第三話 「見知らぬ男」
倉庫の内部は、外観からは想像できないほど豪華に整えられていた。
天井から吊るされた照明が会場を明るく照らし、壁際には酒や軽食が並んでいる。招待客たちは談笑しながら、これから始まるオークションを待っていた。
笑い声。グラスの触れ合う音。控えめな楽団の演奏。
一見すれば、貴族や富豪が集まる華やかな社交の場にしか見えない。
けれど、会場の奥に目を向ければ、その印象は簡単に崩れた。
厚い幕に囲まれた舞台。その両脇には武装した警備員が立ち、壁際にも数人が等間隔で配置されている。入口には招待状を確認する者がいて、会場を出入りする人間の顔を一人ずつ確かめていた。
華やかさの裏側に、隙を許さない監視の目がある。
ヴェルマリスは、アランの隣に立ちながら会場全体を見渡した。
「ヴェリ、何か気になるものでもあるのかい?」
肩に置かれた手の重みとともに、甘ったるい声が耳元に届いた。
「いえ。立派な会場だなと思いまして」
「そうだろう? 君にも、こういう場所を見せてあげたかったんだ」
アランは満足そうに笑い、親しげにヴェルマリスの肩を撫でた。
「ありがとうございます。なかなか来られる場所ではありませんから、いい経験になりそうです」
「ははっ、そう言ってもらえると連れてきた甲斐があるねえ」
機嫌よく笑ったアランの手が、肩から背中へと滑り落ちる。
次の瞬間、腰のあたりに手が触れたかと思うと、そのまま背後から腰へと腕を回され、ヴェルマリスの身体が引き寄せられた。
「今夜は私のそばにいておくれよ。君のような子を一人にしておくのは、もったいないからねえ」
耳元に届く甘ったるい声に、ヴェルマリスは笑顔の裏で眉をひそめた。
――いや、なんでそうなるんだよ、このおっさん。
さりげなく身を離そうとしたものの、アランの腕は当然のようにその動きについてくる。
ヴェルマリスは一瞬だけ視線を落とし、すぐに何事もなかったかのように顔を上げた。
「もちろんです。今夜はオルテガ様の護衛ですから」
柔らかく微笑んで答えると、アランはますます満足そうに目を細めた。
――機嫌を取るのも仕事のうち、か。ジャンに後で文句言ってやる…!
内心のため息を押し殺しながら、ヴェルマリスはアランの肩越しに会場を見渡した。
警備員の人数。出入口の位置。招待客の顔ぶれ。舞台袖へ続く通路。
逃走経路を確保するなら、正面だけを見ていてはいけない。いざというとき、仲間と合流できる場所も把握しておく必要がある。
「さて、何か飲み物でももらってこようかねえ。君は何がいい?」
アランがふと思い出したように尋ねた。
「お気遣いありがとうございます。僕は大丈夫です」
「遠慮しなくていいんだよ。せっかくの機会なんだから、楽しみたまえ」
そう言い残すと、アランは会場の一角に設けられたカウンターへと向かった。
ようやく身体を引き寄せられる心配がなくなり、ヴェルマリスは内心で小さく息をついた。
改めて会場を見渡す。
招待客の中には、エルビーナ王国の貴族らしき者たちが何人かいた。見慣れない意匠の衣装をまとった一団もいる。
豪華な刺繍の施された衣服。細工の精巧な装飾品。そして、周囲の者たちとは異なる独特の雰囲気。
リーシャン帝国の人間だろうか。
そう考えていた矢先、不意に声をかけられた。
「あれ? 君は楊さん所の片腕クンじゃないか!」
振り返ると、恰幅のよい男が驚いた顔でこちらを見ていた。
上等な衣服に、いくつもの宝飾品。男はヴェルマリスの顔をじっと見つめ、親しげに笑みを深める。
「楊さんもここに参加してるのかね?」
「……え?」
思いがけない言葉に、ヴェルマリスは目を瞬かせた。
楊。
初めて聞く名前だった。
