第二話「潜入開始」
翌朝。
「……というわけで、次のオークションに潜入することになりました!」
ヴェルマリスの声が、特殊部隊の作戦会議室に響き渡った。
「いや、説明が端折られすぎでしょう」
向かい側に座っていたジャンが、こめかみを押さえた。
「まずは情報共有からです。隊長が捕らえた男から、次のオークションの開催日時と場所が判明した。さらに、その男はザイル王国の名を口にしかけた。ここまではいいですね?」
「うん!」
「では、なぜ潜入が必要なのか。そこを説明してください」
「だって、行かなきゃ何も分からないだろ?」
ヴェルマリスは当然だと言わんばかりに首を傾げた。
会議室のあちこちから、小さな笑い声が漏れる。
「隊長らしいな」
「まあ、実際その通りではあるけど……」
「ジャンさん、もう諦めた方が早いですよ」
「そうですよ…ああなった隊長は副隊長でさえ止めれませんもん」
「君たちまで隊長を甘やかさないでください」
ジャンはため息をつきながら、机の上に一枚の地図を広げた。
ヴェルマリスは悪びれる様子もなく、地図を覗き込む。
「次のオークションまで時間がないなら、今から動かないと間に合わないかもしれない」
その言葉に、ジャンは口を閉じた。
確かに、時間は限られている。
オークションが開催されれば、売買される人々は各地へ移送される可能性がある。開催後に調査を始めたのでは、手遅れになるかもしれない。
「……分かりました。ただし、潜入する前に会場周辺の調査を行います。参加者の情報も集め、退路を確保する。それが条件です」
「はーい!」
「それから、私の指示を無視して勝手に動かないこと」
「はーい!」
「本当に分かっていますか?」
「分かってるってば!」
ジャンは疑わしそうにヴェルマリスを見つめたが、これ以上言っても仕方がないと判断したのか、手元の資料へ視線を戻した。
「では、まずは開催場所の確認からです。男が話した場所は、港町の郊外にある倉庫です。所有者は表向き、複数の国と取引を行っている商人。ですが、ここ数か月の取引記録に不自然な点が見つかっています」
「倉庫かあ……。人を集めるには都合がよさそうだね」
「ええ。ですが、倉庫の所有者とオークションの主催者が同一人物とは限りません」
ジャンは資料の一枚をヴェルマリスに渡した。
「こちらが、現在までに判明している関係者です」
ヴェルマリスは紙面に目を落とした。
商人、貴族、運送業者。いくつもの名前が並んでいる。
その中に、一つだけ不自然な記載があった。
「……これ、何?」
ヴェルマリスが指差したのは、ある商人の取引記録だった。
通常の商取引とは別に、複数の国を経由する荷物の移送が記されている。しかも、荷物の内容は曖昧なまま、同じ記号が何度も繰り返されていた。
「この商人、何を運んでいるの?」
「現時点では不明です。書類上は一般的な商品となっていますが、輸送経路に不自然な点があります」
「奴隷を運んでるってこと?」
「その可能性が高いでしょう。ただし、まだ断定はできません」
ヴェルマリスは地図を覗き込み、港から倉庫へ続く道を目で追った。
「じゃあ、オークションの参加者に紛れ込んで、誰が来るのか調べる。ザイル王国の人間がいれば、そいつらの取引も確認する。そういうことだよね?」
「大筋ではそうです。ただし、目的は情報収集です。無用な戦闘は禁止。独断行動も禁止。証拠を確保し、必要なら撤退する。それが今回の作戦です」
ジャンは念を押すように、ヴェルマリスを見た。
「特に、隊長」
「えー、俺だけ?」
「日頃の行いを振り返ってください」
隊員たちの間で、また笑いが起こった。
ヴェルマリスは不満そうに頬を膨らませたものの、すぐに地図へ視線を戻した。
「分かった。ちゃんとみんなと動くよ」
「その言葉、信じていますからね」
「本当だってば!」
ジャンは疑わしげな顔をしたまま、別の書類を取り出した。
「今回の潜入では、全員が同じ場所に入る必要はありません。内部に入る班、周辺を監視する班、そして外部との連絡を維持する班に分けます。参加者の顔ぶれや取引内容を確認できたら、こちらに情報を送ってください」
