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職業:死神の助手 時給666円  作者: きびだんご


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第8話 渡さない言葉

 店へ戻って謝ろうかと思った。

 藤沢さんへの謝罪だ。達也さんの話ではなく、俺自身が余計なことを言ったことについて。

 スマホで道を調べかけて、やめた。

 もう来ないでほしいと言われたばかりだった。


 連絡のつく久瀬なら、今どうしたらいいか聞けるのに。

 そう思ったあと、電話番号のない相手を頼りすぎていることに気づいた。


 俺は定食屋のエプロンを着けた。

 注文を取り、皿を運び、醤油を補充した。

 閉店前、テーブルの下から落ちた箸袋を拾っていると、店長が声をかけた。


「神谷くん、その席もう拭いたで」

「はい」

「3回目やで」


 俺は布巾を見た。


「きれいには、なってます」

「なってるな。そろそろ隣も頼むわ」


 考えていても、仕事が進むわけではなかった。


     *


 約束の日、達也さんは公園に来ていた。

 俺たちは、前とは別のベンチに座った。喫茶店のある通りが見えない方を、俺が選んだ。


「何から話せばいいですか」


 達也さんは聞いた。

 俺はノートを膝に置いたまま、答えた。


「その前に、俺から言うことがあります」


 店で断られたあとも、話を聞いてほしいと食い下がったことを説明した。

 達也さんは、意外そうに俺を見た。


「そこまで、してくれたんですか」

「しない方がよかったんです。俺がそうしたくて、勝手に続けました」


 久瀬はベンチの端に立っていた。

 俺の言葉を補ったり、かばったりはしなかった。


「今日は、お詫びの文章を考えるんじゃないんですか」

「藤沢さんへ渡す文章は、作りません」


 達也さんの視線が下がった。


「じゃあ、何のために」


 俺はすぐ答えられなかった。

 正しいことを言ってやろうとすると、たぶんまた間違う。


「達也さんが話したいなら、聞くためです」


 風でノートの表紙がめくれた。

 押さえた手の下に、前回の『8万円』が見えた。


「俺が、これから良い人になっても、遅いですよね」


 達也さんは低い声で言った。


「仕事をちゃんとするとか。金をためて返すとか。もう、何もできない」


 久瀬が達也さんの正面に移った。


「できなくなったことは、あります」


 そこで言葉を切った。

 俺は次を待ったが、すぐには続かなかった。


「そのことについて、お話しになりたいですか。それとも、今日は別の話にしますか」


 達也さんが顔を上げた。

 選んでいいのか、と聞くような顔だった。


「……航平の店、最初は椅子が足りなかったんです」


 久瀬は静かにうなずいた。


     *


 開店前の店には、客席の椅子が2脚足りなかったという。

 航平さんが注文を間違え、届くまでの間、達也さんの部屋にあった折り畳み椅子を運んだ。


「俺、部屋では床に座ってたんで。なくても困らなくて」


 塗装が剥げていたので、2人で塗り直した。

 航平さんは緑にしたがり、達也さんは店の床に合わないと反対した。結局、茶色になった。


「初日に、俺が座ったんです。まだ乾いてなくて」


 達也さんはそこで少し笑った。

 俺も笑いかけ、それから迷った。笑っていい話か、わからなくなった。

 達也さんは俺の口元を見て、目を伏せた。


「こういう話をしたら、いい奴だったことになると思ってるわけじゃないんです」


「はい」


「でも、悪いことした話だけやと、あいつと何で友達やったかも、なくなる気がして」


 俺はノートを閉じた。


「椅子は、今もあるんですか」

「わかりません。店の奥までは、見てなくて」


 確かめに行こうとは言わなかった。

 どんな椅子だったかだけを聞いた。

 達也さんは膝の上で、背もたれの丸い形を描いた。


 高校の帰り道に寄った店。航平さんが初めていれた、濃すぎるコーヒー。店を始めると聞いたとき、達也さんが軽く返した「ええやん」という言葉。

 そこまで話してから、達也さんは黙った。


「あいつには、ちゃんとやりたいことがあったんですよね」


 遠くで自転車のベルが鳴った。


「俺にはなかったから、借りるくらいええかって。あいつは先に進んでるから、少し頼ってもええって」


 袖口を握る指が強くなった。


「頼るって、言葉が違いますね」


 俺は答えなかった。

 達也さんも、訂正を待っているわけではなさそうだった。


     *


 次の週、達也さんは便箋に書いてほしいと言った。

 俺が黙ると、首を振った。


「渡すためじゃありません。頭の中だけやと、途中で都合のいい方へ変わるんです。書いたら、どんなこと言ってるか見えるかなって」


 誰にも渡さず、本人の前で読み返したあと処分する。それでよければと確認して、俺はノートの白いページを開いた。


「便箋じゃないんですか」

「提出先がないので」


 達也さんが、かすかに口元を緩めた。


 最初の言葉は、『悪かった。でも』だった。

 そこまで書いたところで、達也さんが止めた。


「でも、はいらないです」


 俺は線を引いた。

 続きには、金に困っていた理由が並んだ。それも途中で消すことになった。

 理由がなかったわけではない。けれど、理由を全部知れば許してもらえるような書き方になると、達也さん自身が言った。


「返したから、終わったと思ってた。返す前に言ったことは、残ってるのに」


 俺はその言葉を書いた。

 達也さんは指先で行を追おうとして、紙に触れられずに手を戻した。


「あいつが聞かないって言ったの、初めてちゃんと聞いた気がします」


 ノートには、短い文章と何本もの線が残った。

 俺が読み上げると、達也さんは何度も直した。

 良い謝罪文を完成させるためではなかった。自分の口から出た言葉を、自分で聞く時間だった。


 終わったあと、俺はページを切り離した。


「本当に、処分していいですか」


 達也さんは紙をじっと見た。

 うなずくまで、しばらくかかった。


「はい。あいつには渡さないでください」


     *


 帰り道、俺は久瀬と並んで歩いた。

 切り離した紙は、かばんの内側にしまっていた。家で細かく破って捨てるつもりだった。


「あと、どれくらいですか」

「9日です」


 手袋をしてこなかった指が冷えていた。


「これでいいんですかね」


 久瀬はすぐに答えなかった。


「私にも、達也さんがどこまで気持ちを整理されるかはわかりません」

「何も解決してない気がするんです」

「藤沢さんに会うという方法は、終わりました。それでも、達也さんとの約束は残っています」


 俺は次の予定を開いた。

 水曜、16時。公園。

 何かを届けるとも、誰かに会わせるとも書いていない。


「次も、座って話すだけかもしれへんな」

「立って話しても構いません」

「そこは大事な違いではないです」


 久瀬は少し考えてから、うなずいた。

 俺はスマホをしまい、かじかんだ両手をポケットに入れた。

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