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第2話 明日に向かって焼け!

「五ドル、四十セント」


手のひらの上で、くすんだ銀貨と銅貨が擦れ合い、ジャラリと冷たい音を立てた。




殴られた鼻梁と右目の奥の激痛が、これが悪夢ではなく現実だと教えていた。


身ぐるみ剥がされ、着の身着のままで放り出された十八歳の路頭迷い人。ポケットの全財産は、わずか五ドル四十セント。




開拓都市デンバーの物価を、記憶が弾き出す。


安サルーンのドミトリーベッドですら一泊二十五セント。


酒場の硬い干し肉と不味いウィスキーが一食十五セント。切り詰めても二週間持たずに飢え死にするのが関の山だ。




身を守る中古リボルバーは十二ドル、買えやしない。


(店舗を構える金はない。だが――即日キャッシュを生み出す『屋台』なら作れる)




早く最初の売上を立てられなきゃ、直に行き倒れて凍死コースだろう。


生き残る絶対条件は二つ。初期投資を極限まで削り手持ち現金を残すこと。




そして、荒くれどもから現金を毟り取れる、圧倒的中毒性を持った商品を最速で組み上げること。




「立ち止まって愚痴を垂れてる暇はねえぞ」


足を引きずり、俺は駅裏の集積場へと走り出した。




石炭の煤煙が立ち込め、歪んだレールや爆発事故を起こした蒸気機関の残骸が積み上がる廃棄物の墓場――スクラップヤード。




「おい、ガキの遊び場じゃねえぞ! 失せろ!」


山積みのガラクタの陰から、煤まみれの老人が散弾銃片手に怒鳴りつけてきた。




「じいさん、仕事の邪魔はしねえ。使えそうな鉄屑を少し買い取りたいだけだ」


「金もねえ浮浪児が生意気抜かすな。東部の製鉄所に送るモンばかりだ」


「金ならある」




ポケットから二十五セント銀貨を弾く。


キィンと高い金属音が響き、老人の目が動いた。


返事を待たずにゴミの山へ分け入る。探すものは決まっていた。




まず第一の獲物。片方の車軸が歪んで放置されていた二輪の手押し車(ハンドカート)だ。


蹴飛ばして強度を確かめると、過酷な乾燥で引き締まったオーク材はビクともしない。「移動式厨房」の頑丈なベースになる。




そして、第二の獲物。崩れ落ちた大型薪ストーブの残骸から、分厚い鉄の塊を引きずり出した。鉱山用の調理ストーブに使われていた平らな鉄板だ。




持ち上げた瞬間、ずしりと腕が軋む。重さは二十キロ以上、板厚は半インチ――約十二ミリ。


赤錆が浮いているが、ヒビや歪みはない。




(見つけた……! 極厚の鋳鉄天板だ!)


薄っぺらい鉄板では、冷えた生肉を載せた瞬間に鉄の熱が奪われ、表面温度が急降下してしまう。肉汁が逃げてパサつき、香ばしい焼き目はつかない。




だが、この十二ミリ厚の極厚鋳鉄なら桁違いの熱容量を蓄えられる。冷たい肉を叩きつけようが表面温度はブレず、一瞬で二百度以上の高熱を肉の表面に叩き込めるのだ。




アミノ酸と糖が熱反応を起こし、爆発的な香気を生み出す物理現象――メイラード反応を強制的に引き起こす、最強の鉄板(グリドル)だ。




「おい、そんなクズ鉄をどうする気だ?」


「ストーブの蓋だろ。手押し車と合わせて二十五セントでどうだ? 片付けの手間を省いてやるよ」




老人は差し出した銀貨を素早くひったくった。


「持ってけ。気が変わらねえうちにな」


所持金、残り五ドル十五セント。




次に向かったのは、街の東端。チェリー・クリーク沿いのストックヤードと解体場だ。




生血と内臓、牛の糞尿が混じった悪臭の中、テキサスから追われてきたロングホーン牛が次々と解体されている。




「へい、大将!」


一番体格のいい解体作業員に声をかけた。男は血塗れの包丁を止め、睨み下ろしてくる。




「あぁ? ここは見世物小屋じゃねえぞ。血を浴びたくねえならすっこんでろ」


「肉を買いに来た。サーロインやリブみたいな上等な赤身じゃない」




作業台の足元に転がる木箱を指差す。


「そこのスネと首の肉、それと横にあるケンネ脂だ。合わせて二十ポンドほど売ってくれ」




男は下卑た笑い声を上げた。


「ハッ! てめえ正気かよ! 何千キロも歩いてきた牛のスネや首なんざ、焼いたら靴底より硬てぇぞ。東部の家庭なら煮込みにするが、この街の酒場で誰がそんなモン食うんだ? 脂身だって牛の脂なんざ冷めたらベタついて食えねえ。石鹸屋やロウソク屋にタダ同然で引き渡すクズだぞ」




