表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
72/80

71. 無口な彼

 酒の酔いを100倍も酷くした、酩酊感。

 脳ミソに指をつっこまれて、掻きまわされているような最悪の感覚。

 倒れなかったのは、意地でしかない。

 血が滲むほど、自分の手の甲を噛む。

 元通りに視界が開けるまでには、さらにしばらくの時間が必要だった。


 リトは北川に尋ねた。


「どのくらい俺は飛んでいた?」

「5秒。たった5秒だ」


 いまだ地面に倒れたままの、北川が答えた。


「俺が力を振り絞って、見習いと竜の手まで借りて、奥の手使って、もぎ取れたのはたった5秒……さすがだよ、あんたは」

「それだけありゃ、十分だろう。なぜ、俺を撃たなかった?」

「もう力なんて、一滴も残ってない。弾切れさ」


 北川の目は、固く閉じられたままだった。

 彼のまぶたの内側にはまだ、リトに向かって放った力の残滓がある。

 北川が、竜の背に描いたのは鏡文字だ。

 自分の瞳にそれを映すことで、その術を完成させたのだ。


「降参。俺の負けだ」


 リトが鞭を収めた。


「何故だ?俺を殺して、竜もナカノツバサも始末して、それでもまだお釣りがくるくらい力余ってんだろ」

「いいや。これ以上やっても、お前さんには勝てる気がしない」

「お高いプライドだな……勝手にしてくれ」

 

 北川は、グッタリと力を抜いた。


「それにもう、脅威は去った」


 そう言ってリトは、北川の胸元に目をやった。

 紛い物の無位の双眸は砕け、すでにその輝きを失っていた。

 

 戦いの終わりを確認し、竜はようやく地面へと降り立った。

 そしてツバサを背から下ろすと、悠然と飛び去っていった。

 砦の部屋に、戻るのだろう。


「北川さんっ……!北川さんっっ!!」


 転げんばかりの猛スピードで走ってくるツバサを、リトはホールドアップの姿勢で迎えた。

 しかしツバサの目には、リトなどまるで入っていない。


「きたがわさんっ……しっかりして!目を、目を開けてくださいっ……お願いです!」


 北川の元へと駆け寄ったツバサは、彼を助け起こそうと奮闘する。


「んっ!ううっ……!!」


 しかし小柄な彼女が、長身の北川を支え切れるわけもない。

 あえなく二人揃って、ぬかるみの中にベシャッと崩れ落ちた。


「あーあーあー。ったく、見てらんねえよ」


 リトが手を差し伸べた。

 しかしキッと、ツバサに睨みつけられる。


「待っていなさい。次はわたしが相手になります!これ以上、北川さんを傷つけさせはしません」

「だーかーらー、俺の負けってことになったんだよ。もう」


 やれやれ、とリトはため息をついた。


「北川さん、安心してください……。わたしが……こんな傷なんて、いますぐに、すぐに。治しますから……」


 ツバサが北川の胸に手を当てる。

 それは、とても小さな手だった。

 ツバサは、治癒のスペルを必死で唱えた。

 不器用に紡がれたスペルは、北川の身によく染みた。

 

 『アカバネ』という異世界で生まれた本を開いて、北川は恋に落ちた。

 それから一日また一日と、想いは強くなる一方だ。

 彼女とひとつ言葉を交わすたびに、一度視線が合うたびに好きになっていく。

 そして、いま彼女が北川に触れている。

 胸が締め付けられる。

 涙がこぼれそうになった。


「ナカノ君、ありがとう。痛みが消えた」


 どうにか、うまく微笑むことができた。

 北川は、ようやく目を開けた。

 手を伸ばして、涙で濡れた彼女の頬に軽く触れる。

 結局、格好よいところはひとつも見せられなかった。


「泣くな。もう大丈夫だから」

「……はい」


 こっくりとツバサが頷いた。


「……」


 それはハタから見ても、なんともムズ痒い光景だったのだろう。

 リトは、大儀そうに自分の右足をあげた。

 そして、北川の尻を軽く蹴り飛ばす。


「痛てえっ」


 思わず、北川は飛び上がった。


「ほうら、立てんじゃねえか。ヤニ下がってんじゃねえ、あほんだら」


 そうだ、寝ている場合ではない。


「リトさん、ひとつお願いがあるんだが」

「敗者に命令できるのは、勝者の権利だ。言えよ。何でも飲むさ」

「中野翼を探しにく。一緒に来て欲しい」

「……なぜだ?」

 

