28. ファンブック
気づけば、かなりの距離を歩いた。
緊張も手伝って、さすがのツバサも少し疲れた様子だ。
夕食は自宅で簡単に済ますことに決めた。
献立はカレーライスだ。
「わたしにも何か手伝わせてください」
「んー、手伝ってもらうほどの料理でもないんだけど。じゃあ、ジャガイモの皮むきをお願いしちゃおうかな」
ツバサの料理の腕前は、なかなかのものだった。
一人暮らし歴3年の翼よりも、よほどうまい。
翼が褒めると、彼女は恥ずかしそうな顔をした。
「ありがとうございます。野営中の調理は、見習いの役目ですから」
なるほど。その手際の良さは、兵学校仕込みだったらしい。
固形のルーを投入すると、鍋からいい匂いが漂ってきた。
ご飯も炊きあがった。
しかし完成間近というこの時になって、翼はまずいことを思い出した。
この家に1枚しかないカレー皿を、先日落として割ってしまったのだ。
他に適当な深皿もない。
自炊に熱心ではない男子学生の食器棚なんて、そんなもんである。
仕方がない。
ツバサの分のカレーを、ラーメン丼に大盛りでよそう。
翼が食べる分は、雪平鍋に取り分けた。
そうして、でき上がったカレーライスをモクモクとツバサは食べた。
甘口のルーを選んだのは、正解だったみたいだ。
「んー、すごくいい香り!これは病みつきになる味ですね。本当にスプーンが止まらない!作り方、おぼえて帰りたいなぁ」
「再現は難しいだろうね。僕が向こうで大失敗した話は聞いただろう?」
「お父さんにも国本さんにも、北川さんにも……翼さんの作ったこのカレーライス、食べさせてあげたかった」
しんみりと呟くツバサ。
翼はあやうく、口の中のカレーを噴き出しそうになった。
そんなおおげさな。
***
食後は昨晩に引き続き、『アカバネ』勉強会だ。
昼間、三角堂書店で買ってきた本をふたりで読む。
『Akashic&Banned EmotionXX アカバネ極(きわみ)コンプリート・ファンブック』
オールカラーA4版。
アニメ版における各キャラの設定画、アニメ監督や出演声優のインタビュー、そして原作者の書き下ろしイラスト満載の、コアなファンも大満足の豪華な内容だ。
「へえ、こんなイベントもやっていたのか」
翼が目に留めたのは、『アカバネ』登場人物の人気投票のページだ。
週刊少年ファイブの公式サイトで、大々的に開催されたらしい。
1アカウント1日3回まで投票可。
しかもゲーム機といったちょっと豪華な懸賞付きということもあって、なかなか盛り上がったみたいだ。
そしてツバサは、その人気投票で見事9位にランクインしていた。
ちょうどツバサが週刊少年ファイブ誌上で活躍していた時期と、人気投票の開催時期が重なったせいだ。
しかし運も実力。9位は9位だ。
「すごいよ、ツバサ!あの世界で、9番目の人気者ってことじゃん」
「やめてください!恥ずかしいを通り越して、居たたまれない気分です」
こんなのおかしいです!とツバサは本気で嫌そうな顔をする。
しかし人気トップ10に入ったキャラにはご褒美があった。
このファンブックのカラーページを、2ページ分独占できるのだ。
1ページは詳細なプロフィール。
あとの1ページはカラーイラストだ。
どれどれ、ツバサのページにはどんなことが書かれているのかな?
