38. 小鳥のアイコン
「お勉強、頑張ってるね。頑張り屋さんの中野翼君のために、わたしも一肌脱がなきゃ」
午後からは場所を書斎に移し、蝋月の特別講義の始まりだ。
400年生きたエルフ。
彼はまさに生ける魔法辞典である。
「さて、そもそも魔術というものは……」
そんな出だしから始まって、飛ばす飛ばす。
最初のうちは翼もまじめにノートを取っていたのだが、めまぐるしく展開する蝋月の話についていけなくなってきた。
だが蝋月は飽きっぽい。
20分も経てば、こんなことを言い出し始める。
「で、だいたい分かった?わたしの話」
「は、はい。半分……いや半分の半分、そのまた半分くらいはなんとか」
「それだけ理解できれば、上出来、上出来。じゃさっそく、実践に移ろうか」
「はい?」
「ドカンと、でっかくブッ放してみようぜっ!」
「いやいやいや、それだけはやめておけって、北川さんも言ってましたし」
「いいから、いいから」
蝋月は、書棚から分厚い本を抜き出し翼の前に広げた。
「なんですか、この見るからに凶悪そうなルーン文字の羅列は?」
「アハハ、中野翼君はまだこれを読むことができないんだっけ?いいんだよ、こんなもんフィーリングでさ。チョイと詠唱してみなよ。なにか飛び出すはずだから」
「ちょ、無理無理無理、無理ですって!」
そんな押し問答をしていると、救いの手が飛び込んできた。
国本女史だ。
夕食の準備の最中だったんだろう。
よほど慌てていたのか、手に泡立て器を握ったままだ。
「中野様、蝋月様も台所までいらしてください」
「どうしたの?いきなりさ」
邪魔をされた蝋月が、口をとがらかす。
「さぁ早く早く。急がないと、逃げられてしまいますわ」
逃げる?なにが?
国本女史にせき立てられるようにして台所へ入ると、そこには一羽の鳥がいた。
開け放たれている勝手口から、飛び込んできたのだろう。
コツコツコツ……その鳥は翼の作ったクッキーの残りをつついていた。
それにしても、ヘンテコな鳥だった。
体の色は卵焼きのような黄色。
額の部分だけ白い羽毛が、星型の模様を描いていた。
変わっているのはそのフォルムだ。
体はコンパスで描いたようにまんまるい。
大きさはちょうど野球ボールくらいだ。
しかし鈍い。翼が手を伸ばしても逃げようともしない。
翼はそっとその鳥に触れてみた。
柔らかい羽毛の中に、翼のひとさし指が第二関節まで埋まる。
この丸っこい体のほとんどは羽でできているらしい。
両翼はごく短い。
こんなバランスで、うまく空を飛ぶことなんてできるのだろうか?
小さい目も、短くて赤いくちばしも、半分以上そのポワポワとした羽毛の中に埋もれてしまっている。
ブサイク。いや愛嬌があるといえなくもない。
蝋月が鳥の名前を教えてくれた。
「珍しいものがかかったね。こいつはマルホシドリだ。この大陸全域に生息する留鳥で、食性は雑食。君の作ったお菓子が好物だとは、知らなかったね」
「マルホシドリは、から揚げにするとおいしいんですよね」
キラリと国本女史の目が光る。
「でも君ひとりじゃ足りないな。あと2,3人お友達を連れて来てくれると嬉しいんだけど」
そんな彼女の呟きが通じたわけでもあるまいが、不穏な気配を感じたのだろう。
マルホシドリはビクリと体を震わせた。
トテトテトテ……思い切って飛び立つ訳でもなく、その短い足でテーブルの上を駈け出した。
グイッと、国本女史がその尾羽を掴む。
ぴー、と甲高い声でマルホシドリは鳴いた。
そこで翼は思い出した。
「そいつを食べるのは、待ってもらえませんか?僕どっかで、この鳥を見たおぼえがあるんですよね」
そうだ、こんな時は蝋月の端末が役に立つ。
翼はそれをポケットから取り出すと『アカバネ』のデータを呼び出した。
「そうだ。この鳥は六坂ダイだ」
先日実際にこの目で見た、人間の本人とは似ても似つかないが。
『アカバネ』コミック各巻のカバー折り返し部分。週刊少年ファイブのもくじページ。そして六坂ダイ公式ホームページ。
それらの場所で六坂ダイは、自分自身を示すアイコンとして、この鳥のイラストを使っていた。
「ふん、この鳥が六坂ダイねぇ?おい、ダイちゃん」
蝋月が呼びかけるとマルホシドリはまた、ぴーと鳴いた。
と、と、と、と駆けて、そして蝋月の手の上にピッと飛び乗った。
「国本さん!」
「はい、何ですか蝋月様?」
「この子、うちで飼ってもいい?」
きゅん。その鳥の愛嬌たっぷりの行動に、一瞬で心奪われてしまったらしい。
蝋月がクッキーを割って与えると、マルホシドリは大人しくそれをついばんだ。
もともと人懐っこい種類の鳥なのか、それともこの個体が特別なのか。
鳥はすっかり蝋月に懐いてしまったみたいだ。
ふー、と国本女史はため息をついた。
「食べるのが嫌なら、逃がしてあげましょう」
「嫌っ!」
蝋月は駄々をこねた。
「いいですか、蝋月様。ペットには手間と愛情を、十分に注いであげる必要があります。しかし、この家には私の他に使用人がおりません。この鳥の世話にまで、手が回りません」
「僕がちゃんと面倒みるもん。ご飯もあげるし、かごの掃除だってするよ」
「口で約束なさるのは簡単です。本当に続けられますか?蝋月様は、本当に飽きっぽいんですから」
「ううっ……」
助けて。
縋るような目を蝋月は翼に向けてきた。
「僕からもお願いします。この世界にいるときは、僕も世話を手伝いますから」
「はー、中野様がそうまでおっしゃるなら……蝋月様、大切にするんですよ」
「うん、大切にする。よかったね、ダイちゃん」
国本女史の気が変わらないうちにと、蝋月はダイちゃんと名付けた鳥を掴んで、サッと台所から飛び出した。
こういうところは見た目通り、10歳の子どもだ。
ダイちゃんの新居にぴったりの鳥かごは余目某のコレクション、つまりこの屋敷のガラクタの中にちゃんと埋もれていた。
この前国本女史の掃除を手伝った時に、翼はそれを見おぼえていた。
鳥かごは書斎に吊るしておくことになった。
クッキーの食べ過ぎで喉が渇いていたのか、ダイちゃんは小皿から水をゴクゴク飲んだ。
そして止まり木にチョコンと腰かけ、昼寝をはじめる。
蝋月は、鳥かごの中でくつろぐダイちゃんにご満悦だ。
「ツバサちゃんにも早く、ダイちゃんを紹介したいのに」
軍の連中がツバサちゃんをコキ使うから、と不満気に蝋月は頬を膨らませる。