男はヴェルマリスが戸惑っていることにも気づかず、懐かしい知人に再会したかのように話を続ける。
「いやあ、こんなところで会うとは思わなかった! 相変わらず若いねえ。今日は一人かい?」
「ええと……申し訳ありません。どなたかとお間違えではありませんか?」
ヴェルマリスは困ったように笑った。
「それと、その方についてもう少し詳しく聞いても――」
聞き返そうとした、その瞬間だった。
『まもなく、オークションを開始いたします。参加者の皆様は、所定の席へお着きください』
会場に設置された拡声器から、落ち着いた男の声が響き渡った。
それまで絶え間なく続いていた談笑が、少しずつ途切れていく。
招待客たちは手にしていたグラスを置き、舞台へと視線を向けた。警備員たちも、それぞれの持ち場で姿勢を正す。
「ああ、もう始まるのか!」
男は舞台の方へ顔を向け、残念そうに笑った。
「また後で話そうじゃないか。楊さんにもよろしく伝えてくれたまえ!」
「えっ、あの、俺は――」
ヴェルマリスが言い終えるより早く、男は連れの者たちとともに人混みの中へ消えてしまった。
取り残されたヴェルマリスは、しばらくその場に立っていた。
楊。
その人物の片腕。
男は確かに、そう言った。
ただ顔が似ているだけなのか。それとも、何か別の理由があるのか。
「おや、どうしたんだい?」
飲み物を手に戻ってきたアランが、ヴェルマリスと男を交互に見た。
「知り合いでもいたのかな?」
「いえ、どうやら人違いだったみたいです。知らない方の名前が出てきたので、少し驚いてしまって」
「ふうん……?」
アランは興味深そうにヴェルマリスを眺めたあと、くすりと笑った。
「君は不思議なことによく出くわすねえ。ますます目が離せなくなりそうだ」
「そうでしょうか? 俺としては、もう少し普通に過ごしたいんですけどね」
冗談めかした返事に、アランは楽しそうに声を立てて笑った。
「ははは! いいねえ、その調子だ!」
ひとしきり笑ったアランは、手にしていたグラスをヴェルマリスへ差し出した。
「ほら、君の分も持ってきたよ」
「あ、ありがとうございます」
礼を言ってグラスを受け取る。アランは満足そうに頷くと、何事もなかったかのように隣へ腰を下ろした。
――飲み物はありがたいけど、もうちょっと距離感をどうにかしてくれないかな、このおっさん。
口には出さず、ヴェルマリスはグラスに口をつけた。
席に落ち着いたところで、耳元の通信具に意識を向ける。
『隊長、どうしました? 予定位置から動きがありませんが』
ジャンの声だった。
『ごめん、ちょっと人に話しかけられてた。楊って人の関係者だと勘違いされたんだ』
『楊……?』
『俺も知らない名前。詳しい話は聞けなかった』
『分かりました。後で詳しく聞かせてください。今は目の前の作戦に集中してください』
『了解。……あ、あとさ』
『はい?』
『このおっさん、さっきから距離が近すぎるんだけど』
一拍、通信の向こうが静かになった。
『……任務中ですから、我慢してください』
『分かってるって。だから我慢してるんだろ』
『その割には、ずいぶん余裕がありそうですが』
『笑顔の裏では大変なんだよ、オレも』
ヴェルマリスは口元に笑みを浮かべたまま、小さく息をついた。
『とにかく、引き続き周囲を観察します。何かあれば連絡してください』
『了解。そっちもよろしく』
通信を切り、ヴェルマリスは改めて会場を見渡した。アランの隣の席へ戻った。
そのとき、舞台の照明が一段と明るくなった。
幕の向こうで、何かが動く気配がした。
今は考える時間ではない。
目の前のオークションで何が行われるのか。それを確かめることが先だった。
