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第13話 始まりと終わり

香ばしい小麦の匂いと、包み込まれるような熱気。

目を開けると、巨大な赤レンガの石窯が視界に入った。

毛布にくるまれ、ベーカリーの床に寝かされていた。


「……っ!? し、仕込みは……!?」

跳び起きようとした額に、粉まみれの拳がゴツンと落とされる。


「痛っ……!」

「まだ朝の八時だ、バカ小僧。死にぞこないが仕込みの心配なんぞしてんじゃねえ」


腕組みをしたオットーが見下ろしていた。

深夜のワンオペ、心臓の激痛、鉄板の前での昏倒――記憶が一気に蘇る。

また倒れたのかと、冷や汗が背筋を伝った。


「すまん、オットー。すぐ起きる。今日の分は俺一人で取り戻すから――」

「ふざけないでください、店長ッッ!!」


木戸の前で、ティムが涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして叫んでいた。


「店長一人でできるわけないだろ! オレ一人だって手が足りないんだ!だから……っ!」


ティムは乱暴に木戸を開け放った。

そこに立っていたのは、ボロボロのシャツを着た二人の少年だった。


手足は小枝のように細く、あちこちに古い殴打の痕がある。

「オレ、使い走り仲間に頭を下げて連れてきました! サムとピートです!

毎日殴られて飯も食えてないけど、力もあるし足も速いんです!

オレたちに仕事をください! 店長を一人で死なせたり絶対にしないから……ッ!!」


言葉を失う俺の前に、オットーが無骨に温かい豆スープの木椀を置いた。

パイプの煙を吐き出し、冷徹な目を向けてくる。


「おい小僧。お前、毎晩あのブリキ缶にたんまり銀貨を溜め込んでるだろ」

「……ああ」

「金を抱え込んだまま、たった一人で過労死する奴を何と呼ぶか知ってるか?

