69. 塵の色
魔力を奪われたリトの鞭は色を失い、ボロ布のように千切れて舞った。
――うろたえるな。
リトは自分に言い聞かせた。
久しぶりだ。
足元が崩れ落ち、奈落の底に死の予感をみるのは。
けれどリトには、まだ打つ手があった。
遺物は、人の力を超えたものだ。
しかし遺物には、使い手が必要だ。
人に寄らず単独で、力を発揮することはできない。
リトが狙うのは、遺物・無位の双眸ではない。
無位の双眸を発動させている北川だ。
北川を斬ることで、無位の双眸を無力化する。
それは過去に、中野司も採った戦法だ。
けれどあの時と今とでは、状況は異なる。
北川と無位の双眸の接触は、これが二度目だ。
傷跡をこじあけ、無位の双眸は彼の中に根をはった。
今度は腕一本削いだところで、その力を止めることは出来ない。
無為の双眸は北川の魔力と深く結び付き、その真価を表し始めていた。
そして禍々しい触手に、リトも捕えられてしまっている。
無位の双眸の力は、敵の力を喰らうことだ。
リトの攻撃は、もう北川には届かない。
その魔力のすべては、無位の双眸に飲み込まれてしまう。
一度かけられてしまった、呪縛を断ち切るのは容易ではなかった。
「凄いな、遺物の力ってやつは」
敗北宣言?
いや、リトの声には余裕があった。
「楽しくなってきた」
その言葉に、北川が噛みつく。
「負け惜しみを!だが、降参はもう聞けない。俺にだって、止め方が分からねえからな!!」
優位に立ったのは、北川のはずだ。
しかしその表情は、苦悶に歪んでいる。
魔力は、使い手の生命エネルギーとイコールだ。
無位の双眸がリトの命を吸いつくすまで、あと3分とかかるまい。
リトを完全に食わせてしまうわけにはいかない。
遺物の暴走という結果も、また北川の敗北に他ならないからだ。
リトの鞭が消滅し、北川の両手は自由になった。
しかし、それをリトへの攻撃に回す余裕などない。
無位の双眸の制御に、手いっぱいだった。
リトに向けられた矛先を逸らすため、北川も自分の魔力を無位の双眸に差し出していた。
この魔具は、蝋月の手によって造られた紛い物だ。
本物の力に、及ぶはずもない。
ふたりの命が吸いつくされるのが先か。
紛い物である無位の双眸が、負荷に耐えられず砕けるのが先か。
北川の焦燥は、リトに見透かされていた。
「笑わせてくれるよ。てめえのケツも拭けない青二才が、半可な気遣いしやがって」
無為の双眸の力を制御し、リトを殺さずに無力化する。
北川は、それができると思っているのだろうか?
こいつに舵取りを任せるつもりはない。
リトは魔力を練り始めた。
逃れられないというのなら、食わせる餌を変えてやる。
今や自由が利くのは、自分の内側だけだ。
スペルを唱え、リトは自分のすべての魔力を引き上げた。
それは自殺行為と紙一重だ。
最低限の防御さえも解いたリトに、無位の双眸が襲いかかる。
リトが体の奥深くに押しとどめた魔力を追って、伸ばした触手が深く突き刺さる。
リトの肉に分け入り、その奥へと進む。
侵入に重心を移した無位の双眸は、僅かな時間リトの魔力を吸うことを中断した。
リトが決して小さくはないダメージと引き換えに、もぎ取った時間はほんの数秒。
だがその時間を使って、リトは北川を撃たなかった。
半端な攻撃では彼に届かない。
それに北川の血には、呪法が籠められている。
あの血を、無駄に流させる訳にはいかない。
幸いにも、雨は弱まっていた。
即興でイメージを結ぶ。
リトが使ったのは、ごく弱いスペルだ。
それを口に端に乗せると、足元につむじ風が巻き起こった。
狙いは地面に散らばる、彼の紡ぎ出した鞭の残骸だ。
魔力の風を受けたそれは花びらよりも小さく千切れ、塵となって舞い上がる。
