで、聞いてもいないことを次々と語ってくる。


 ヴェルマリスは適度に相槌を打ち、ときおり興味深そうに質問を挟んだ。


「その宝石は、どちらから仕入れているんですか?」


「おや、興味があるのかい?」


「ええ。オルテガ様のお仕事について、もっと知りたいと思いまして」


 そう言って微笑むと、アランは目に見えて嬉しそうになった。


「いやあ、君は本当にいい子だねえ!」


 ――よしよし、もっと気分よく喋ってくれ。


 ヴェルマリスは笑顔の裏で、今夜得た情報を整理していた。


 やがて馬車が屋敷に到着する。


 降りる直前、ヴェルマリスは耳元の通信具にそっと意識を向けた。


『ジャン、こちらヴェルマリス。アラン・オルテガに誘われて、屋敷に寄ることになった。少し遅くなる』


『……は? 隊長、今どこに向かっているんですか?』


『オルテガの屋敷。本人の機嫌がいいから、もう少し話を聞けるかもしれないし』


『ちょっと勝手な行動し――』


 通信を切った。


 ――あとで怒られるだろうなあ。


 ヴェルマリスは小さく肩をすくめ、何食わぬ顔で馬車を降りた。


 屋敷の中へ案内されると、アランは使用人に飲み物を用意させ、客間へと招き入れた。


「さあ、遠慮せずにくつろいでくれたまえ」


「ありがとうございます」


 ヴェルマリスは勧められた席に腰を下ろし、室内をさりげなく見渡した。窓の位置、扉までの距離、廊下へ続く通路。いつでも動けるように、必要な情報だけを頭に入れておく。


 アランはそんな様子にも気づかず、隣へ腰を下ろした。


「いやあ、今夜は本当に楽しかったよ。君といると、時間が経つのも忘れてしまうねえ」


「俺も、オルテガ様のお話は勉強になります」


 ヴェルマリスは少しだけ身体を寄せ、親しげに笑った。


 アランの目が、ぱっと輝いた。


「おや。君も私と過ごすのが楽しいのかい?」


「もちろんです。こんなに親切にしていただいているんですから」


 嘘ではない。少なくとも、情報を得るうえでは都合のいい相手だった。


 アランはすっかり気をよくしたらしい。宝飾品の話を続けながら、ヴェルマリスの手に触れ、指先を軽く握った。


「君は本当に魅力的だねえ。もっと早く出会いたかったよ」


「そう言っていただけるなんて、光栄です」


 ヴェルマリスは手を引かず、柔らかな笑みを返した。


 ――はいはい。お褒めいただきどうも。


 その後もアランは話を続けた。ヴェルマリスが相槌を打つたびに機嫌をよくし、しまいにはすっかり自分に心を許したものと思い込んでいるようだった。


 やがて、窓の外に目を向けたヴェルマリスは、頃合いを見計らって席を立った。


「オルテガ様。そろそろ失礼してもよろしいでしょうか?」


「おや、もう帰ってしまうのかい?」


 アランは露骨に残念そうな顔をした。


「ええ。今夜はお招きいただき、ありがとうございました」


 ヴェルマリスは丁寧に頭を下げた。


 これ以上付き合う必要はない。聞き出せる情報はひとまず聞いたし、あとは組織に戻って報告するだけだ。


 ところが、アランは彼を帰すつもりがないらしかった。


「まあまあ、そう急がなくてもいいじゃないか。せっかく二人でゆっくり話せるんだ。もう少し付き合ってくれたまえ」


「ですが、もうずいぶん遅い時間ですし……」


「そうだねえ。では、場所を変えようか」


 アランはそう言って立ち上がると、ヴェルマリスの肩に手を置いた。


「寝室なら、もっと落ち着いて話せるだろう?」


 ――ああ、なるほど。そういうことね。


 ヴェルマリスは内心で納得した。


 ここまで露骨に誘ってくるとは思わなかったが、相手の性格を考えれば不思議でもない。


 アランは、自分が気に入った相手なら誰でも振り向かせられると思っている節がある。こちらが少し愛想よく振る舞うだけで、勝手に好意を抱かれていると信じ込むのだから、潜入相手としては実に扱いやすかった。


