73. 繋いで
ツバサたちは、森の入り口でダイムに行き会った。
「お前たちも、俺と同じ結論に辿りついたってわけか……」
3人が行動を共にしているのを見て、ダイムは経緯を読みとったようだ。
塵と泥にまみれた弟を指差し、ケラケラと彼は笑う。
「なんて格好だ。そこの坊やに、やられたのか?」
「ああ。言い訳できない。綺麗に一発貰っちまった」
リトは淡々と言った。
しかし、北川が彼に与えたダメージなど、かすり傷にも及ばない。
逆に北川は、歩くのだけで精いっぱいだ。
ダイム相手に、虚勢を張る気力さえ残っていない。
「ドジを踏んだのは俺もだ。めんどくせえ。さっさと殺っておくべきだった」
「させません。これ以上」
「おお、怖い怖い」
ツバサに向かってわざとらしく、ダイムは目を回すジェスチャアをしてみせた。
しかし態度とは裏腹に、彼の顔色もまた冴えない。
この森の奥に翼はいる。
高い常緑樹に遮られ、届く光は僅かだ。
加えてこの空模様だ。
まるで森は夜のように暗かった。
鬱蒼と茂る草をかき分け、ぬかるみに足を取られながら道なき道をいく。
パタパタと短い羽根を羽ばたかせ、ダイちゃんが飛ぶ。
この鳥の道案内だけが。いまは頼りだ。
「おい、聞こえるか中野翼!」
「返事をしてください、翼さん!」
北川とツバサはかわるがわる呼びかけた。
少し遅れて、無言の阪田兄弟も続く。
それから10分もしないうちに、一行は足を止めた。
もう、ダイちゃんの道案内は必要ない。
傷ついた翼から漏れ出した、魔力の痕跡がそこにあった。
点々とこぼれおちたそれは、血よりも鮮やかにあたりを染めていた。
草木が、森に住む生き物たちが、そして空気までもが。
翼の魔力にあてられ、その形を変え始めている。
「ハタ迷惑な野郎だ」
すぐに、ダイムは動いた。
印を結び、術の詠唱を始める。
この魔力の霧を払い、辺りを浄化するためのスペルだ。
放置すればこの森全体、いや街にまで瘴気が及ぶ恐れがある。
「すぐに終わる。お前らは先に行け」
というように詠唱を続けながら、ダイムはヒラヒラと手を振った。
3人と一羽は、さらに森の奥深くに進む。
自ら流した魔力で織られ、混沌に彩られた絨毯の中心に、中野翼は横たわっていた。
「ナカノ君、ここで待ってろ」
北川は、翼に向かって駆け出そうとするツバサを押しとどめた。
遠目にでも、彼の状態が良くないことは分かる。
ダイムの刃によって引き裂かれた体。
翼はもう人としての形すら、保つことができなくなっていた。
わずかに回復した北川が、回復魔法を唱える。
しかし翼は、北川の力を受け止めることができない。
すべて、こぼれ落ちてしまう。
「もうよせ。手遅れだ」
リトの制止を振り切って、北川は式の展開を続ける。
せめて穏やかに、ツバサと最後の時を過ごさせてやりたい。
治癒を諦め、幻術で翼の体を覆う。
体に空いた穴を埋めることはできないが、せめて元の姿に戻してやりたい。
間もなく、彼は消える。
『アカバネ』世界は、引き裂かれ、正体を暴かれた中野翼を拒むのだ。
しかし砕かれた体では、向こう岸まで泳げない。
元の現実世界にも戻れず、世界の狭間をさまようことになる。
気づけばツバサは、北川のすぐそばに立っていた。
「お手伝いさせてください。翼さんと同じ色を持つわたしの力なら、受け入れてくれるかもしれない」
「分かった。式は引き続き、俺が書く。ナカノ君はそこに魔力を乗せて、回してくれ」
「はい」
ツバサは懸命にスペルを唱えた。
しかし共同作業を始めて、すぐに北川は気づいた。
駄目だ。
