70. 奇襲
――これがいわゆる走馬燈ってやつか?
子ども時分を思い返すような、おセンチの持ち合わせはない。
しかし時間がやけに、ゆるやか感じられる。
苦痛にまみれながらも、思考は不思議と落ち着いていた。
できることは、すべてやった。
あがくだけあがいた。
地団駄を踏んだところで、負けは覆らない。
道理は相手側にある。
北川は外法の力を頼み、そして敗北した。
半年前の中野司に切り伏せられたときと同じ、経過と結末だ。
全く懲りていない。死ぬまで馬鹿が治らなかった。
けれど、あの時とは違うこともある。
中野司と対峙した時、北川は無位の双眸に完全に飲み込まれていた。
苦しみの中、ただ早く終わりを迎えることだけを願っていた。
でも今は、なんとしても生き延びたかったのだ。
北川の呼びかけを聞いて、中野翼は起き出しただろうか?
それすら叶わないとしたら、無駄死にもいいところだ。
立ちあがった翼は、必ずツバサを守ろうとするだろう。
これで、気がかりは一つ減る。
不甲斐ない自分のために、あの子の顔が涙で曇るのは耐えられない。
けれどきっと、あいつが彼女を支えてくれる。
***
北川がリトのとどめをかわすことができたのは、マグレに他ならない。
力尽き崩れ落ちたことで、リトの放った鞭を避ける形になったのだ。
仰向けに倒れた北川は、空を見ていた。
降り続く雨も、魔力で作られた炎を消すことはできない。
痛みが、意識を手放すことを許してはくれない。
対照的にリトには、力が戻り始めていた。
「手こずらせてくれたな」
一歩、二歩。
ぬかるんだ地面を歩く足音が近づいてくる。
枷を打ち破ったリトが、鞭を一振りする。
すると、舞い続けていた塵が消えた。
もはや脆弱な細工に、頼る必要はなくなったのだ。
「苦しいだろう?ジリジリと削られていくのは。話せ、すべてを。そうすれば、すぐに楽にしてやる」
「お断りだ」
北川は精一杯の力を振り絞って、泥を掴む。
そして自分を見下ろす、リトの顔めがけて投げつけた。
力のない投てき。
相手に命中することなく落ちた泥は、北川の頬を汚した。
「……」
リトの目に浮かぶのは、諦めの色だった。
彼にとっても、これは後味の良い結末とはいえない。
しかしその時、空から変化が訪れた。
最初に気付いたのは、仰向けに倒れていた北川だった。
生気を失っていた、表情が大きく動いた。
驚きに、その目が見開かれる。
わずかに遅れて、リトも気付いた。
背後から押し寄せてくるプレッシャー。
リトは弾かれたように振り向いた。
「ハッ、ハハッ!……こいつぁ予想外だ。とんだ跳ねっ返りのお嬢さんだな」
そんな場合ではない。
けれど、リトは思わず笑ってしまった。
風を切り裂くほどのスピードで、竜は急降下してきた。
その背に、銀髪の少女がしがみついているのが見える。
だが、あと15メートル。竜は止まった。
空中に留まったまま、地上のふたりを見下ろしている。
それは計ったように、リトの攻撃射程ギリギリの外側だった。
「ど、どうして!?竜さん。動いてっ!動いてくださいっ!早くしないと北川さんが!北川さんが……!」
竜の両角を掴んで、ツバサは叫んだ。
しかし竜は、梃子でも動こうとしない。
ツバサはその背中を、ポコポコこぶしで叩いた。
しかし竜は動じない。
北川はホッとした。
なるほど、竜は賢い。
不必要な危険に、飛び込んだりなどしない。
だがツバサが決意を固めるまでに、そこから5秒とかからなかった。
「ばっ、馬鹿野郎!!」
リトは思わず叫んでいた。
ツバサは、宙にその身を躍らせていた。
空を飛ぶ術、そんなもの彼女は知らない。
飛び降りる前に、体に防御の術は施した。
しかしその術は決して、ツバサが得意とする分野のものではない。
この高さから飛び降りて、無傷で済むはずもない。
骨の1本や2本折れたっていいと、無理を承知でツバサは飛んだ。
北川は冷静だった。
すぐに、ツバサを助けるための行動に移る。
リトの注意が、彼からそれていたのも幸いした。
痛む腕を動かし、彼は宙に文字を描いた。
魔力はほとんど尽きていたが、それでいい。
それは、術を発動させるための式ではなかった。
彼が空に描いたのは、竜の真の名前だ。
視界は悪い。そして距離もある。
しかし、北川の呼びかけは届いた。
「分かっているよ」
まるで、そう言うように竜は頭を振った。
優雅に旋回し、ツバサをその背で受け止める。
「よしっ!」
ガッツポーズをとったのはリトだ。
こいつ、いい奴だなと、思わず北川の口元がゆるむ。
そう、リトは竜とツバサを敵と認めていなかった。
竜もリトと事を構える気はないらしい。
ツバサが単独で突っ込んできたところで、怖くもなんともない。
ふたりの実力差は、それほど大きかった。
彼女を傷つけずに生け捕りにすることすら、リトにはたやすい。
だが足元に居る、この男は危険だった。
リトはこうして北川を地面に叩き伏せた。
しかしまだ彼の目には、戦う意思が残っているのが見える。
そして、北川の手がもう一度動いた。
「つまらねえ真似を……」
リトは北川の抵抗に気づいた。
そして、その狙いも読めていた。
北川は再びサインを送ったのだ。
あの竜を焚きつけるサインを。
警戒すべきは空。
術者である北川に、とどめを刺すのは後まわしだ。
頭上竜から噴きつけられる炎を予想し、リトは身構えた。
北川が描いた文字は色と光を帯び、像を結ぶ。
文字が竜の背に映し出される。
だが、竜からの攻撃はこない。
――どういうことだ?
リトは竜の背に浮かんだ、ルーン文字を読み取ろうと目をすがめた。
「おい」
ふいに足元から呼びかけられた。
「俺の目を見ろ」
魔が差したようだ。
「あ?」
リトは素直に視線を下げた。
目と目が合ったその瞬間、衝撃がやって来た。
最後にリトが見たのは、真っ直ぐな光だった。




