45. 10日の空白
「ああ、忘れていた。蝋月さんから頼まれてたんだっけ。ナカノ君が世話をかけた分の費用を、君に渡すようにって」
北川が尻ポケットから無造作に出したのは、一万円札の束だった。
「これで足りるか?」
翼の前に放るように置く。
それはポケットティッシュほどの厚みがあった。30万円は越えるだろう。
かかった費用?
ツバサのために買った、服や生活用品などささやかなものだ。
いつ彼女が戻ってきてもいいように、紙袋ひとつに収めて部屋の隅においてある。
30万円?そんなにかかった訳がない。
「受け取れるわけ無いでしょう!?こんな大金、どこから持って来たんですか?」
翼の頭に浮かんだ映像は、物騒極まりないものだ。
北川の魔術を使えば、泥棒なんて朝飯前だろう。
――何やってんだ、この異世界人は……あれ?国交がない国の犯罪者ってどうなるんだっけ?日本の警察は請け負ってくれるのか?
「いやいやいや、待て。お前が考えてるようなことでは、全然ないから」
北川に思考を遮られた。
「これは、ごく真っ当な方法で俺が稼いできた綺麗な金だ」
「だとしても、受け取れません。僕は金を貰う為に、ツバサと一緒にいたわけじゃない」
固いこと言うなと、北川はため息をついた。
「じゃあこうしようぜ。これは君への謝礼じゃない。ナカノ君が今度来たときのために預けておくもんだ。それでいいだろ?」
「そろそろ説明してください。ここに来てからの10日間、北川さんはこの世界で何をしていたんですか?」
ここで、はぐらかされる訳にはいかない。翼は食い下がった。
「何で僕に連絡くれなかったんですか?その服もお金も、どこで手に入れたんです?」
「逆に聞くけどさ、テバサキマン。君はこんだけ突飛なことをしでかして、この世界の誰にも気づかれていないと思ってたの?」
「え?どういう意味ですか……そんな、まさか」
北川の言葉を理解した途端、翼の頭の中は真っ白になった。
「見つかっちまったんだよ。可哀そうな俺は、そいつらに捕まって働かされてたってわけ」
そして、北川は薄く笑った。
「今、この瞬間も見られている」
「はぁっ!?」
反射的に、翼は周りを見渡した。
「悪い冗談は止して下さいよ。見られてるって?一体誰に?」
引きつった笑い声が、翼の口から漏れる。
「えーと、……てところだ」
北川の口から、やけに具体的な名詞が出てきた。
この国の国家権力。その某部署名。
「またまたまたぁ……は、はは……お、脅かさないで下さいよ」
しかし、北川の発言は撤回されなかった。
――この国はいつからオカルトめいたことに、首を突っ込むことになったんだ?
「落ち着けよ。害はない。音を拾われないように、細工もしておたいし」
と、魔力の光をおびた人差し指を振って見せる。北川は余裕の表情だ。
「それに監視っていうのはこちらの見解だ。向こうは護衛と言い張ってる。友好的関係ってやつだよ、いまのところ」
そして北川は自分のスーツのポケットに手を入れた。
「こんなものも貰っちゃった」
北川が取り出したのは、取り出したのは日本国旅券――赤い表紙のパスポートだ。
翼は中を検めた。きちんと北川の写真が貼られている。
そして記載されている現住所は、なぜかこのアパート。翼の隣の部屋になっていた。
「自首してください。パスポートの偽造は、公文書偽造という大罪です」
「だーかーら、人聞きの悪いことを言うな。これは純正品だ。脅してもぎ取った訳でもないぜ」
そして北川は、公然と胸を反らせて言い放つ。
「俺たち『アカバネ』の登場人物は、全員この世界のこの国で生まれたという見方もできる。メイドインジャパンだ。この国の旅券を発行してもらって何が悪い?正当な権利だ」
「そんな無茶苦茶な」
そんな道理が通るわけが無い。
「金も服も全部、政府の人から貰ったっていうんですか」
「んー、それはまた別口。順を追って説明すると」
事の始まりは、翼が落としたあの携帯電話だ。
携帯電話はあの時点で、この現実世界と『アカバネ』を結ぶたったひとつの経路だった。
世界を超えての通信を行う為に、翼とツバサが行った魔力の使用は、意図せずこの世界の通信網に大きな負荷を与えることになった。
「異世界人である俺は理解が追いつかないが、この世界の”こんぴゅーた・ねっとわーく”というのは、言語の集合体なんだろ?乱暴な括りでいえば、魔力も元は言葉から生まれた力だ。どうやら、相性が良すぎたらしくてな」
ふたりが使用した魔力はネットワークを食らい、増殖していった。
そしてその過程で排泄物、無意味な言葉のフラグメントをあちこちにバラ撒いた。
カケラ達は回線を行きかうデータの交通を阻害するだけでなく、物理的な損傷をももたらした。害虫そのものだ。
2つの世界を隔てる距離と、時間のねじれもその混乱に拍車をかけた。
行き先を見失った魔力は出口を求めて、無差別にアタックを始めた。
「えーっと、こっちの言葉でなんていうんだ?“さいばあ・てろ”っていうの?そういう不逞の輩だと思われてたみたいよ、君たちは」
「シャレになってないですよ!?それ」
――僕がテロリスト扱い?
