21. アレルギー
翼は午前中を、あのパソコンのある書斎で過ごした。
同じ部屋までやってきたはいいが、まだ回復しない北川はかたわらの長椅子でのびている。
国本女史は家事で忙しい。
思いもかけないひとりの時間だ。
「向こうの世界から来た君は、パソコンという機械のスペシャリストのようなもんだろう?わたしが留守の間、調子を見ておいてくれ」
翼のタブレットには、蝋月からのメッセージが届いていた。
そんな無茶ぶりをされても困る。
しかし律儀に翼は床の魔法陣に手をかざし、パソコンを起動させた。
だが、このけったいなパソコンでできるのは、閉じられた環の中をグルグル回ることだけだ。
「腹減った」
約2時間後、死んだようにのびていた北川がようやく起き上がった。
「なにか台所から持ってきますよ」
翼は椅子から立ち上がった。
中断のきっかけができたのが、ありがたかった。
このパソコンの基本操作は、蝋月がくれたタブレットと変わらない。
意識を集中し、イメージを結ぶことで機器を操る。
作業を長時間行っていると、ひどく消耗した。
神経は高ぶり、ミスタイプが増えていく。
それは細かいパズルを解いたあとの疲労に近いものだった。
***
「うわぁ……」
台所に足を踏み入れ、翼は嘆息した。
プロの料理人ならずとも、これを見れば胸がときめくというものだ。
台所はこの屋敷の構えに相応しい、広さと設備を兼ね備えていた。
魔女だって丸焼きにできそうな立派な石窯。
国本女史の手によって磨き上げられた調理台は、子どもがスケートをするくらいのスペースがある。
壁には大小の調理器具が整然とつるされていた。
キッチンテーブル――といっても翼の自宅にあるちゃぶ台よりも数段立派なそれ――の上には朝食の残りがふきんをかけられておいてあった。
国本女史の姿は、この台所には見えない。
翼は勝手に、食料を失敬することにした。
大きすぎる石窯とは別に、このキッチンには調理用のストーブも備えられている。
まだそこには火種が残っていた。
火かき棒でかき回せば、くすぶっていた火が燃え上がる。
翼はストーブから鉄板を引き出し、少し固くなってしまったパンを並べた。
お茶を淹れようと、いくつもある中から適当なポット選んで水をはり、ストーブの上に乗せる。茶葉は目分量だ。
あまり北川を待たせるのも悪い。
チーズにハム、玉子もある。
翼はサンドイッチを作ることに決めた。
調味料がしまわれている棚を覗いてみる。
国本女史が几帳面にも、ひとつひとつの瓶にラベルを貼ってくれているので助かった。
翼はサンドイッチのパンに塗る、簡単なソースを作成することにした。
酢と塩コショウを小さな器に入れて混ぜ合わせる。
昨晩食べた肉料理に使われていたハーブもそこに加えた。
「ただいま戻りました」
その時、勝手口から国本女史が入って来た。
買い出しに出かけていたらしい。両手には籠をさげている。
「つまみ食いに来ちゃいました。台所お借りしてます」
「あら、中野様でしたか。お客様に台所仕事なんてさせてごめんなさい。いったい何を作ってらっしゃるんですか?」
そして、翼の手元を覗きこんだ国本女史の笑顔が凍りついた。
両手の荷物を取り落としそうになりながら、彼女は翼の手からソースの入った器をひったくる。
「わっ!どうしたんですか!?」
「中野様、見てください。光ってます」
翼は自分の目を疑った。
翼はただ、数種の調味料を混ぜ合わせただけだ。
しかしその液体は、翼の知らない何かに変質していた。
国本女史の言う通りだった。
それは発光し、おまけに白い煙をふきながらポコポコと泡立っている。
色も大幅に変わっている。元が食品だったとは思えない、どぎつい紫色にだ。
「おい!何があった!?」
大声をあげ、台所に北川が駆け込んできた。
しかし国本女史が手にしたその器、そして呆然とする翼の表情を見てすぐに合点がいったようだ。
忌々しげに吐き捨てる。
「異常な力を感じて来てみれば……原因は君か、テバサキマン!みょうちくりんなもんを錬成してんじゃねえよ!」
その時、ストーブの中ですっかり忘れられていたパンの焦げる匂いが漂ってきた。
***
「アレルギー反応……ですか?」
翼が聞き返す。
翼も結局、国本女史がこしらえることになった軽食の御相伴にあずかることになった。
問題のソースが入った器は、テーブルの片隅に置かれている。
そのまま捨ててしまうのも、離れた場所に放置するのも危険だろうという判断だ。
「はい、そうです。この世界は、異世界に由来する物に対して過剰な拒否反応を示す――蝋月様の仮説です」
翼のカップにお茶のおかわりを注ぎながら、国本女史が先ほどの現象を説明してくれた。
こんなことが起こったのはこれが初めてではない。
ツバサの拾った携帯電話から、断片的にではあるが異世界の情報を取得した蝋月は、すぐに実験にとりかかった。
「実験?」
「はい、翼さんの世界特有の道具、そのいくつかを再現しようとされたのです」
しかしその試みはことごとく失敗に終わった。
翼が作ったサンドイッチのソースと同じだ。
すべてはこの『アカバネ』世界に漂う、魔力の干渉から逃れることはできなかった。
あるものは崩れ、あるものはまともに動作しない。
不完全ではあるが、ようやく形になったのはあのパソコンと端末だけだ。
それも蝋月の魔力と知識のすべてを注ぎこんで、ようやく動くといった有様だ。
蝋月はこの現象を「世界の壁にぶつかる」と呼んだ。
両世界の間に立ちはだかる壁にぶつかり、すべての物はひしゃげてしまうのだ。
そしてその傷口から魔力という毒が入りこみ、腐食させてしまう。
「待って下さい。僕の作ったこれも、アウトだっていうんですか?」
向こうの世界の特有の郷土料理と呼べるほど、上等な物じゃない。
どこが悪かったんだ?教えて欲しい。
翼はこの『アカバネ』世界に異議を唱えたかった。
核兵器を作ろうとしていたわけでもあるまいし、ヒステリックに騒ぎ立てられる筋合いなんてない。
「御託をぬかすな。何が世界の気に障ったのかなんて、分かるわけがない。大人しく良い子でいろってことだ」
北川はまだ怒っている。
「でも中野様は、その高い壁を乗り越えてきたんです。障壁は絶対的なものではないということでしょう。時間はかかるかも知れません。しかし少しずつふたつの世界は歩み寄っていく。そんな予感がします」
そう言って微笑むと国本女史は、食卓の片隅に置かれている問題の液体の入った器を手にとった。
翼と北川、ふたりが止める間もなかった。
国本女史は、未だ泡立ち続けているその液体に人差し指を差し込んだ。
そしてその指をペロリとなめる。
「なっ、何やってるんですかー!?」
「吐きだせ!今すぐにだ!」
席を蹴って立ち上がり叫ぶふたりに、平然と国本女史は答えた。
「うん、見た目はちょっと変わっていますが、とってもおいしいですよ」