「もし、オークションにザイル王国の関係者がいたら?」
隊員の一人が尋ねた。
「接触は慎重に。相手が何者なのか、どこまで関与しているのかを見極める必要があります。名前だけで決めつけてはいけません」
ジャンの言葉に、ヴェルマリスは静かに頷いた。
ザイル王国。
先ほどまで、セレナが話していたときの表情が頭をよぎる。
いつも穏やかに笑っている彼女が、あの名を聞いた瞬間、わずかに表情を曇らせたこと。
何かある。
それだけは、ヴェルマリスにも分かった。
「……ジャン」
「はい?」
「今回のオークション、絶対に何か隠してると思う」
先ほどまでの軽い調子とは違う声に、会議室の空気が少しだけ引き締まった。
「だから、ちゃんと調べたい。セレナ様が気にしてることも、捕まえた男が言いかけたことも。全部、確かめたいんだ」
ジャンはしばらくヴェルマリスを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……分かりました。ただし、隊長一人で背負わないこと。私たちはそのためにいるんですから」
「うん!」
ヴェルマリスは、いつもの明るい笑顔で頷いた。
机の上には、オークション会場の地図と、商人の取引記録。そして、まだ正体の分からない不審な取引の痕跡。
その先に何が待っているのか、今は誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、今回の任務が、単なる奴隷オークションの摘発では終わらないかもしれないということだった。
「今回の作戦目的は四つです」
ジャンは地図の横に、四枚の資料を並べた。
「第一に、オークションの主催者と参加者の特定。第二に、ザイル王国との関係を示す証拠の確保。第三に、不審な輸送記録の調査。第四に、必要に応じた奴隷の保護です」
「優先順位は?」
隊員の一人が尋ねた。
「まずは情報収集と証拠の確保です。救出が必要な状況を確認した場合は、その場で判断します。ただし、隊員の安全を無視した行動は認めません」
ジャンはそこで言葉を切り、ヴェルマリスへ目を向けた。
「特に、隊長の独断で作戦を変更することは禁止です」
「分かってるって!」
「その返事は、作戦中にも覚えておいてください」
隊員たちの間に、控えめな笑いが広がった。
ヴェルマリスは不服そうに口を尖らせたが、すぐに机の上の資料へ視線を落とした。
「……でも、もし売られそうになってる人がいたら、見捨てないからな」
「だからこそ、全員で動くんです」
ジャンの言葉に、ヴェルマリスは今度こそ素直に頷いた。
**
作戦当日。
港町の郊外には、日が傾き始めた頃から次々と馬車が集まっていた。
海沿いに建てられた大きな倉庫。その外観は一見すると、商人が所有するありふれた荷物置き場にしか見えない。しかし、入口には身なりの整った男たちが立ち、招待状を確認しながら訪問者を中へと通していた。
ここで行われるのは、表向きには一部の富裕層や貴族を対象とした骨董品オークション。
だが、その実態は、人間やデミゴッドを商品として売買する違法な奴隷オークションだった。
馬車の中で、ヴェルマリスは隣に座る男をちらりと見た。
アラン・オルテガ(56)、宝石店のオーナー。
エルビーナ王国内でも名の知れた富豪であり、裏のオークションにも顔を出す。金と人脈を使い、大抵のことを金で思いどおりにしてきた男だった。
女好きとして知られているが、男にも平然と声をかける。相手の性別や身分を問わず、気に入れば甘い言葉を囁き、ためらいなく距離を詰める。相手が使用人であろうと貴族であろうと、その態度はほとんど変わらなかった。
―妻子持ちなのによくやるな…このおっさん…
今回の潜入にあたり、ヴェルマリスは偽名の『ヴェリ』を名乗り、アラン・オルテガの護衛として会場に入ることになっていた。
「ねえ、ヴェリ」
甘い声で偽名を呼ばれ、太股に手を置かれる。
「はい、オルテガ様」
「そんなにかしこまらなくてもいいんだよ。二人きりなんだから」