翼の頬からサッと血の気が引く。
世界中に広がる通信網。
自分はどれだけの人たちに迷惑をかけてしまったのだろう?
「そして、あちこちにバラ撒かれた痕跡を辿って、最初にこちらに接触してきたのが……だ」
と、北川はとある企業の名前を挙げた。誰もが名前を知る、世界的大企業だ。
翼だって日常的に、その会社のサービスを使っている。
「青い顔するなよ。商人たちも政府も、君たちに害意がなかったことは理解してる。蝋月さんがちゃんと話をつけた。後始末も終わっている。セキュリティーホールは塞いだよ。今後同じ問題が起きることもない。こっち世界は魔力に関してはまっさらだったからな。拡散も早いが、そのぶん収束も早い」
「知らなかったとはいえ僕、なんてことを!いまからでも、迷惑かけた人たちに謝ったほうが……」
「過剰に反応するなよ。君を叩いたところで、何も出てこないことくらい向こうさんだって分かっている。それに向こうも慣れてるんだよ。こういうケースに」
北川は軽い調子で、重大な事実を明かした。
この現実世界にこの種のほころびが出現するのは、これが初めてではないらしい。
異世界とのニアミス。
異能者、異種族の出現という現象は小規模であるが、何度も確認されているというのだ。
「お前のいう現実ってのは、お固い処女なんかじゃない。もうズブズブだ」
下品なジャスチャーつきで、北川が言う。
この世界は強固にはできていない。
熱で溶けかけている柔らかいゼリーをイメージすればいい、北川は言った。
「派手で分かりやすいもんは、たいがい偽物。迷信、もしくは詐欺師の作り話だ。大きい違和感はそもそも、穴をすり抜ける事ができない」
異世界へ通じるほころびは、小さなものだと北川は言った。
「この世界で暮らしていて、ふと小さな違和感をおぼえることがあるだろう?理屈に合わない筈なのに、何故かまかり通っていること。それが本物さ」
しかしゼリーのような世界は、弾力性も高い。
中に侵入してきたものを跳ね返す。この世界に一度できたほころびは、すぐにふさがってしまう。
偶然、そこに種が飛んできたところで、根付かない。
異形の存在は、この世界の空気に押しつぶされ、形を歪められ、やがて消滅してしまう。
そうやって世界は、あるべき形を保ち続ける。
「テバサキマン、君の存在は奇跡だ」
翼はささやかではあるが、この現実世界と『アカバネ』世界を結ぶ役割を果たしている。
芯となる翼がいるからこそ、北川のような『アカバネ』世界からの来訪者たちはこの世界で形を保つことができている。
そして北川は、この現実世界の住民たちと手を結ぶことになった。
「今回のケースは興味深い……彼らはそう言った。この世界で便宜を図ってやるから、代わりに俺の持つ技術を提供して欲しいとね」
「ぎ、技術?」
「そう。さっき話した会社の日本法人だ。この10日間、俺はそこに詰めてたわけ。この世界の金なんてどうでもいいが、大きな組織と繋がり持つのは悪くない。国の方とも、あちらさんの方で調整つけてくれた。いまだ監視は続いているが、それもやがて終いになるだろ。官、民仲良しでなによりだ」
技術提供。考えるまでも無く魔法のことだろう。
大企業のサラリーマンに魔法を教える北川。想像するとなかなかシュールだ。
しかし笑っている場合ではない。
いよいよ虚構と現実の境目があいまいになってきた。
『アカバネ』はマンガだ。絵空事だ。虚構の世界でしかありえない。
魔法という力がこの世界で利用可能になってしまったら。
この現実が、現実ではなくなってしまう。
翼は頭を抱えたくなった。
「君の持つその門としての能力が完全に開花し、2つの世界が繋がればどうなると思う?時間、空間、そして存在……2つの世界を形作っているすべてがひっくり返ることになる。その力を独占し、思い通りに操る。それが彼らの夢だよ」
翼は北川の言葉を遮った。
「とてもついていけません。そんなことがうまくいくわけがない!」
「ああ、お笑いぐさだ。が、連中は本気だぜ」
強張った表情の翼。北川は駄目を押した。
「テバサキマン、君はこの世界の重要人物に躍り出たわけだ」
「まったくもって嬉しくないです!」
「ああ、今までどおりノンキにしてろよ。厄介事は、俺と蝋月さんとで引き受けるから」
話しは終わりだ。コーヒーごちそうさま。
そう言って北川は立ちあがった。
「俺の帰還のタイミングは、君の気まぐれ次第というところもあるが……頼むぜ、俺としてはしばらくこの世界にとどまっていたい」
そして北川は帰っていった。
いまは都心のホテルに滞在しているらしい。
こちらで契約したばかりだという、携帯電話の番号を教えてくれた。
「所詮、目の曇った山師が、大穴に張り込んだあぶく銭だ。使わないなら捨てちまえ」
結局、北川は先ほどの金を押し切る形で置いていってしまった。
適当な封筒が無かったので、翼はそれをビニール袋に入れてベッドのマットレスの下に押し込む。
朝になったら、新しい口座を作ってそこに積んでおくことにしよう。
そしてこの金のことは、しばらく忘れておこうと翼は決めた。