### 第一のオークション
「それでは、第一の商品をご紹介いたします」
舞台の中央に立った司会者が、慣れた口調で告げた。
幕が開く。
そこから数人の男女が連れ出された。
その瞬間、ヴェルマリスの笑顔がわずかに薄れた。
彼らは全員、手首に拘束具をつけられていた。顔には疲労が色濃く浮かび、衣服も汚れている。視線を伏せたまま歩く者もいれば、周囲を警戒するように何度も顔を動かす者もいた。
中には、まだ幼さの残る者もいる。
舞台の上に並ばされた彼らを、司会者は満足げに見回した。
「こちらは、各地から集められた労働奴隷でございます。健康状態も良好で、長期の労働にも十分耐えられる者ばかりです」
紹介が終わると、舞台の脇に立つ係員が奴隷たちの腕を持ち上げ、体格や状態を見せるように促した。
彼らが顔を上げるたび、客席から値踏みするような視線が向けられる。
「では、こちらの男性から始めましょう。開始価格は――」
司会者が開始価格を告げた。
すぐに一人の招待客が手を挙げた。
続いて、別の席からも声が上がる。
金額が一つずつ上がっていくたび、司会者の声は弾み、客席には満足げな笑みが広がった。
舞台の上に立つ人間の表情だけが、取り残されたように動かなかった。
ヴェルマリスは、膝の上でそっと手を握った。
助けたい。
今すぐ舞台へ駆け上がり、拘束具を外して、全員を連れ出したい。
けれど、ここで感情に任せて動けば、仲間たちまで危険にさらすことになる。
会場の警備は厳重だ。舞台の周囲だけでなく、客席の後方にも警備員がいる。オークションの進行を妨げれば、彼らが一斉に動くだろう。
今、正体を明かすわけにはいかなかった。
―やっぱり、間近で見るのはつらいな……。
『隊長』
通信具から、ジャンの声が届いた。
『こちらでも状況を確認しています。今はまだ動かないでください』
『……うん。分かってる』
ヴェルマリスは小さく息を吐き、視線を舞台へ戻した。
自分の役目は、ここで怒りをぶつけることではない。
この場所で何が行われているのか。誰が関わり、どこへつながっているのか。
それを突き止めなければ、また別の場所で同じことが繰り返される。
やがて最初のオークションが終わった。
落札を告げる木槌の音が、会場に響く。
係員たちは落札者の番号を確認し、舞台上の人々を一人ずつ連れていった。
そのうちの一人が、舞台を降りる直前、客席を振り返った。
目が合った。
ほんの一瞬だった。
助けを求めているのか、ただ出口を探しているのか。それすら分からない。
けれど、ヴェルマリスはその視線を忘れられなかった。
何もできなかった自分を責めるより先に、次こそ見逃さないと心に決める。
司会者は何事もなかったかのように笑みを浮かべ、次の競売品を紹介した。
「続きまして、次の者たちをご紹介いたします」
ヴェルマリスは会場を見回した。
先ほどまで談笑していた招待客たちの中に、真剣な目つきで舞台を見つめる一団がいた。
その者たちは、労働奴隷が紹介されたときにはほとんど関心を示さなかった。だが、次に舞台へ連れてこられた者たちを見ると、互いに目配せを交わした。
彼らの視線は、体格のよい男たちに集中していた。
司会者が説明を始める。
「こちらは戦闘訓練を受けた者たちです。体力、反応速度ともに優れており、護衛や軍事用途にも適しております」
その言葉が終わる前に、先ほどの一団の一人が手を挙げた。
「その者たちの出身地は?」
「アラビアをはじめ、各地から集められております」
司会者が答えると、男は隣に座る人物へ短く何かを告げた。
ヴェルマリスは、そのやり取りを見逃さなかった。