中野翼の中から噴きあげている魔力は、もはやツバサのものとは色を異にしていた。
翼が内側に抱えていたもの、それがツバサの魔力を拒む。
「……っ」
詠唱を続けるツバサの声が、堪え切れずに震えはじめた。
「泣くのは後にしろ、ナカノ君」
北川は何とか翼にツバサの力を送り届けようと、何度も式を書きなおしていく。
しかしそれを上回る速さで、翼は形を変えていく。
複数の力が、翼の中で激しくせめぎ合っているのだ。
限界などとうに超えている。
そんな北川を支えているのは、隣にいるツバサだ。
彼女がいるから、まだ倒れないでいられる。
そしてその時、また別の手がそこに加わった。
「リトさん、何の真似だ?」
「このままじゃ、ノコノコ着いてきた俺がバカを見る。だから手伝う」
「……助かる」
リトの補助の巧みさに、北川は舌を巻いた。
彼は、北川とは異なるタイプの使い手だ。
しかしリトは北川が展開する式を、完全に読み解いていた。
リトが使うのは、彼が紡いだ魔力の糸だった。
右手には、北川の式に合わせて染められた赤い糸。
そして左手には、白い糸が握られている。
白い糸は、ツバサの力を強めるためのものだ。
リトは自分の魔力の色を消し、ツバサのスペルにその糸を重ねていた。
北川はツバサの魔力を、めいいっぱい翼に叩きこんだ。
翼のすべてを作り変える。
そう念じて式を作る。
まもなく、横たわっていた翼に変化が訪れた。
北川の手から、流し込む一方だった魔力が押し返された。
リトの助力を得て、いったんは形に成りかけていたツバサの力が四散していく。
それは、風になって吹き荒れた。
「ここまでだ。北川、ナカノツバサ、詠唱を止めろ」
リトの操っていた糸も、その風に千切れた。
もう打つ手はない。
なぜ?とは、もう問わなかった。
ツバサは翼の体にしがみつき、必死でその名を呼ぶ。
翼を傷つけたダイムに、ツバサは怒りを感じなかった。
蝋月の立てた計画を壊すため、阪田兄弟をこの場に引きこんだ――これはあの手紙を書いた”中野司”が望んだ結果なのだ。
理由は分からない。
あの人は、まだ自分を許すことができないのかもしれない。
そして翼を道連れに、死を繰り返そうとしているのかもしれない。
けれどもうツバサは兄の勝手を、強いられるのは嫌だった。
「嫌だっ。嫌だ。翼さん、翼さん……!」
もう呪文も何もない。
「目を、目を開けてください。翼さん」
彼をこのまま眠らせてはいけない。
ツバサは、翼の頬を思い切り張った。
閉じられている翼のまぶたを、指で無理やりこじ開けようとする。
「お願い……翼さん」
彼の体が、これ以上崩れ落ちてしまわないように、強く抱きしめた。
「痛いよ。ツバサ」
やっと目を開けた彼は、叩かれた頬をさすり、微笑んだ。
壊れ、流れて、失われた彼の肉体。
しかし心はまだ、その形を保っていた。
目を開けたのは、変わらない中野翼だった。
「……」
ツバサはただ、しゃくりあげていた。
目覚めた翼を前にして、言葉なんてひとつも出てこない。
「傷……早く手当てしない……と」
やっとそれだけ言って、再びスペルを唱え始めたツバサを、翼はそっと押しとどめた。
「ありがとう。もう大丈夫だ……本当だよ。余計なものが全部流れて、いままでにないくらいに調子がいいんだ」
翼は立ちあがってみせた。
しかし、その輪郭は歪み揺らいでいる。
まもなく彼は、この世界から消えようとしている。
「ツバサに、伝えなきゃいけないことがある。霧が晴れたみたいに、思い出したんだ。ずっと僕の中にあったのに、思い出せなかった言葉だ」