「何だそれは!?煙幕のつもりか?」
北川が叫ぶ。
しかし数秒もしないうちに、リトの狙いに気付いた。
「まさか……畜生!」
塵はゆっくりと北川に降り注ぐ。
塵は鞭の残骸だ。
すでに、魔力は吸い尽くされている。
そのため無位の双眸の触手をすり抜け、北川まで届いた。
仕掛けは単純なものだった。
塵はただの砂埃と変わらない。
攻撃力など皆無だ。
払いのける必要さえもない。
しかし今、北川には大量のリトの魔力が流れ込んでいる。
いまの彼の体は、首に下げられた無位の双眸の導線だった。
塵はリトの魔力から生まれたものだ。
枯れかけた植物が水を吸うように、塵は失った魔力を貪欲に取り込もうとした。
その反応は顕著だった。
細かな塵は、魔力を吸収しきれない。
最初のかけらが北川の頭頂部に触れたとたん、燃え上がった。
いや燃えたなどという、生易しいものではない。
爆発だった。
炎は次々と連鎖していった。
無位の双眸も、炎を飲み込もうと触手を伸ばすが追いつかない。
北川の全身が、リトの赤銅色の魔力に包まれる。
「―――!!」
北川の絶叫が響いた。
しばらくの間、リトの起こした風がやむことはない。
――うまくハマったな……。
リトは嘆息した。
勝敗を分けたのは、この戦いにかける意識の差だ。
殺してもかまわない。そのつもりでリトは戦った。
しかし北川は違った。
北川は無位の双眸に飲まれ、事を起こしたわけではない。
刃を交え、リトは確信に至った。
彼は狂気にとりつかれていない。
ましてや山井蝋月におもねる為、計画に加担したわけでもないだろう。
北川は覚悟を背負い、この場所に立っている。
彼が何を守ろうとしているのか、リトは知らない。
だが遺物の力は、討つべき悪だ。
リトは北川に、弁明の機会さえも与えなかった。
「終わらせる」
迷いなど起こすまいと、リトは決意を口にする。
リトの起こした小さな風は、今や旋風と化している。
それは絶対的とも思われた無位の双眸の力を乱し、弱めていた。
リトは完全に、しがらみから逃れた。
――いま楽にしてやる。
苦しみ、もがく北川に照準を合わせ、リトは再びスペルを唱え始めた。
***
ツバサには、ためらっている時間などなかった。
「ハッ!」
助走をつけて、彼女は竜の背に飛び乗った。
そこには、あぶみも鞍も置かれていない。
馬とはまったく勝手が違う。
ツバサは竜の首に手をまわした。
そしておずおずと、二本の角を掴む。
竜はツバサの行動をとがめなかった。
うろこで覆われた背は、熱くもなく冷たくもない。
まるで、巨木に寄り添っているような感覚だ。
不思議と心強い。
「お願いです。わたしを北川さんのいる、場所まで連れて行って下さい」
ツバサの声に応え、初めて竜が声を発した。
鈴のように澄んだ声だった。
その声を受けて、天井が開いた。
竜は空へと飛び立った。
無謀は承知。
ツバサは、覚悟を決めていた。
けれどもそんな気構えなんて、何の助けにもならない。
竜が選んだルートは最短距離。
城門を越えるとすぐに、竜は急降下を始めた。
「!!!」
ツバサは、悲鳴を押さえることができなかった。
殴られたような衝撃。
圧倒的な浮遊感。
竜の背に密着させていた、ツバサの体は浮き上がる。
この角を握る手を放してしまえば、一巻の終わりだ。
必死でしがみつく。
制服のスカートは、狂ったようにバタバタとはためく。
雨が礫のようにツバサを撃ちつける。
目など開けていられなかった。いや息さえできない。
すさまじいGがかかる。
体がバラバラになって、飛んで行ってしまいそうだった。
この数分、いや数秒が永遠にも感じられた。
――もう駄目、落ちる!
ツバサが限界を迎えようとしたその寸前、ようやくふたりの姿が見えてきた。




