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雪兎堂を満喫したカケスは、付き合ってくれたお礼を言って神保と別れた。駅までの道のりは、神保のアパートと逆方向なのである。
次のダイヤまでかなり時間があるので、どこで暇を潰そうかと思案していると、スマホが鳴った。出てみると、雪兎堂のおばちゃんだ。
「ああ、良かった。カケスくんの番号聞いといて。お友達が忘れ物したみたいなんだけど、取りに来れる?」
カケスは仲良くなると、老若男女問わず、誰とでも連絡先を交換する。その特性が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「まだ近くにいるから、大丈夫だよ。ちょうど時間あるから、今から取りに行くね」
「ありがとう、助かるわ。おばちゃん、お店開けられなくて、お手数かけてごめんね」
「全然いいよ」
まだいくらも歩いていないので、お安い御用である。カケスは引き返した。
ものの数分で雪兎堂につくと、おばちゃんは大袈裟なほど恐縮して、次回来店用にとあんみつの割引券をくれた。「半額」をバッテンして、「無料」と上書きしてある。儲かってしまった。
神保の忘れ物は、白い小さな封筒だった。忘れ物というより、落とし物だ。おばちゃんによると、財布を仕舞うときに何かが落ちたのが見えたが、不要レシートだと思って声をかけなかったらしい。捨てようと思って拾ってみると、封筒だったというのだ。
それは3センチ×8センチくらいの、手作り感のある封筒だった。確かに雑紙に見えなくもないが、素材は和紙である。封は閉じていなかったので開けてみると、針が何本か入っていた。
「お裁縫道具みたいね。家庭科の授業で使うのかしら?」
「授業で使うのとは違うなあ。お父さんと二人暮らしっていってたから、もしかしたら繕ったりするのかな」
「そうなの。えらいわね~。うちの息子にも見習わせたいわ。それにしても、『繕う』なんて言葉良く知ってるわね、カケスくん」
本題と外れたところを、おばあちゃんに褒められる。一応父が職業作家なため、日本文学は一通り読まされていた。そのためカケスは、古くさい表現を使ってよく驚かれる。
日本文学自体は、あんまり面白くないので好きではないが。
「神保くんち近くだから、届けとくよ」
「そう。ありがとうね。じゃあ、その神保くんの割引券もあげるわ」
「サンキュー、おばちゃん。また来るね」
カケスは2枚の割引券を手にして、神保のアパートに向かった。忘れ物と割引券を渡して、少し雑談しても電車には十分間に合う。
得した感動を分かち合いたかったので、なるべく長い時間滞在したい。カケスはダッシュで神保のアパートに向かい、電光石火で郵便受けの部屋番号を確認した。
郵便受けはむき出しで、鍵すらかかっていなかった。安アパートとはいえ、セキュリティ上どうなのだろうか?
外階段をかけ上がり、203号室に向かう。ちょうど202号室の住人が帰宅したところで、会釈をするが無視された。疲れ切ったような無精髭の男は、荒々しく扉を開け、荒々しく扉を閉めた。そしてすぐに、大きな音で音楽をかけ始める。
大分ストレスが溜まっていそうだなと、カケスはどうでもいい感想をもった。
まあ、こういう輩は放っておくに限る。
満を持して(?)チャイムを押そうとしたところ、室内からくぐもった怒鳴り声が聞こえた。
「口答えをするな!」
ドキリとして、チャイムに置いた人差し指を引っ込める。
(え? DV?)
声の主は、明らかに大人の男だった。抑えてはいるが、低く厳しい声だ。この部屋で大人の男性といったら、神保の父親しかいない。
ということは、怒られているのは神保ということになる。
「だって、もう耐えられないよ。この前だってあいつ、オレを差し出して自分だけ逃げたんだ。あんなやつ、どうして守らなきゃいけないんだ?」
案の定、声の主は神保だった。
(あいつ? 守る?)
カケスの中に、いくつもの疑問符が生まれる。完全に入るタイミングを逸したカケスは、息をひそめて聞き耳を立てる。
202号室のおっさんの重低音が気になるが、神保も父らしき男性も、滑舌がはっきりしているせいか、何をしゃべっているかは十分聞き取れた。
「生意気を言うんじゃない。コーカモノの掟を忘れたのか?」
「じいちゃんに死ぬほど聞かされたんだ。忘れるわけない。でも納得できないよ。なんであんな厳しい修行して、技を磨いて、それを隠さなきゃいけないんだ。何もできないふりして、いざ本気出すとしたら、あんな卑怯者守るときだけだ。本気で部活やらせてくれたら、スポーツ推薦の奴らにだって、負けるはずないのに」
神保父(推定)は、吐き捨てるような声で笑った。
「はっ。まさかお前、表舞台に立ちたいなんて思っているんじゃないだろうな。それこそ絶対に許されないタブーだ。いいか俺たちは、どこまでいっても陰でいなきゃいけないんだ。だいたいお前ごときの実力で、トップ取った気になってるじゃねえ。スポーツ舐めるんじゃないぞ」
「なんだよ、父さんだって、じいちゃんに逆らっていたじゃないか」
「いい気になるんじゃない!」
バン! と破裂音がした。隣人のかけたロックだかパンクだかの効果音だが、神保が叩かれた音が、その音にかき消された可能性もある。
暴力だとしたら、割って入るか、警察に連絡した方がいいのかもしれない。カケスは逡巡した。しかし、さしものカケスも、怖くて足がすくんでいた。なんだか、とんでもない秘密を耳にしてしまったのかもしれない。
すくんでしまった身体とはうらはらに、聴覚だけが研ぎ澄まされていく。神保父親の説教は続いていた。
「いいか、お前はガキだ。何も分かっちゃいないガキなんだよ。いいから、俺の言うとおりにしろ。成人するまで従って、それでも納得できなかったら反逆でもとんずらでもすればいい。俺だってこんな古くさい因習なんか、お前の代で断ち切ったって、痛くもかゆくもねえんだ。だけどたかだか十数年しか生きてないくせに、何もかも知ったように結論づけることは許さない」
「納得できない」
「納得なんてのは、分別が付いてからするものだ。いいからここにいるうちは、俺に従うんだ、いいな」
ガタンと音がした。おそらく、突き放された神保の身体がどこかにぶつかったのだ。
やはりこの状況は、どう考えても逃げるが勝ちだ。カケスは息をひそめたまま、そっと後退りし、極力物音を立てないようにしながら、こそこそとアパートを後にした。
今となっては、隣のおっさんの騒音がありがたかった。そうでなければ、いかに興奮していたとはいえ、あの親子にカケスの存在は気づかれていただろう。
ただ者ではない。
(コーカモノって、なんだ?)
心臓がドキドキした。