「何に使うかは俺の勝手だ。二十五セント払う」


銀貨を作業台の端にカツンと置くと、男は露骨に目を輝かせ、赤黒い肉塊と脂身を掴んで油紙に包んだ。手押し車へ無造作に放り投げてよこす。




「毎度あり! 顎が外れても文句言うんじゃねえぞ!」


(笑ってろ、無知な連中め)




何千キロも歩き抜いたスネや首は、運動量が多いぶん濃厚なゼラチン質と強烈な旨味が詰まっている。細かく叩いてミンチにすれば、硬い筋は極上の弾力へと化けるのだ。




そして牛の腎臓周りにつく上質なケンネ脂。融点が高く冷めれば固まるからこそ、限界まで熱した鉄板の上で超高温を維持し、肉の表面を爆発的な香ばしさで包み込む最強のコーティング剤になる。




原価率は驚異の一割以下。完全な捨て値で、最強の武器が揃った。


道すがらパン屋の裏口に寄り、昨日の売れ残りで硬くなりかけた丸パンを五十個、三十セントで買い叩く。大通りの雑貨屋で粗塩、黒胡椒、安価な鉄のヘラ(スパチュラ)を二本購入して五十セント。




残金、四ドル十セント。手持ち現金を大半残し、仕込みの準備は完全に整った。


デンバー駅前の大通りから一本入った路地裏。建物の軒下に手押し車を滑り込ませ、即座に厨房の構築を開始する。




解体現場の廃木材を割り、手押し車のフレーム上に組んだ即席の炉に火をくべ、十二ミリ厚の極厚鋳鉄天板を架け渡した。




「まずは、お前の目を覚まさせなきゃな」


赤錆だらけの鉄板を限界まで空焼きする。炎に煽られて炭化した錆をヘラで削ぎ落とし、青白い煙が立ち上った瞬間――ケンネ脂の塊を灼熱の鉄板へ直接押し当てた。




――ッジュウウウウウウウウウウッ!!


激しい破裂音とともに純白の脂が一瞬で液化し、大量の白煙が路地を覆い尽くす。


と同時に、石炭と泥水の悪臭が支配していた裏路地に、かつてないアロマが爆発した。




香ばしく甘い、野生の食欲を揺さぶる濃厚な牛脂の匂い。




脂を鉄板の隅々まで塗りたくる。熱された油が鉄の微細な隙間に入り込み、炭素と結合して酸化皮膜を形成していく。赤茶色だった鉄板は脂を吸い、夜の闇を反射する漆黒の鏡面へと生まれ変わった。




シーズニング完了。焦げ付きゼロ、食材の熱を逃がさない最強の戦闘台の完成だ。




間髪入れずに木板の上へ肉塊を並べ、左右の手に研ぎ澄ましたナイフを構える。




タタタタタタタタタタタタッ!


小気味よい高速のビートが路地裏に響く。前世のワンオペ深夜勤務で叩き込んできた身体の記憶。




スジを断ち切り、赤身を刻み、サイコロ状のケンネ脂を混ぜ合わせる。赤身八に対し、脂身二の黄金比。挽肉機などいらない。粗いハンドチョップだからこそ、噛み締めた瞬間に肉汁が爆ぜる圧倒的な「肉の塊感」が生まれるのだ。




手の熱で脂が溶け出さないよう手早く丸め、一個あたり約四オンス(約百十グラム)のパティに成形する。硬い丸パンは水平に切り裂き、鉄板の脇で炙る準備を整えた。




左手にパン、中央に熱源、右手にパティとヘラ。半歩も動かずに一分間で三食を捌き切る、究極のファストフード・レイアウトだ。




ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン――。


駅前の時計台が重々しく鐘を鳴らした。午後四時。開拓都市デンバーの「第一の波」が訪れる時間だ。


蒸気機関車の汽笛とともに、駅前のサルーンの扉が一斉に開け放たれる。




夜明け前から坑道に潜っていた鉱夫や、家畜積込を終えたカウボーイたちが砂埃にまみれて吐き出されてきた。日銭をポケットにねじ込み、飢えた獣のような目を光らせる荒くれども。




今まで胃袋に流し込んできたのは硬い塩漬け肉と、冷えた泥のような豆の煮込みだけだ。


「……美味いもんを食わせてやるよ」




炉に新たな薪を放り込む。極厚鉄板が獲物を待ち構えるようにジリジリと熱気を放つ。


路地裏から大通りへと、風に乗って濃厚な牛脂の白煙が流れ出した。通りを歩いていた荒くれ者たちが足を止め、飢えた犬のように鼻をひくつかせる。




俺は油の染みた無骨なヘラを両手に構え、血まみれの口元を獰猛に吊り上げた。


「仕込み完了だ。――野郎ども、キャッシュの用意はできてるか?」



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