39. 赤い花の思い出
夕刻、翼はツバサからのメールで呼び出された。
待ち合わせ場所は、市街地にあるあの教会だ。
翼の手持ちの端末と、ツバサに渡した携帯電話があれば、連絡を取りあうことはできる。
けれど翼も、直に顔を見て話がしたかった。
ツバサの様子がおかしかった。
翼が到着を知らせても、彼女からの返信がなかった。
そして、やっときたこの呼び出しのメールも、用件のみの事務的なものだった。
ツバサは先に教会に着いて待っていた。
日はすでに傾いている。
月明かりの差す、薄暗い礼拝堂。
祭壇の燭台に、火は灯っていない。
声があまり響かないように、自然とふたりは寄り添い長椅子に腰かけた。
「ひさしぶり。僕にとってはだけど」
ツバサにしてみれば、翼とは別れたばかりのはずだ。
「わたしも、ずいぶん翼さんと離れていた気がします。夜分にこんな場所まで、お呼び立てして申し訳ございません」
「ううん、お仕事お疲れ様。本当は屋敷で一緒に、ごはんが食べられれば良かったんだけど。蝋月先生も、ツバサに会いたいって寂しがってるよ」
一日の任務を終え、学園へと戻る途中のほんのひと時。
ツバサの自由な時間は、いまこの時だけだった。
ツバサの前髪は、汗で額にはりついている。
紺色の制服は、砂ぼこりですすけていた。
「今日は一日中、城門の外にいたんです。冬が来る前に、城壁の防備を点検しておく必要があるということで、わたしもその警備にかりだされていました」
任務のため、きょうのツバサは帯刀していた。
しかしモンスターの出現といった、緊急事態は起こらなかった。
立っていただけで一日が終わってしまった、とツバサは苦笑いする。
なにも起こらないことが一番だ。しかし、そういう仕事もまた消耗するものだ。
疲労もあってか、ツバサの表情は固いままだ。
現実世界で過ごした時にみせた屈託のない笑顔は、どこかに隠れてしまっている。
ツバサのこの憂い顔。
翼にも、思い当たる原因があった。
「僕、六坂ダイに会って来たんだ」
「……知っています。翼さんの日記を読ませていただきましたから」
一瞬、ツバサは言葉に詰まった。
本当に分かりやすい。
彼女が気にしているのは、やはりあのサイン会のことだ。
「バイトの同僚が誘ってくれてさ。僕も見てみたくなった……『アカバネ』を描いた、六坂ダイの顔を」
あの日のことを話すなら、どうしても触れないわけにはいかない。
サインに添えられたイラストの、一輪の花を手に持ち穏やかに微笑む中野司に。
「六坂ダイは普通の人間だった……馬鹿みたいだ。僕はただ彼の前でヘラヘラ笑って、サインを描いてもらって、それを受け取って帰ってきたんだ」
ツバサが尋ねた。
「そのサインを、わたしにも見せていただけませんか?」
サインの入った単行本。
現物は、現実世界の部屋に置いてきた。
けれど翼は、サインを写真に撮っていた。
ツバサの携帯電話を借り、写真のデータを保存したクラウドにアクセスを試みる。
うまくいった。
ツバサは長い時間、何も言わずに画像を見つめていた。
そしてポツリと漏らす。
「不思議です」
ツバサが指差したのは、中野司の持つ一輪の花だ。
「この花のことは、よく覚えています。『アカバネ』には載っていない、とても小さな出来事なのに、六坂ダイは何でも知っているんですね。あのひと、本当に神様じゃないんですか?」
大した話でも、楽しい話でもないんですが。
そう前置きをしてから、ツバサはその花の思い出を話した。
「離れて暮らすわたしに兄は、毎年欠かさず誕生日のプレゼントを贈ってくれました」
けれど、贈物の包みを開けるたび、ツバサは寂しくなった。
「プレゼントは毎年同じものでした。金の巻き毛のお人形とキャンディ。そしてそのサインに描いてある赤い花の花束。添えられていたカードの文面まで、毎年同じだった」
そう言って、ツバサは苦く笑った。
『わたしも次の休暇には一度そちらに戻る。それまで先生や先輩の言うことを良く聞いて、体を鍛え、勉学に励みなさい』
カードの結びの言葉はいつもそれだった。
けれどいつまでツバサが待っても、“次の休暇”はやってこなかった。
「兄の中でわたしは、いつまでも小さな子どものままだったんでしょうね。最後にプレゼントを受け取った時には、わたしは12歳になっていた。人形遊びなんてとっくに卒業していたのに」
ツバサは携帯電話の画面を閉じた。
指が迷っていたが、結局その画像を消去しなかった。




