第7話 ご一緒にいかがですか?
夜明けのベーカリー裏。
手押し車の奥に隠したブリキ缶を開け、冷え切った指先で硬貨を数え直す。
チャリン、チャリン、と澄んだ金属音が鳴り響く。
十セント銀貨、大口径の五十セント銀貨、そして鈍く光る一ドル銀貨。
昨夜の百五十食は見事に完売した。
原価を差し引き、積み上がった純利益は十三ドル。
初日の残金と合わせ、手持ちの総資金は二十一ドル八十セントに達していた。
「……二十ドルを突破したか」
金鉱夫が暗黒の坑道で、泥水をすすりながら半月以上働いてようやく手にする大金だ。
それを、追放された十八歳の少年がわずか二日で稼ぎ出した。
だが、俺の頭の中に浮かれた気分など微塵もない。
(もう、スクラップヤードでゴミを漁る段階は終わった)
手元に十分なキャッシュ(運転資金)があるなら、金を使って時間と精度を買う。設備投資の鉄則だ。
ボロ鉄のガタつきで作業動線を滞らせたり、粗悪な道具で仕込みを失敗したりするリスクは、金で完全に排除する。
今夜のサルーンとの勝負に、一秒のロスも許されない。
「オットー、出かけてくる。今日も裏を使わせてもらうぞ」
「……好きにしな。銀貨を落としていく客なら大歓迎だ」
工房の奥から返ってきた親父の声を背に、俺は足早に目抜き通りへと向かった。
訪れたのは、駅前通りに店を構える金物屋だ。
煤けた店内には、開拓者たちが必要とする頑丈な鉄製品がずらりと並んでいる。
「いらっしゃい。……なんだ坊主、冷やかしならとっとと出ていきな」
カウンターの奥から、煙草をくわえた頑固そうな店主が煙たそうに目を細めた。
俺は一歩も引かず、店内を鋭く見渡し、必要な器具を指差した。
「そこの焼き入れされた厚底の鋳鉄深鍋を一つ。
それから、油切りの金網バスケット。
あと――頑丈な角材フレームに張られた、目の詰まった格子状の鉄網だ」
「あぁん? そいつらは全部新品だぞ。二ドル以上するんだ、ガキの小遣いで買える代物じゃ――」
――ジャラリ。
俺は言葉を挟む代わりに、ポケットから二ドル五十セント分の銀貨を取り出し、カウンターの木板へ叩きつけた。
鈍く重い銀の光が、埃っぽい店内にギラリと反射する。
店主の煙草が、ぽろりと灰を落とした。
「……釣りはいらない。今すぐ全部包んでくれ」
「へ、へい……! まいどあり!」
店主の態度が一瞬で百八十度裏返る。
道具に払う二ドル五十セントなど、今夜の勝負ですぐに回収できる。
そのまま市場へ走り、農民のワゴンから泥だらけのジャガイモが詰まった大袋(五十ポンド)を五十セントで買い叩く。
さらに解体場へ飛び込み、ドノバンの親父から冷えたケンネ脂を十五ポンド、一ドルで仕入れた。
(ジャガイモ一食分の原価は、わずか一セント未満。
これを五セントで売るだけで、粗利益率は驚異の八〇パーセント超えだ……!)
原価率が極めて低く、客の胃袋と喉を爆速で満たすサイドメニュー。
ポテトこそが、現代ファストフードチェーンを世界的帝国へ押し上げた真のドル箱だ。
ベーカリーの裏庭へ戻り、仕込みの第二段階へ入る。
手押し車の薪ストーブ脇に、買ってきたばかりの鋳鉄深鍋をがっちりと固定。
これで12ミリの極厚鉄板と、油を湛える揚げ鍋のハイブリッド屋台が完成した。
だが、最大の問題はポテトのカット工程だ。
五十ポンドものイモを、包丁で一本ずつ拍子木切り(スティック状)に刻むなどという狂気の非効率は論外だ。
そんなことをしていれば、夕方までに腕が死んでしまう。
(わざわざ専用のスライサーを作る必要すらない。
すでに手押し車には、最強の動力が据え付けられているんだからな)
俺は冷たい水を入れた木桶の上に、買ってきた鉄網フレームをしっかりと固定した。
刃のようにエッジの立った強靭な鉄の格子。
その真上へ、泥を洗い落とした大振りのジャガイモをコロンと置く。
そして――。
手押し車のテコ式スマッシャーの長いオーク材レバーを握り、真下へ一気に叩き下ろした。
――ガシャンッッッ!!!
乾いた凄まじい衝撃音が裏庭に木霊した。
鋳鉄塊の自重。そこにテコの原理による数十倍の圧力が加わり、イモを真上から容赦なく押し潰す。
ブシュッ! と弾けるような音を立て、硬いジャガイモが一瞬にして鉄網の格子を突き抜けた。
バラバラバラッ!