アランは楽しそうに笑い、ヴェルマリスの肩へ腕を回した。
「君は本当に愛らしいねえ。初めて会ったときから気になっていたんだが、近くで見るとますますいい」
「そう言っていただけるなんて、光栄です」
ヴェルマリスは柔らかく微笑んだ。
アランは彼の返事に満足したように目を細め、襟元を整えるふりをして肩口に触れる。指先はそのまま、少しばかり長く留まった。
「ふふ、礼儀正しいところもいいね。君みたいな子がそばにいてくれたら、毎日退屈しなさそうだ」
ヴェルマリスはアランの方へ身を寄せて。
「オルテガ様のお話は、聞いていて飽きませんから」
もちろん、半分以上はお世辞だ。
けれど、相手を喜ばせる言葉や仕草を選ぶのも潜入任務のうち。ヴェルマリスは相手の機嫌を損ねない程度に笑みを保ち、さりげなく話題を変えた。
「今夜のオークションには、いつも以上に大勢の方がいらっしゃるのでしょうか?」
「おや、興味があるのかい?」
アランはヴェルマリスの手を取り、親しげに指先を撫でた。
「ええ。オルテガ様がわざわざ招いてくださった場所ですから、どんなものが見られるのか楽しみで」
「それは嬉しいことを言ってくれる!」
アランは声を弾ませた。
「商人に貴族、それから遠方から来たお偉方もいるだろうね。普段はなかなか顔を合わせないような連中も来る。君にとっても、いい経験になるはずだよ」
「それは楽しみです。もしよろしければ、会場でいろいろ教えていただけますか?」
「もちろんさ。何でも聞いてくれたまえ」
アランはヴェルマリスの肩を抱き寄せ、嬉しそうに顔を覗き込んだ。
「今夜は私のそばを離れてはいけないよ。君には、もっといろいろな世界を見せてあげたいからね」
「ありがとうございます。頼りにしています、オルテガ様」
ヴェルマリスは素直に頷いてみせた。
アランの距離感には困るが、こうして機嫌よく話してくれるのなら都合がいい。相手が気を許しているうちに、競売の参加者や主催者について聞き出せるかもしれない。
やがて、馬車の窓から倉庫の影が見え始めた。
「もうすぐ到着だね」
「はい。どんな会場なのか、楽しみです」
ヴェルマリスは窓の外へ目を向けた。
倉庫の周囲には武装した警備員が立ち、裏手には荷馬車が何台も停まっている。正面からは見えない位置に、別の出入口もあった。
表情は変えず、視線だけで周囲を確認する。
警備の人数。出入口の位置。荷物の搬入経路。
一つずつ頭に刻み、袖口に隠した通信具へ指先をそっと触れた。
『こちらヴェルマリス。会場に到着した。これから内部に入るよ』
『隊長、くれぐれも予定外の行動はしないでください』
『分かってるって』
『……その返事が一番不安なんですが』
通信が切れる直前、ジャンの深いため息が聞こえた。
短く報告を送り、何事もなかったように手を下ろす。
「どうしたんだいヴェリ?」
アランが顔を覗き込んできた。
「いえ、少し周りを見ていただけです。立派な建物ですね」
「そうだろう? 中も面白いものが見られるよ」
「それは期待してしまいますね」
ヴェルマリスが笑うと、アランは満足げに頷き、再び彼の頭を撫でた。
「いい子だ。今夜は私がついているから、安心して楽しみなさい」
アランはそう言って、ヴェルマリスの髪を勝手に撫でつけた。乱れてもいない前髪を指先で整え、満足そうに頷く。
「やっぱり、君はこうしていると絵になるねえ」
「ありがとうございます、オルテガ様」
ヴェルマリスは笑顔で礼を述べた。
――人の髪で遊ぶなよ……。
差し出された手を取り、ヴェルマリスはアランとともに会場へ向かった。
甘ったるい言葉にも、近すぎる距離にも、いちいち反応する必要はない。
相手に気に入られていることは、潜入するうえで大きな利点だ。
ヴェルマリスは笑顔を崩さないまま、倉庫の入口をくぐった。
――さて、今夜はどこまで探れるだろうか。
乙女座の由来には複数の説があり、この物語の乙女座はデメテルという大地の実りや農作物、豊穣を司る女神。
夜空で見れるのは4月 〜 6月上旬ごろ