労働奴隷のオークションでは、あれほど関心を示さなかった者たちが、戦闘奴隷となると積極的に動き始めたのだ。
そのうちの一人が、オークションの開始を待つように指先で肘掛けを叩いている。
別の男は、舞台に並ぶ者たちを一人ずつ確認し、隣の人物に短く頷いた。
彼らにとって、これは単なる買い物ではない。
必要な条件を満たす人間を探している。
単に戦力を欲しているだけなのか。それとも、別の目的があるのか。
『ジャン、聞こえる?』
『はい』
『ザイル王国の関係者らしき連中が、戦闘奴隷に強い関心を示してる。労働奴隷にはほとんど反応しなかった』
『……分かりました。監視班にも確認させます。引き続き、彼らの会話と取引相手を観察してください』
『了解』
ヴェルマリスは、何食わぬ顔でグラスを手に取った。
「何か気になることでも?」
アランが隣から尋ねた。
「いえ、今回の出品は、ずいぶん偏っているなと思いまして。それと先ほどの方たちは、労働奴隷には興味がなさそうだったので」
「ほう。よく見ているねえ。確かに、今回は広告に使えそうな人材がいないねえ」
アランは舞台に目を向け、つまらなそうに肩をすくめた。宝飾品を扱う商人として、商品の見せ方や人目を引く容姿にはこだわりがあるらしい。
アランは舞台に目を向け、つまらなそうに肩をすくめた。しかし、すぐに何かを思いついたようにヴェルマリスへ視線を戻す。
「それに比べて、君はずいぶんと魅力的だ。どうだい? うちの広告のモデルになってみないかね?」
「……僕が、ですか?」
「もちろん! その顔立ちに、その雰囲気。宝石を身につければ、きっと映えると思うんだよ」
アランはそう言って、ヴェルマリスの肩に手を置いた。その手はすぐには離れず、親しげに肩口を撫でる。
「いやあ、本当に惜しいねえ。こんなに綺麗な子が護衛だなんて」
そう言いながら、アランはヴェルマリスの腰に腕を回し、ぐっと自分のほうへ引き寄せた。
――おいおい、今度は何だよ……。
離れようとすれば不自然になる。仕方なく好きにさせるが気分が悪い。
「ありがとうございます。ですが、俺は護衛の仕事がありますから」
「そう固いことを言わなくてもいいじゃないか。少しくらい、私のわがままに付き合ってくれたっていいだろう?」
アランは悪びれる様子もなく笑い、今度はヴェルマリスの髪に手を伸ばした。整った前髪を指先で軽く直すように触れ、満足そうに頷く。
「うん、やっぱりいい。君はこうしているだけでも絵になるねえ」
―― 一言多いんだよ、このおっさん……。頼むから、少しは静かにオークションを見せてくれ。
内心ではうんざりしていたが、ヴェルマリスは表情を崩さなかった。
「お褒めいただき光栄です。ですが、今は仕事中ですので」
柔らかく、しかし先ほどよりもわずかに距離を置いた声で告げる。
「おや、残念だねえ。まあ、気が変わったらいつでも声をかけておくれ」
「ええ、そのときは」
ヴェルマリスは当たり障りのない返事をし、再び舞台へ視線を向けた。
アランがなおも楽しげに話を続ける間も、彼の意識はオークションの進行と周囲の招待客へ向けられていた。
やがて、戦闘奴隷のオークションが始まる。
最初の金額が告げられた途端、複数の招待客がほぼ同時に手を挙げた。
先ほどとは明らかに違う熱気が、会場を満たしていく。
競り上がる金額。交わされる視線。落札の機会を逃すまいとする客たち。
その熱気の中で、ヴェルマリスだけは別のことを考えていた。
この人たちは、いったい何のために戦闘奴隷を集めているのだろう。
答えを知るまでは、ここを離れられない。
蠍座をみれる時期は10月24日頃〜11月21日頃ちょうど今からですね。




