44. ワイルドカード
今日も変わり映えのしない日常は続く。
本日も午後からバイトだ。
翼が制服に着替ようとしていると、休憩室にマスターがやってきた。
「お友達が、遊びに来ているよ。先にフロアに顔を出しておいで」
「僕の友達ですか?はぁ、今行きます」
しかし誰だろう?
翼がバイトを始めた当初は、物好きな学友が店を覗きに来たこともあった。
しかし最近はそういうことも無い。
キョトンとしている翼を見て、マスターが付け加えた。
「背の高いハンサムな外人さんだよ。米軍の人かい?日本語ペラペラだね」
まさかと、翼は思った。
だが、他に心当たりはない。
平日の午後、客は半分ほどの入りだった。
窓際の4人がけの席に北川は一人で座り、アイスミルクを飲んでいた。
テーブルの上には、ミックスサンドとミートソースの皿も載っている。
北川は『アカバネ』世界の服を脱ぎ捨て、ダークグレーのスーツを身に着けていた。
控えめな光沢を持った生地には、目の細かい縞があしらわれている。
ファッションにうとい翼にも仕立てが良いと分かる品だ。
彼の青い瞳と合わせるように選ばれた、ダークブルーのタイにはシンプルなデザインのタイピンが留まっている。
しかしキチンとネクタイをしめていても、北川はビジネスマンには見えない。
彼を初めてみるマスターも察した通り、彼は軍人だ。
その目と物腰に、宿命的なまでに匂いがしみこんでいるのだ。
北川の足元には、小型のアタッシェケースが置かれている。
それもスーツと同様、この世界で調達したものだろう。
でもどうやって?
金を払って買ったのか?
だとしたら、その金はどこから出したのか?
見当もつかない。
先に口を開いたのは北川だった。
「これから仕事か。何時にあがる?」
「え、ああ……20時です」
「では21時に。テバサキマン、君の部屋まで行こう」
食事を終え、店から出て行った北川のその背中を、翼は呆然と見送った。
今日は、夕もフロアに入っていた。
「中野先輩、テバサキマンって何?」
北川が使用した食器を片付けながら、夕が翼に尋ねる。
「僕のあだ名」
翼は簡単にそう答えた。
***
北川は予告通りの時間に、翼の部屋のチャイムを鳴らした。
あれから約6時間、どこで過ごしていたのだろう。
「いらっしゃい。狭いところですが……あっ、靴を脱いであがってくださいね」
迎えた翼の言葉に、北川はうるさそうな顔をした。
椅子が無い部屋。
直に床に腰を下ろすということに、北川は慣れていないようだった。
大きなその体をもてあまし、窮屈そうに足を折りたたんでいる。
「北川さん、夕飯は?」
「もう済ませてきた」
「じゃあ、失礼して僕だけ。いただきます」
従業員割引で買ってきた店のドライカレー――ラップでおにぎり状に握ってある――と買い置きのカップ焼きそば。
それが今日の翼の夕飯だ。
食事を取る翼を、北川はもの珍しそうな目で眺めていた。
あまりにもジッと見るので、いちおう聞いてみる。
「北川さんも食います?」
「いや、いい。すさまじい匂いだな、それ」
だったら飲み物でもと、翼はコーヒーをすすめた。
しかし北川は、それにもなかなか手をつけようとしなかった。
「テバサキマンが作ったものを、口に入れるのは怖い」
あの強烈なクッキーを思い出したのだろう。
北川が胃の辺りを押さえた。
「心外だなぁ。豆は上等。波戸珈琲の自慢のブレンドです。淹れ方だってマスター直伝。蒸らす時間の加減もバッチリなんですから」
ようやく北川は、コーヒーに口を付けた。
「この飲み物は、君が淹れてもうまいんだな」
そう言って、一気に飲み干す。
「君が淹れても、てのは余計ですよ」
しかし、褒められて悪い気はしない。
熱いうちに飲んでくれたのも嬉しい。
冷めないうちにゴクゴク喉で飲む。これが翼の考えるおいしいコーヒーの飲み方だ。
「こちらに来てから初めて飲んだ。最初は苦いだけだったが、慣れるとハマるな」
「おかわりいかがですか?」
「いや、いい。飲みすぎると、眠れなくなるんだろう?」
と、北川はずいぶん可愛いことをいう。
そういえば昼間、店で飲んでいたのもコーヒーではなくミルクだった。
明日、北川のためにデカフェを買ってこよう。翼はそう決めた。
「今度うちの店のコーヒーも、飲んでみてください。口惜しいけど、マスターのブレンドは段違いですから」
「ああ、機会があったらな」
落ち着いたところで、翼が切り出した。
「いつ、この世界にやってきたんですか?いったいどうやって?」
「俺がここに落ちてきたのは、君がこの世界に戻ってきたその時だ。どうやったって?やっぱり自覚なしで呼んだのか、このノーコンめ。俺まで、巻き添えにして引きずり込みやがって」
翼が路上でパニックに陥っていたあの時だ。
『アカバネ』世界へ戻ろうと必死にもがくうちに、力を暴発させてしまったらしい。
しかしどうしてツバサではなく、北川を巻き込んでしまったんだろう?
その疑問を口に出すと、北川にズバリと言われてしまった。
「未熟な使い手は、心の影響を受けやすい。ナカノ君との喧嘩が響いているんじゃないか?テバサキマン君のやわな部分にな」
「僕はツバサと喧嘩なんてしてません」
否定の言葉が少し遅れた。
北川は実に嫌なところをえぐってきた。
「じゃああの晩、彼女と何の話をした?顔に出やすいんだよ、君は。次の日の様子でたいがい分かった」
あの日のツバサとのことが原因?
否定できないのがもどかしい。
自分は無意識のうちに、ツバサを避けていたのだろうか。
「僕の魔法がヘボなのも、豆腐メンタルなのも認めます。でもどうして、よりにもよって北川さんなんか呼んじゃったんだろ?」
「お互いにとって不幸なことだ」
これは推察だが、と前置きして北川は言った。
翼は未熟ゆえに、まだ狭い枠の中でしか力を発揮できない。
だがタチの悪いことに、パワーだけはある。
「目の前に壁――今回の場合は、ナカノ君と喧嘩したことによるストレスだな――が出現すれば、君の出した力は跳弾となって跳ねまわる。ナカノ君を別にすれば、向こうの世界で、近くにいた人間は俺だけだ。俺に矛先が向いたということだろう」
翼の近い場所にいた“人間”。
北川の言葉の中で、この部分が引っかかっる。
蝋月はエルフ。この現実世界には存在しない種族、人間とは異なる存在だ。
彼の属性は、北川のいう”狭い枠”に引っかかってしまったのだろう。
翼にはまだ、世界の決まりごとを好きに捻じ曲げ、枠を広げるだけの力はないらしい。
しかし国本女史は?
あの人は蝋月とは違う。人間の筈だ。
そのことを問いただすと、北川は眉をしかめた。
「まだ気づいていなかったのか?これは失言だったな」
国本女史が只者ではないとは、翼も思っていた。
しかし彼女には、他にも何か秘密があるらしい。