 北川の意外な要求。

 リトはその意図を、計りかねたようだ。


「……!」


 ツバサも北川の言葉に驚き、身を固くした。

 北川はツバサに理由を説明する。


「彼ら阪田兄弟がこの街へと戻って来たのは、中野司からの手紙を受け取ったから……だそうだ」

「そうですか……兄の名で」


 それでツバサは理解した。

 阪田兄弟にも、結末を見届けて欲しい。

 手紙を出したその誰かは、そう考えたのだろう。


「わたしからもお願いします」


 ツバサはリトに向きなおり、頭を下げた。


「今回の一件、訳あって事情をお話しすることはできません。ご自分で見て、知っていただくしかないんです」

「彼に会えばすべてが分かる……か。だがどうやって中野翼を探す?」


 リトの言う通り、北川たちは翼を見失っていた。

 先ほどの戦いの最中、異様な魔力を遠くに感じた。

 あれは、中野翼のものだったのだろうか?

 しかしいつの間にか、気配はかき消えてしまっていた。

 

 ツバサは携帯電話を取り出し、通信を試みる。

 しかし、翼には繋がらなない。

 

 救いの手は、意外な方向からやって来た。

 あまりにも小さな気配だったので、気付くのが遅れた。

 ぽこっ。

 何かがツバサの肩に当たった。

 いや止まった。


「マルホシドリ……どうしたの?こんなところに」


 お逃げ、捕まえたりしないから、とツバサが優しく指で促す。

 しかし、その小鳥は濡れた羽を震わせながらも、強情にツバサの肩から動こうとしない。

 まるで何かを訴えるかのように、丸っこい瞳でツバサを見上げる。

 それを見た北川が、驚きの声をあげる。

 そのマルホシドリの頭の毛、その星の微妙な色合いと形に、見覚えがあったのだ。


「まさかお前、ダイちゃんか!?」


 見覚えがあるのも当然。

 蝋月の留守中、この鳥の世話を翼と交代で焼いていたのは彼なのだ。

 名前を呼ばれると、マルホシドリは元気よく「ぴー」と返事をした。


「お父さんの飼っている鳥さん?まさかこんな嵐の中、屋敷から飛んできたなんて」


 もどかしい。というようにダイちゃんは、ツバサのシャツの肩口を短いくちばしで引っぱった。

 何かをツバサに伝えたがっていた。

 まさか、とツバサは問いかける。


「まさか君、翼さんの居場所を知ってるの……?」


「ピッ」とダイちゃんが、また返事をする。

 そんな都合のいい話があるわけない。

 けれど、いまは藁にでもすがりたい。

 

 そして、意外なことをリトが言い出した。


「すべて空を飛ぶものは、竜の眷属だというぜ。この鳥を呼んだのはきっと、さっきの竜だ。嬢ちゃんの助けになるようにってな」



                 ***



 中野翼には、ひとり特別な友人がいた。

 いや、彼を友人と呼んでいいのだろうか?

 しかしふたりの関係を表す、適当な言葉も見つからない。

 

 無口なやつだった。

 自分の名前すら、翼に教えてくれなかった。

 不便だからとあだ名をつけようとしたら、それすら拒まれた。

 

 名前を持たない彼。

 姿の見えない彼。

 翼しかその存在を知らない彼の住処は、翼の心の中だった。


 いつかどこかで、聞きかじったことがある。

 幼児が自分にしか見えない友達を、想像力でこしらえる。

 大人になれば、消えてしまう幻影の友達だ。

 世間に、よくある事例らしい。

 けれども翼の身長がいくら伸びても、彼は消えたりしなかった。

 

 物心がつく前から、きょうにいたるまでずっと。

 平凡な翼の20年を、彼は一番間近で見守り続けていた。

 平凡な人生にだって、多少の凹凸はある。

 しかし翼が壁にぶつかった時も、選択に迷った時も、無口な同居人は助言のひとつもしてくれなかった。

 けれど彼は、翼の味方だった。

 誰かがそばにいてくれる。

 それだけで、人は強くなれる。

 彼の眼差しが支えてくれたから、翼はまっすぐに歩くことができた。

 必要な時に必要な分だけ、勇気を絞り出すことができた。

 彼がいなければ、翼の人生はいまより少し、くすんだものになっていたはずだ。


 ツバサと出会ってからの日々も、翼の中にいる彼は頑なに押し黙ったままだった。

 けれど、長い付き合いだ。

 翼には、いまの彼の気持ちを分かっていた。


「よう」


 自分の胸をポンと軽く叩き、翼は呼びかける。

 返事をしない彼に話しかけるのは、久しぶりのことだ。


「なぜ、きみは泣いているんだ?」


 そしてやっと知ることのできた、彼の名前を口にした。


「答えてくれよ……中野司」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