第14話 青いドレスの執行官
ドゴォンッ! とテコ式プレスの重低音が響き、ジュワアアッ! と肉汁が吹き上がる。
「チリチーズフライ一丁、バーガー二丁!」
「はいッ! フライ揚がります!」
ティムが金網カゴを軽快に煽り、サムが皿を差し出し、ピートが大鍋から煮えたぎる赤黒いチリをドロリと注ぐ。
オットーの特注バンズを導入し、四人体制となった俺たちのラインは、もはや一つの完成された小宇宙だった。
だが、回転率が上がれば上がるほど、それを上回る勢いで噂が街中を駆け巡っていた。
路地裏を埋め尽くした鉱夫たちの列は、大通りの馬車の通行を塞ぐ寸前にまで膨れ上がっていた。
その時だった。
ヒヒィィンッ! という鋭い嘶きとともに、一台の馬車が路地の入り口に滑り込んできた。
艶やかな漆黒のエナメルで磨き上げられた車体。
金色の真鍮で縁取られた、薄暗い路地裏にあまりにも不釣り合いな豪奢な二頭立ての大型馬車。
馬車が止まると、前後のステップから銃を携えた屈強な私設警備員が四人、無言で飛び降りて周囲を威圧した。
「……おい小僧、まずいぞ」
列の整理をしていた用心棒のガスが、引き攣った顔で屋台の脇へ擦り寄ってきた。
「あの紋章……ペンドルトン家だ。
駅前一帯の土地をすべて牛耳ってる不動産王のじゃじゃ馬娘だぞ」
開かれた馬車の扉から、一人の少女が優雅にステップへと足を下ろした。
艶やかに波打つ、見事なブロンドの巻き毛。
理知の光を宿した、氷のように澄んだ青い瞳。
纏っているのは、煤煙の漂うデンバーの泥濘には一滴の汚れすら許さない、見事なサテン生地の深い青のドレスだった。
年の頃は俺と同じ、十八かそこら。
だが、その身に纏う気迫は、チンピラや工夫が束になっても敵わないほど冷たく、鋭利だった。
少女はレースの扇子でスッと鼻腔を覆いながら、護衛を従えて手押し車へと歩み寄ってきた。
煤けた鉄板。煮え滾る牛脂の深鍋。
そして、泥だらけのエプロンを着けた俺たち。
少女の青い瞳が、侮蔑ではなく、帳簿の赤字を検分するように手押し車を舐め回す。
ティムたちが息を呑み、怯えて俺の背後へと身を縮めた。
「あなたが、この不法占拠の責任者かしら」
鈴を転がすような美声。
「私はシャーロット・ペンドルトン。この一帯の土地管理を委任されている者です」
「へえ。地主のお嬢様が、こんな油臭い路地裏に何のご用で?」
俺がトングを持ったまま平然と問い返すと、背後の警備員たちがピクリと銃の台座に指をかけた。
だが、シャーロットは扇子を軽く振ってそれを制し、笑みを浮かべ、淀みなく論理を並べ立てた。
「交通妨害に無許可営業、おまけに野外の火気による火災リスク。あなたの屋台はこの周辺の地価を下げる粗大ゴミよ。明朝までに撤去なさい」
背後でティムが「店長……っ」と絶望に震える声を漏らした。
ガスも舌打ちをして視線を逸らす。大資本の前には、チンピラのリボルバーなど無力だ。
だが、前世のチェーン店時代、理不尽なビルオーナーや近隣クレームを何百回と相手にしてきた。
この手の手合いが、何を欲し、何に動かされるか、俺は痛いほど知り尽くしている。
「立ち退きか。……いいぜ」
「聞き分けが良くて助かるわ。では――」
「だが、その前に一つ食っていけ」
シャーロットがピシリと眉を止めた。
青い瞳に、警戒の色が強まる。
「……なんですって?」
「立ち退くのは明朝だろ。看板を下ろす前に、うちの看板メニューを味見していけと言ってるんだ」
「馬鹿げているわ。私がそのような、路地裏の不衛生な餌を口にするわけがないでしょう」
「おいおい、お嬢様」
俺は鼻で笑い、鉄板の前へ立ち直った。
「売り方も見ず、商品も食べず、理屈だけで判断するとはね。投資家として三流のやることだぜ」
シャーロットの額に、青筋がピクリと浮かび上がった。
名門商家の誇りを真っ向から侮辱され、令嬢の瞳に、鋭い怒りの炎が灯る。
「……ずいぶんな物言いですこと。いい度胸ね」
扇子をパチンと閉じる。
「いいでしょう。試してあげます。ただし、少しでも私の舌を不快にさせたら、明朝と言わず今すぐに、その屋台を元の鉄くずに戻すことね」
「商談成立だ」
俺は即座に意識を切り替えた。
(見せてやるよ。これが、資本を回して辿り着いた『完成形』だ)
俺は熱せられた極厚鉄板の上に、白い牛脂の塊を滑らせた。
ジュバァッッッ!!