「……オルテガ様は、本当にお話がお好きなんですね」


 ヴェルマリスは困ったように笑い、アランの袖をそっとつまんだ。


「おや、どういう意味かな?」


「ふふ。まだまだお話ししたいことがあるのかと思いまして」


「もちろんさ。君とは、まだまだ話し足りないからねえ」


 アランは嬉しそうに目を細めた。


 ヴェルマリスはその反応を確かめると、わずかに身を寄せた。


「それなら……もう少しだけ、お付き合いします」


「おお! そう言ってくれると思っていたよ」


 ――いや、思ってたのはそっちだけだろ。


 心の中で突っ込みながらも、ヴェルマリスは笑顔を崩さなかった。


 今は相手の機嫌を取っておく方が都合がいい。アランが自分に夢中になればなるほど、こちらの動きに注意を払わなくなる。


 それに、彼にはまだ利用価値があった。


 宝飾品を扱う商人という立場に加え、貴族とのつながりも深い。今夜のオークションに出入りしていた者たちについても、彼なら何か知っている可能性がある。


 ――せっかくだし、使えるところまで使わせてもらおう。


 そんなことを考えながら、ヴェルマリスはアランの手に自分の手を重ねた。


「では、ご案内をお願いします」


 アランは一瞬目を丸くしたあと、満足げに笑った。


「もちろんとも。こちらへおいで」


 *


 案内された寝室は、客間以上に豪華な造りだった。


 大きな寝台に、磨き上げられた調度品。壁際には酒瓶の並んだ棚があり、窓には厚手のカーテンが引かれている。


 ヴェルマリスは部屋へ入るなり、扉と窓の位置を確認した。


 出口までの距離。足場になる家具。相手の立ち位置。


 頭の中で必要な情報を整理していると、アランが背後から肩を抱き寄せてきた。


「どうだい? 気に入ったかな?」


「ええ。とても素敵なお部屋ですね」


 ヴェルマリスは振り返り、にこりと微笑んだ。


 アランの手が肩から背中へと移る。


 以前なら相手の反応をうかがっていたのかもしれない。だが、今のアランには、ヴェルマリスが自分を拒まないことが、すっかり許されている証拠に見えているらしかった。


「君は本当にかわいらしいねえ。こんなに素直な子だとは思わなかったよ」


「そうですか?」


「そうとも。私のことをよく理解してくれるし、こうして二人きりになることも嫌がらない」


 アランは得意げに笑った。


「君も、私のことを気に入ってくれているんだろう?」


「……オルテガ様は、私のことをどう思っていらっしゃるんですか?」


 ヴェルマリスは答える代わりに、そっと問い返した。


 少しだけ首を傾げ、相手の目を見つめる。


 それだけで、アランはすっかり気をよくした。


「決まっているじゃないか。君のような子は、そうそういないからねえ」


 彼はヴェルマリスの手を取り、指先を撫でるように握った。


「できることなら、もっと長く一緒にいたいくらいだ」


「まあ……そんなふうに言っていただけるなんて」


 ヴェルマリスは頬を緩め、少し照れたように視線を落とした。


 もちろん、演技だった。


 アランの言葉に心を動かされたわけではない。ただ、相手が期待している反応を返しているだけだ。


 そして、その効果は十分にあった。


 アランはますます大胆になり、ヴェルマリスの肩を抱いたまま、顔を近づけてくる。


「ねえ、ヴェリ。君も、もう少し私のそばにいたいと思っているんじゃないかい?」


「……どうでしょう?」


 ヴェルマリスは小さく笑い、答えを濁した。


 その代わりに、アランの手を軽く握り返す。


 ほんの一瞬のことだった。


 けれど、アランにはそれで十分だったらしい。


「ははは! なるほど、なるほど!」


 勝手に納得し、ますます機嫌をよくしている。


 ――うわあ。ここまで都合よく解釈してくれるんだ。


 ヴェルマリスは内心で呆れながら、相手の様子を観察した。


 もう少し。あと少しだけ、こちらに意識を向けさせればいい。


 睡眠薬を仕込む機会をうかがいながら、ヴェルマリスは何気ない調子で口を開いた。


「オルテガ様は、普段からこうして、お客様と親しくお話しされるんですか?」


「いやいや、誰とでもというわけじゃないさ」


 アランは胸を張った。


「君だからだよ。君は特別なんだ」


「ふふ。光栄です」


 ヴェルマリスは笑顔で応じた。


 ――はいはい。特別ね。妻子持ちがよく言うよ…


 相手の言葉を真に受けるつもりはない。


 ただ、今の発言は覚えておこうと思った。アランが自分を特別扱いしているという認識は、今後、彼に接触する際にも利用できそうだった。