身を乗り出した翼の目の前に、スッと待ったの手が伸びる。
「ちょ、ちょっと待ってください!まずはわたしに見せてください」
「ん、分かった。この本を買ったのはツバサだ。お先にどうぞ」
翼から本を隠すように背を向け、ツバサは問題のページを覗きこんだ。
「ふわっ……!?」
ツバサの口から変な声が漏れた。
「なにか面白いこと書いてあった?」
「ひっ、ひどすぎます!こんなこと勝手に書くなんて、プライバシーの侵害ですっ!」
ツバサはちゃぶ台の上のペン立てから、黒のサインペンを掴みとった。
「もう見てもいいですよ」
ツバサが念入りに塗りつぶしたのは、自分のプロフィールの一部。
身長と体重の欄だ。
「気にしてたの?」
「たくさん食べて、たくさん眠れば大きくなれるって聞いたのに……」
しょんぼりとツバサはうなだれる。
そういえば彼女の兄、中野司も小柄だった。
完全にこれは遺伝子の仕業だ。
努力や心がけで、どうにかなる可能性は低そうである。
「ツバサは、いまのままでいいよ。ちっちゃいところが可愛いんだし」
フォローしたつもりが、ツバサはますます不機嫌になる。
「ぜんぜん良くありません!」
キッと睨まれてしまった。
「……ええっと、どれどれ。他には何が書いてあるのかな」
話題を変えようと、翼は本を覗きこむ。
カラーイラストのツバサは、普段通りの制服姿だった。
このイラストは、あの時の二条桜木との別れの場面から切り出したものなのだろう。
ツバサは凛としたまなざしを、遠くに向けている。
ツバサの片手には、細い金の鎖が握られていた。
鎖には、三月十三日隊の徽章が結ばれている。
中野司の遺品だ。
ツバサはこれを二条桜木から託されたのだ。
徽章といっても、錫メッキの安物だ。
色はくすみ、錆さえ浮いている。他人には何の価値もない品だった。
「わたしが一人前の騎士になった時に、これを胸につけるつもりです」
劇中でツバサは言っていた。
これを胸に付けて、兄と一緒に戦うのだと。
――僕が泣きそうになってどうする。
こみ上げてきた感情を振り払う為に、翼はプロフィール欄を指差してまったく別のことを言った。
「ツバサはカボチャが嫌いだったのか。言ってくれればよかったのに」
さっき作ったカレーにも、バッチリ入っていた。
「いやっ、それはその……カレーライスがおいしかったのは本当です!」
ツバサがカレーを気に入ったのは本当だろう。
ラーメン丼で3杯もおかわりしていた。
しかしカボチャが入っていなかったら、5杯食べていたかもしれない。
「好きな食べ物はイチゴか」
明日、山ほど買ってくることにしよう。
翼はそう決めた。
そしてアニメ版『アカバネ』の続きも見た。
ちょうど中野司と北川が切り結んだその場面だ。
ここが一クール目終了の山場ということで、なかなか気合いの入った回だった。
「北川さん、悪い顔してるなぁ。マジ悪役!って感じ」
「本当はとっても優しい方なのに」
「優しいかぁ?まぁ、予想外に面白い人だったけど」
そう、確かに聞き覚えのある北川の声だった。
でも、このアニメはリアルじゃない。
だから目をそらさずに見ていられる。
けれどふたりは、胸に痛みを感じている。
その痛みを振り払いたくて、絶えずくだらない感想を声に出し合っていた。
けれど申し合わせたように、同じシーンにいる中野司について触れることはしなかった。
***
ツバサが風呂に入っている間、ついウトウトしてしまったらしい。
気付くと、肩にタオルケットがかかっていた。ツバサがかけてくれたのだろう。
翼の昨晩の睡眠時間は2時間足らず。さすがに眠気は最高潮だ。
いや、こうしてはいられない。
この部屋から出ていかないと……
寝ボケながらもフラフラと立ち上がろうとする翼を、ツバサの手が押しとどめた。
「今晩はここにいてください」
決まりが悪いのと、もう面倒になってしまったのと。
翼はタオルケットをかぶりなおすと、そのまま寝に入った。
「翼さん、そんなところで眠ってしまってはお体に障ります」
「ベッドはツバサが使って。お客さんなんだからさ」
それだけは譲れない。
床で眠る翼が足をのばせるようにと、ツバサがちゃぶ台を移動させてスペースを作ってくれた。
「おやすみなさい、翼さん」