均一な太さの美しい拍子木切りとなったポテトが、下の水桶へと音を立てて雪崩れ落ちていく。
わずか一秒。
包丁なら何十秒もかかるカットが、レバーを片手で一押しするだけで完了した。
「……完璧だ」
ガシャン! ガシャン! ガシャン!
軽快なリズムでレバーを振り下ろすたび、瞬く間に大量のスティックポテトが水桶を満たしていく。
だが、ここからが本当の勝負だ。
ジャガイモをただ切って揚げるだけでは、フニャフニャで脂っこい失敗作になる。
「まずは、表面のデンプンを徹底的に洗い流す……」
冷水の中でポテトを激しく掻き回す。
水が白く濁っていく。
余分なデンプンを洗い落とすことで、揚げた時の不快な焦げ付きを防ぎ、驚異的なカリカリ感を生み出す土台を作るのだ。
水気を完全に拭き取った後、俺は深鍋に火を入れた。
放り込んだのは、植物油ではない。
解体場から仕入れた、純度一〇〇パーセントの牛脂の巨大な塊だ。
熱された鋳鉄鍋の中で、白い脂がジュワジュワと透明な黄金色の油海へと変わっていく。
(揚げる工程は、絶対に『二度揚げ』だ)
まずは低温(約百五十度)の牛脂でじっくりと下茹で揚げ(ブランチング)。
ポテトの中心部にあるデンプンを均一に糊化(α化)させ、ホクホクの状態に仕上げてから、金網バスケットで一度引き上げる。
余熱で火を通し、内部の水分を安定させる。
こうして仕込んでおけば、本番の夜は高温の牛脂にわずか数十秒くぐらせるだけで、外側は凶悪なまでにカリッカリ、中はトロリと熱々のポテトを秒速で提供できる。
仕込みの合間、俺は下揚げを終えたポテトの一掴みを、高温の牛脂へ放り込んだ。試し揚げだ。
――シュワワワワワワッッッ!!
激しい泡立ちとともに、裏庭の凍てつく空気が一変した。
立ち上る油煙。
植物油の軽い匂いとはまるで違う、牛脂特有の甘く重厚で、脳髄を直接揺さぶるような凶悪な肉の香気が爆発する。
黄金色に色づいたポテトを引き上げ、粗挽きの岩塩をこれでもかと豪快に振りかける。
一本、指でつまんで口へ放り込んだ。
――ガリッ、サクッ……!
凄まじい食感だった。
牛脂で揚げ固められた外殻が小気味よく砕け散り、中からアツアツでクリーミーなジャガイモの甘みが溢れ出す。
そして、間髪をいれずに襲いかかる、舌が痺れるほどの強烈な塩気。
咀嚼するたびに、牛脂の圧倒的な動物性のコクが口いっぱいに広がり、胃袋を容赦なく刺激する。
(……これだ)
思わず喉が鳴った。
唾液が洪水のように溢れ出し、猛烈な勢いで喉の奥が渇きを訴え始める。
塩分、脂、糖質。
人間が本能的に抗えない三大要素の完全なる結晶。
(これを食って、酒を煽らずにいられる人間がいたら……ぜひお目にかかりたいもんだな)
夕暮れ時。
西のロッキー山脈の稜線が、血のような赤紫に染まり始める。
手押し車の上には、下揚げを完了させた山のようなポテト。
成形済みのパティボール、そしてオットーから仕入れた百五十個の丸パン。
改造を終えた手押し車の車輪を軋ませ、俺は駅前の目抜き通りへと歩みを進めた。
通りの向こう。
サルーンの軒先、ガス灯の薄暗い明かりの下に、見覚えのある巨躯が立っていた。
革ベストの胸元に銀のチェーン。
腰には使い込まれた大口径リボルバー。
顔に真一文字の傷を持つ用心棒のリーダー――ガスだ。
二人の部下を従え、腕組みをした大男の濁った瞳が、手押し車を押してやってくる俺を捉えた。
ズシリ、ズシリと重い足音を響かせ、ガスが路地の真ん中へ歩み出てくる。
「約束通り、見せてもらおうか小僧。
……もし口先だけのハッタリなら、その薄汚れた屋台ごとミンチにしてやるぜ」
ドスの利いた脅迫。
だが、俺の心臓は驚くほど静かに脈打っていた。
手押し車の薪に火を放ち、鋳鉄鍋の牛脂を溶かしながら、俺は不敵に口元を吊り上げた。
「胃薬の心配でもしておけ。――今夜、あんたらのサルーンの酒を全部空にしてやるよ」
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