 アランはそんな彼の考えなど知る由もなく、すっかり自分の思いどおりに事が進んでいるつもりでいた。


「ヴェリ、こっちへおいで」


 そう言って、彼はヴェルマリスを強引に抱き寄せた。


「わっ……オルテガ様?」


「ははは、そんなに驚かなくてもいいじゃないか」


 アランは笑いながら、彼の身体を寝台へ押し倒した。


 ヴェルマリスの背中が柔らかな寝具に沈む。


 ――ああ、はいはい。そういうところは強引なんだ。


 表情は照れた振りをしながらも、内心では盛大にため息をついていた。


 アランは、ヴェルマリスが抵抗しないことを、自分への好意の表れだと受け取っているようだった。


「ほら、もっとこちらを向いてごらん」


 彼が身をかがめ、ヴェルマリスの顔を覗き込む。


 その瞬間、相手の注意は完全に自分へ向いていた。


 今だ。


 ヴェルマリスは衣服の下に隠していた尾を、音もなく動かした。


 アランの視線が自分の顔に釘づけになっているのを確かめながら、尾の先端をそっと相手の身体に触れさせる。


 ほんの一瞬。


 睡眠薬を打ち込むには、それで十分だった。


「……ん?」


 アランが不思議そうに眉を寄せた。


「どうかなさいましたか?」


「いや……なんだか、急に……」


 彼は言葉を切り、何度か瞬きをした。


 まぶたが重くなり、身体から力が抜けていく。


「おや……おかしいな。急に眠く……」


「お疲れなのではありませんか?」


 ヴェルマリスは穏やかな声で尋ねた。


「今日はずいぶん長い一日でしたから。少しお休みになった方がよろしいかと」


「いや、しかし……まだ君と……」


 アランは何とか顔を上げようとしたが、もう身体に力が入らないらしい。


 やがて、彼はヴェルマリスの上から崩れるように身を離した。


 ヴェルマリスはすぐに起き上がり、アランの様子を確かめた。


 意識は失っているが、呼吸に異常はない。


 予定どおりだ。


「……ふう。やっと終わった」


 ヴェルマリスはアランを寝台に横たえ、乱れた衣服を整えた。


 それから、自分の服装も手早く直す。


 寝室を見渡しても、怪しまれるようなものは残っていない。


 尾を衣服の下へ収め、最後にアランの寝顔を一瞥した。


「それにしても、ほんっと単純な人だなあ」


 思わず、呆れた声が漏れた。


 こちらが少し愛想よく振る舞うだけで、勝手に好意を抱かれていると思い込む。おまけに、相手の都合など考えず、自分の欲求を優先する。


 扱いやすいといえば、これほど扱いやすい相手もいない。


 ――裏組織や他国の人間とつながってるなら、今後も利用できるかも。


 ヴェルマリスは、今夜聞き出した情報を頭の中で整理した。


 アラン本人に悪気があるかどうかなど、今の彼にはどうでもよかった。重要なのは、彼がどんな人物と交流し、どんな情報を持っているかということだ。


 使える相手なら、今後も接触する価値はある。


 もちろん、こちらの正体を知られないことが前提だが。


 ヴェルマリスは小さく笑い、寝室を後にした。


   *


 廊下へ出ると、ちょうど使用人の一人が通りかかった。


「あら、お客様。もうお帰りになるのですか?」


「ええ。オルテガ様はお疲れのようでしたので、先にお休みいただきました」


 ヴェルマリスは人懐こい笑顔で答えた。


「今夜はお招きいただき、ありがとうございました。明日の朝、目を覚まされたら、楽しい時間を過ごせたことと、またお話しできるのを楽しみにしているとお伝えいただけますか?」


「かしこまりました。必ずお伝えいたします」


「ありがとうございます。それでは、失礼します」


 最後まで礼儀正しく頭を下げ、ヴェルマリスは屋敷を後にした。


 夜風が頬を撫でる。


 ようやく一人になったところで、彼は通信具を取り出した。


『ジャン、こちらヴェルマリス。任務終了。これから合流地点へ向かう』


『隊長。先ほど通信を一方的に切りましたね?』


『あー……うん』


『帰還したら、詳しく説明していただきますからね』


『分かってるって。ちゃんと報告するよ』


 通信の向こうから、深いため息が聞こえた。


 ヴェルマリスは苦笑しながら、夜の街へと足を踏み出した。


 今夜の任務は、これで終わりだ。


 得た情報は多い。だが、ザイル王国の目的も、楊という人物の正体も、まだ分からないことだらけだ。


 ――帰ったら報告。それから次の手を考えよう。


 ヴェルマリスは夜の街へと足を踏み出した。

 

 今夜の任務は、まだ終わっていなかった。

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