白い煙とともに、甘く濃厚な香気が夜気へ爆発する。
立ち上る白煙が、直撃コースでシャーロットの顔面を呑み込んだ。
「なっ……!?」
令嬢の喉仏が、ピクリと小さく上下する。
ただ肉が焼ける匂いではない。
焦がされた赤身の野性的なアロマ。
ケンネ脂の重厚な甘い匂い。
挽きたての黒胡椒の鮮烈な刺激。
それら全てが鼻腔から脳髄を揺さぶるのだ。
扇子の下で、令嬢の青い瞳が激しく揺らめくのが見えた。
ヘラを滑り込ませ、焦げ目のついたパティを一閃、裏返す。
その熱々の表面へ、薄く削ったチェダーチーズを惜しげもなく被せる。
ジュウッ、とチーズが瞬時にトロけ崩れ、肉の脂と一体化する。
それを、カリッカリに焼き上げた特注バンズで一気に挟み込む。
わずか四十秒。
油紙に包まれた、湯気を噴き上げる熱々の塊。
俺はそれを、令嬢の白く細い指先の前へ無造作に突き出した。
「食えよ、お嬢様。俺たちの全技術を注ぎ込んだ、コルト・バーガーの完成形だ」
「…………っ」
出来立ての包みから溢れ出す凶悪なまでの熱気と匂いが、彼女の鼻腔と胃袋を容赦なく揺さぶり、一瞬言葉を失わせていた。
◆
「……後悔させてあげるわ」
シャーロットはレースの手袋を乱暴に脱ぎ捨てると、素手で油紙を掴み取った。
指先に伝わる、火傷しそうなほどの圧倒的な熱量。
令嬢は小さな口を、育ちの良さをかなぐり捨てるように大きく開け――思い切りかぶりついた。
――サクッ、ジュワァッッッ!!
「――――ッ!?」
シャーロットは全身に、雷撃を喰らったような衝撃を受けた。
前歯が特注バンズを突き抜けた瞬間の、軽快なクリスピー感。
そして直後、口内へ濁流のように雪崩れ込んできたのは、カリカリに焦がされたスマッシュパティから溢れ出す、暴力的なまでの肉汁の奔流。
(なっ……なに、これ……ッ!?)
驚愕が、脳髄を突き抜ける。
このパンは何なのか。
信じられないほど柔らかいのに、肉汁を吸っても全く崩れることがない。それに、ほのかな甘みが脂の塩気を引き立てている。
噛むたび広がる、スネ肉の濃厚な赤身の旨味。
トロリと溶けたチーズの芳醇な塩気。
それらすべてを優しく、力強く受け止めるバンズ。
(美味しい……ッ!なんなのこれ、信じられない……!雑で、野蛮で、油っぽくて!それなのにどうしてこんな美味しいの……?こんなに狂おしいほど洗練された肉料理は食べたことがない……ッ!!)
止まらない。
一口だけ味見して叩き捨てるはずだった。
だが、一度解放された本能のブレーキは、もはや抑えがきかなかった。
サクッ、ジュワッ、ハフッ、ハフッ……!
熱々の肉汁が溢れ、白い顎を伝いそうになる。
シャーロットは二口、三口と、我を忘れてバーガーへ喰らいついた。
上品な扇子は地面へ落ち、泥の上に転がった。
警備員たちが目を丸くして口をあんぐりと開け、鉱夫たちが固唾を呑んでその光景を見つめていた。
あっという間に、バーガーの半分以上がその小さな胃袋へと消え去った。
「……っ、はっ!?
◆
令嬢は胸元を押さえ、震える瞳で後退りする。
その無防備な姿に思わず口角があがる。
「大変お気に召したようだな。何よりだぜ?お嬢様」
「な……っ、な、なにを……っ!」
俺は一歩踏み込み、鉄板をドンと叩いた。
「さて――立ち退きの話の、続きをしようか」
お嬢様にはバーガー食わせてナンボ。
様式美ってやつですね。
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