……職人じゃねえ。ただの守銭奴のバカだ」


心臓を抉られるような言葉だった。


「稼いだ金ってのはな、自分の身体を楽にし、人を動かして次の飯の種を蒔くために『回す』もんだ。

金を惜しんで仕事を一人で抱え込む奴なんざ、商人として三流以下だぞ」


頭を殴られたようだった。

俺はホワイトな店長を気取り、人を雇って組織を動かす責任から逃げていただけだ。

自己犠牲という名の、一番無責任な怠慢だった。


金ならある。

この子たちを正当に雇い、最高の材料を仕入れるだけのキャッシュが手元にある。

スープを一気に飲み干し、俺は立ち上がった。


「ティム」

「……はい!」

「よくやった。最高の仕事だ。お前を今日から『バイトリーダー』に任命する」


ティムの瞳が輝く。

俺はポケットから一ドル銀貨を五枚取り出し、オットーの作業台へ叩きつけた。


「オットー、場所代と薪代だ。作業スペースを正式に貸してくれ。――それと、もう一つ頼みがある」

「ああん? なんだ」

「もう売れ残りの固い丸パンを買い叩くのはやめだ。オットー、あんたの腕を見込んでコルト・バーガー専用の特注バンズを発注したい」


オットーの眉が跳ね上がった。


「表面の皮は薄く、中はパティの肉汁と牛脂を受け止めてもベチャつかないキメ。脂の塩気に負けないよう、砂糖とラードを練り込んだ専用の丸パンだ。

正規の特注価格で二百個、今すぐ焼いてほしい」


オットーは銀貨と俺の目を交互に見つめ、獰猛に笑った。

「……あの肉の化け物に負けねえパンを焼けってか。

いい度胸だ。デンバー一の腕を見せてやるよ!」


オットーが腕を捲り上げる。

金を回し、仕入れの質を根底から引き上げる。


俺は新入りのサムとピートの前に立った。

「サム、ピート。俺の店は理不尽に人を殴ることは絶対にない。

日当は大人と同じ五十セント。日払いで渡す。

そして毎晩、美味い肉を腹いっぱい食わせる。……働いてくれるか?」


二人は息を呑み、深々と頭を下げた

。

「は、働きます! なんでもします……っ!」

「よし、業務を教える」


俺は作業台の上で、仕込みを完全にライン分業へ再構築した。


「サム、担当はジャガイモだ。

鉄網の上にイモを置き、レバーを下ろす。ガシャンと鳴ったら水桶の中で五回振る。これを繰り返せ」


「ピートは大鍋チリの撹拌だ。

石窯の大鍋の前に立ち、木べらで鍋底を八の字に回し続けろ。焦げ付きを防ぐ重要ポジションだ」


「ティムはバイトリーダーとして、油鍋の温度管理と下茹で揚げ、全体の作業管理をやれ」


「はいッ!」

感情を排した明確な指示。少年たちの顔から迷いが消えた。


ガシャン! ガシャン! とサムがイモをスライスし、ピートが大鍋を回し、ティムが三十秒を数えてポテトを引き上げる。


俺はその横で、二百個のパティボールを猛スピードで成形していった。


一人なら半日かかる仕込みが、わずか三時間で完了した。

焼き上がった特注バンズでバーガーとチリチーズフライを作り、前払いの五十セント銀貨を添えて二人に渡す。


「今日の日当と賄いだ。食え」

少年たちは震える手で包みにかぶりつき、涙を流しながら貪り食った。


胃袋を掴み、対価を払う。二人はただの使い走りから、命を預け合える『クルー』になった。


夕暮れ五時。駅前の路地裏。

手押し車の鉄板に火が入り、油鍋が煮えたぎる。

用心棒のガスを先頭に、五十人を超える鉱夫たちが殺到してきた。


「おい小僧、今日もチリチーズはあるんだろうな!」

だが、ガスは手押し車の前で足を止めた。


白布を頭に巻き、エプロンを着けた三人の少年が整然と並んでいたからだ。

「……ああん? そのガキどもはなんだ」

「俺のクルーだ。――ポジションにつけ!」

「「「はいッ、店長!!」」」


――営業開始だ。

「チリチーズフライ三丁! チリバーガー二丁!」

注文が飛んだ瞬間、屋台は精密機械へと変貌した。

俺が鉄板でパティをプレスし、ティムがポテトを揚げ、サムが盛り付け、ピートがチリを注いでチーズを削る。


オットーの特注バンズでパティを挟む。

溢れ出す肉汁をしっかり受け止め、決して崩れない。

「な、なんだこのパン……!? 昨日より格段に美味いぞ!」


客の驚きの声を背に、ティムが包み、サムが代金を受け取る。

淀みないベルトコンベア動線。


三分かかっていた提供時間は、わずか四十秒へ短縮された。

回転率の爆発。


売上缶へ、途切れることなくコインが雪崩れ込んでいく。

手首が悲鳴を上げることもない。全員が役割を果たし、熱狂を回している。


(オットーの言う通りだ……!)

金は手元に抱え込むものじゃない。

投資し、人を動かし、世界を広げるための『実弾』だ。


俺は今日、本当の意味で経営者になった。

二百食は、過去最速の一時間半で完売した。

「完売だ! 店長、全部売り切れました!!」


ティムが叫び、サムとピートが飛び跳ねる。

今夜の売上だけで四十五ドルを超え、総資金は七十五ドルを突破していた。


「みんな、最高の仕事だった。片付けたら美味い飯にするぞ」

「「「はいッ!!」」」


誇らしげな少年たちを見つめ、俺は手押し車の木枠を撫でた。

これだけの速度とクルー、そして毎晩押し寄せる客の数。


もはや、この路地裏の手押し車には収まりきらない。

大通りのガス灯を見つめ、俺は拳を握りしめた。


(次は、こいつら全員を収容する、俺たちの最初の『城(店)』を手に入れるぞ)

屋台から固定店舗へ。


次なる戦いの予感に、俺の心臓は熱く脈打っていた。


次章、ヒロイン登場。ご期待ください。

レオは固定店舗の開店に向けて歩き出します。

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― 新着の感想 ―
アルバイトはオランダ語だからアメリカ人には通じんやろ。チーフスタッフとでも呼べば良い。
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